【第1回】PTAに存在価値はあるのか(実際に副会長に就任した保護者の現代社会的PTA考)

 このノートをご覧になっている方は、大なり小なり小学校のPTAに何らかの関心を持たれている方だと思います。
 私は、ある地方公共団体に勤務する40代前半の保護者ですが、現在PTAの副会長に就任し3期目を迎えています。
 小学校入学に伴い漏れなく発生する「PTA加入問題」。私自身もそうでしたが、多くの保護者の方が悩まれていると思います。何らかの形でその一助になればと、現代PTAの存在意義についての実体験に基づく考察をnoteに記してみます。

 私はそもそも社会活動の類にはほぼ関心がない人間です。副会長を務めて3年になる今も「世のため人のため」のような気持ちはほぼありません(ほぼイーブンな選択肢でどちらかを選ばなければならない、という状況であれば「どうせなら」と思うくらいの、おそらく標準的な人間です)。そんな等身大保護者の、備忘録的なPTA分析論としてお読みください。

ステレオタイプなPTA像

 現役の子育て世代の保護者が持つPTAのイメージは、
 
・任意団体のくせに半強制的に参加させられる
・PTAのPTAのための活動(自己満足の世界)
・何のためにあるのか分からない
・意識高い系保護者の内輪ノリの組織
・前時代的な組織運営で、働いている保護者の参加は困難
・よって、面倒でとにかく関わりたくない
 
と、こんなところだと思います。私自身もそうでした。
 子どもが入学した年、低学年保護者会の後にPTAの説明があったのですが、3名の女性の副会長がおもむろに前にやってきて、井戸端会議のようなノリでPTAについてのっぺりと紹介していました。良く言えば牧歌的な姿と言えなくもないのですが、これを見て「ああ、自分が子供のころと変わってないんだなPTA」「関わらないようにしよう」と決意を新たにしたことを強く覚えています。
(今になってみれば・・・自PTAは役職任期が1年のため、右も左も分からない成り立て副会長が説明をしているわけで、その点は同情できなくもないですが、「PTAのイメージ戦略」という点では非常に大きなマイナスとなっています。そういう戦略論を立てれない団体だったという訳です)

2年生時、副会長に立候補してみた(動機はPTA廃止?)

 先ほども書きましたが、社会活動、「世のため人のため」のような活動には基本関心を示さない人間ですので、副会長に立候補した動機も、もちろんそのベクトルのそれではありません。
 そんな私が何故副会長に立候補したのか。
 主な動機は次の3つです。

①子どもの役に立ちたい(保護者的動機) 
 自分が副会長になることで、子どもの学校生活をよりよく変えられるかもしれない、という漠然とした気持ちです。社会活動に関心がない人間でも、自分の子どものためになることであれば「参加してみようかな」と思うものなんですね。また、子どもに何かアクシデントが起きた場合、副会長という立場であれば、より真摯に向かい合ってもらえるだろう、といった打算的な動機。こんな内容です。

➁小学校の現場を知りたい(職業的動機)
 行政が政策を企画立案する、それを実施していく上で、教育的な視点は必要不可欠なものです。副会長になることで、小学校がどう回っているのかを内部から深く知ることができる。これは、たまたま自分が行政という職種についていたから生まれた動機です。

 そして、3つめは少々ドラスティックな動機なのですが、次のようなものです。

③不要なものなら廃止してしまいたい(改革的動機)
 上述したようなイメージの組織であれば、子どもと保護者にとってむしろマイナスの方が大きく廃止するべきだと思っていました。廃止をするためには、机上の空論で廃止を唱えるのではなく実際に自分が組織に入って活動して評価をすることが必要ですし、仮に廃止を叫ぶにしても、一保護者ではなく副会長という立場で提案しなければ実現可能性はほぼゼロです。これは、私の家庭は、上の子どもと下の子どもの年齢差がそこそこあり、小学校12年コースだからこその動機かもしれません(12年間お世話になるのであれば、よりよいものに早い段階で変えていきたい)。

 と、これらの3つの動機が相乗効果となって、まずは1年副会長を勤めてみようと思い、2年生時に立候補したわけです。
 「ステレオタイプなPTA像」のイメージを持っていた自分にとって、勇気を振り絞っての立候補だったのですが、結果、抽選にはならずに無事当選。通常3名の副会長(後述する理由で最初の年は4名でした)の一人として、就任することになりました。

現代的なPTAの存在価値とは

 次の記事から、備忘録的に時系列に沿ってPTA活動の振り返りと評価をしていきたいと考えていますが、先に結論を記載しておきたいと思います。
 副会長3年目に入った現時点での結論は、次のとおりです。

・PTAには準行政機関的な信頼感があり、「自分がやりたいこと」を実施するための「フィールド」としてこの上ない場所である。

 最初に断っておくと、「自分がやりたいこと」と書きましたが、PTAの定義が

「児童生徒の健全な成長をはかることを目的とし、親と講師とが協力して、学校及び家庭における教育に関し理解を深め、その教育の振興に努め、さらに、児童生徒の郊外における生活の指導、地域における教育環境の改善、充実をはかるため会員相互の学習その他必要な活動を行う団体」
(昭和42年の社会教育審議会報告「父母と先生の会のあり方について」より)

である以上、その目的に沿った中での「やりたいこと」になります。
 子どもたちが学校に通っている中で、あるいは地域住民として「もっとこうだったらいいのにな」と思う瞬間が大なり小なりあると思います。それを検討し、実現していくフィールドとして、過去先人たちによって連綿と紡がれてきたPTAという組織への信頼、PTAという組織への準行政機関的な信頼感は、非常に価値があるものでした。
(例えば、街中の電信柱に「〇〇教室、生徒募集」というチラシが貼られている。一方で、PTAがPTAのイベントとして「〇〇体験教室」を開催する。保護者の方が安心して参加させられるのは、間違いなく後者です。)

 何故そのような結論に思い至ったか、そしてそれの踏まえ、現在どんな活動をしているのか。どのようにPTAを変えてきたのか。そのあたりを、これから書いていきたいと思います。

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