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飯田有抄のショパコン日記38〜小林愛実さんを入魂エール耳で聴く!

日本のコンテスタントの最後を飾る小林愛実さんの3次予選の演奏が終わりました。

あんなに長い長い長い長い拍手を客席から贈られたのは、今のところ彼女だけ・・・

あの拍手の意味を、どうとらえるか。私にとっては必要な時間でした。というのも、あまりにも心を揺さぶられる演奏だったので、とてもすぐには切り替えられない。次の奏者を迎えられない。そんな心境だったのです。もちろん賞賛の意味で多くの方が喝采を送っていたと思うけど、「現実に戻るから、ちょっと待って・・・」という気持ちで呆然と拍手し続けてしまった私のような人もいたのではないか、と。

もはや3次予選レベルですし、この人の演奏のここがこうでした、というお話を書くまでもないですよね。皆さんも配信でお聴きになった(なれる)と思いますし。ただ、ここにどうしても書き残しておきたいことは、小林さんの演奏には、ほかの人の演奏では感じられないほどの、突出したカラーがあったということ。それは、あまりにも深い悲哀と闇とが、マズルカ Op.30にも、24の前奏曲 Op.28にも、根底に流れ続けていたということです。


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故郷喪失に悲しみを抱き続けたショパン、肺を病み、健康上の不安といつも隣り合わせだったショパン。彼の芸術の中には、そうしたところからの忸怩たる思いや情念や悲願が、流れ続けていると思うのです。今回の小林さんの演奏には、私が会場で聴けた2次・3次の演奏では、その部分に大きく焦点を当てているかのような、極めてエモーショナルでデリケイト、そして思い切った判断による音楽作りがありました。

今日の演奏も、あれだけ強い表現に晒され続けていると、心がこじ開けられ、えぐられていくような感覚になる。最後の二短調のプレリュードの最終音では、もう私の心は感動と痛みでズタズタです。小林さんのように、一人の表現者として、アーティストとして、すでにステージに立ち続けてきた人の演奏とは、かくもはっきりしているのか、と驚くとともに。

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しばしば思うのですが、音楽や芸術の表現には極めて強いものがあり、たとえば「中毒性」とか「心に傷を負う」とか「破滅の美学」といった言葉が当てはまるものもあります。それはアートとしての一つのあり方でもあるし、そうしたものを求める心が不思議と人間の中にはある。

優れたコンテスタントの一人として、小林さんのような音楽がここで提示されたことに、感謝したい気持ちになりました。

※記事の速報性を上げるため、写真は2次予選のときのものです。
写真:©Wojciech Grzedzinski/ Darek Golik (NIFC)

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