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32歳大厄を終えかけて

今年は大厄の1年だった。

私の予想では何らかのあかんことに巻き込まれて入院をしたり、ノロウィルスに年2回感染したりするやんやろうと思っていた。いざ蓋を開けてみると全くそんなことはなく、初めて行った台湾でエンジョイしたり、一番好きなアーティストであるナンバーガールが再結成をしたりでもはや当たり年だった。しいていえば生まれて初めてナンバーガールのライブを見る予定だったライジングサン1日目が台風で中止になったぐらい?でもそれはそれで思い出になったから良し。

厄払いをしてもらったからかな?やっぱ頼るもんは神ですな!!なーんてことも考えたけど、よくよく考えてみよう。元々大厄ってもんは年齢的に、子育てやら仕事やらに追われる時期やから身体を労われよー!っていうやつや。

あ!!!

私!どっちにも!追われてなかったわ!!


ということで子なしパート主婦には大厄はあってないようなもんだった。

と、いうのが今になって、これでええのんか?と心をざわつかせる。
自由が好きすぎて今の居心地の良さにぬくぬくしているが、自分の中にあるスパルタ心がザワザワしてきたぞ!まぁ…ザワザワして2年ぐらい経つんやけども。

きっと"普通"の人なら結婚したらすぐ子どもを作ろう!となるのだろうが、私たちの場合はそうならなかった。先日4回目の結婚記念日を迎えた。
大体の人は「子どもは何人ほしい?」「何歳までに子どもがほしい?」「子どもの名前は何にしたい?」の様な会話を友達との間で何度かして生きてきたであろう。その会話が出るたびに幼い頃から「何でみんなそんな具体的に考えてるんや!?てか絶対子ども作る流れなんか!?」と不思議だった。周りの"普通"の人たちとは違い、子どもが欲しい!とは思えずに成長してしまったのだ。
高校生ぐらいまで子どもが苦手だった。幼い子どもと接することがない環境で生活し、たまに街中で見かけても可愛いと思えなかった。自分自身でこれはダメなことだと焦った。苦手というか、どうしたらいいかが分からなかった。接し方が分からなかった。しかし、接客業のアルバイトを始めたことにより、だんだんゆっくりと苦手だったものが"マシ"になった。高校、大学、社会人と経験を積み、年齢を重ね、気がつけば"マシ"は"普通"になっていた。自分でも驚いた。可愛いし、面白い。子どもに対してそう思えるようになれていた。でも自分が子どもを生み育てるという自信はめっきり付かなかった。それは結婚した後も引きずった。
根がネガティブな人間なので、実は今になっても悩んでいる。ポジティブとネガティブの荒波!経済面で苦労をかけるんじゃないか、社会不適合者といってもおかしくない私が人を生み育てることができるのか、今の日本で生活させていって良いのか、嘔吐恐怖症等の症状がある私が妊娠期間を耐えれるのか、自分の嫌なところが子どもに遺伝しないか、お産の時私死ぬんちゃうか…などなど不安要素が湧き上がってくる。いやもう病気かよ!そうだよ病気だよ!ヤッてもねぇのにグダグダ考えるな!
自己肯定感って大事だね。今までの人生のいろんなことがフラッシュバックして「私はダメな人間です!!!!!」って叫びたくなる。あれやこれや弱音吐いてる時点でもう逃げてるんやけど。
安心してくれ、その裏で子どもとの生活を考えてワクワクする自分もちゃんといるよ。絶対楽しくしてみせる。みんなの期待通り(期待はされてない!)肝っ玉母ちゃんになる気しかしない。どうして肝っ玉母ちゃんの夫って大体ガリガリなんかな。

……何の話?

世の中のお母さん達のこと本当に尊敬してる。
偉大だわ。毎日お疲れ様です。

後厄は自己肯定感を高めるところから手をつけるぞ〜!!(トップの写真は自分で作って自分で褒めまくった焼売)

人生のテーマソング↓


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