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モノトーンに灯す

以前、仏具を売る仕事をする知人がこんなことを言っていた。「お線香はご先祖様や仏様がまとう服だと思ってる」

当時私はばあちゃんの一回忌を目前にしていて、離れて暮らすじいさんの仏壇に何を携えて帰ればいいのか若干道に迷っていた。彼が酔っぱらいながら話してくれたその言葉が妙にすとんときて、私はその年鎌倉の銭洗い弁天で洗ってきたお金を使って、ばあちゃんに私が一番好きだなと思った香りの線香を買って帰った。そう、まるで生きてる時の贈り物のように選んだ。

それが正しいかどうか分からないけど、じいさんに「線香はいっぱいあるからいい」と言われたのもあって、結局持ち帰ってきた。以来ばあちゃんの墓参りにはいつもその線香をあげている。それも、まるで生きてる時にこっそり美味しいお菓子の話をするみたいに。

日々はただ過ごしているとモノトーンの1ページになっていく。私は音楽を聴くたびに「時間が色をつけている」感覚を持つのだ。平面のものが立面になるような、流れていたものが浮き出してくるようなそんな感覚だ。記憶はどうか分からないが、音楽を聴いていると想像は色を付けて繰り出される。

故に私は「音楽は私にとってマッチ売りの少女がマッチを灯している時間」と思っている。少女がマッチを灯している間だけ幸せな時間を思い描くように、私は音楽を灯すことをいとおしく思う。

それがどことなく、「線香は仏様のまとう服」という感覚に重なっている。ないものを思い起こさせ、現実とつなげようとする僅かの時間。結局は「ないもの」なのに、灯すことを止められない。

香りと煙の向こう側と、音の重なり合う空間の向こう側、流れているのは時間。何もしなければモノトーン、灯すと湧きだす別の景色。だからだよね、こうして、こうしているのは。

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