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カエルの雨とシンクロニシティ(共時性)からの気づき。「マグノリア」

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2020/07/23

こんにちは。HACOです。

「偶然の一致」って体験したことありますか?

Aさんのことを考えてたら、Aさんかメールが来たというような。虫の知らせとかそういう感じの、因果関係がないのだけどもあるような偶然の一致。

地球の裏側で蝶が羽ばたいたことで、別の場所で竜巻が起きるというようなバタフライエフェクトとは似てるようで違うのですね。一応、因果関係があります?ので。「バタフライ・エフェクト」って興味深い映画があったのを思い出したのですがそれはまた。

「偶然の一致」は、シンクロニシティ(synchronicity):共時性といってユング心理学の中の大切な考え方でもあります。

フォン・フランツの「偶然の一致の心理学―ユング心理学による占いと共時性の原理」は、興味深い本なのですがもともとの内容も含めて難解かもしれません。自分の体験を通して読むことができるとよい本の類です。

シンクロニシティは証明が難しいというか結果論といえばそうなので、再現性という意味で科学としては狭間な領域ですね。結果から、読み解いていくことで、気づきを深めることや自己理解につなげていくという点では興味深いです。

わかりやすい?例として、ポール・トーマス・アンダーソン監督の「マグノリア」を。ただ、自分が好きな映画を紹介したいだけというのもあります。

死の床で息絶えんとするテレビの大物プロデューサー、彼が昔捨てた息子、プロデューサーの若い妻、看護人、癌を宣告されたテレビのクイズ番組の司会者、彼を憎む娘、彼女に一目惚れする警官、番組でおなじみの天才少年、かつての天才少年……。ロサンゼルス、マグノリア・ストリート周辺に住む、一見何の繋がりもない12人が、不思議な糸に操られて大きな一つの物語に結び付けられていく。そして……“それ”は、起こる!

1999年製作/187分/アメリカ 原題:Magnolia

引用:映画.com https://eiga.com/movie/1857/

ちょっと長い映画なのと、好き嫌いがわかれる作品ですね。誰にでもおすすめできる作品ではないですがおススメです(笑)。「私は盲目だったがいまはみえる」「大切なものは目に見えない」というような視点で、何かに気づくことができる可能性のある作品だと思います。目に見えるもの、見えないもの、ありえないもの、様々なものが折り重なったある日の出来事。人間理解や人間関係の複雑さや単純さ、こころについて考えることもできる作品かなと思います。

この映画で語りたいことは、多すぎるので2つだけにします。

一つ目は、あらすじの通りで、たくさんの登場人物の物語が見えない糸のようなものでつながっていく群像劇というのは、シンクロニシティそのものを描いているわけですが、とりわけ映画の冒頭がものすごくワザとらしい「偶然の一致」の説明(作品の見方を暗示)が好きです。

 冒頭で3つの「偶然の一致」の事例が語られます。

・3人の強盗殺人犯の名前を被害者の住んでいた地名になる話
・消防士とダイバーの話し
・飛び降り自殺を図った息子が、途中で母親が発砲した銃弾にあたる話し

これからはじまる「マグノリア」という物語の見方を暗示してくれています。やさしいなって思うのと、そういう視点で見てほしいというのもあるのかなと。

この冒頭で、何かいろいろな偶然の一致があって物語が成り立っているんだろうなって思わせてくれるところと、思わされてしまうところが秀逸ですね。

そして、もう一つが「カエルの雨」

物語が複雑に絡み合い、ここからどうなっていくのか混沌な状態に陥っていくなかで。

土砂降りの雨が。土砂降りの慣用句として「It rains cats and dogs.」同様な意味で、アメリカの南部では「It rains bullfrogs(frogs).」ということです。

土砂降りのカエルが。

文字通り(笑)ということだけでなく、旧約聖書『出エジプト記(Exodus)』8章2節。「十の災い」の2番目:カエルの大群を降らせる話しとの関連もあるようです。

いろいろ降ってくるのは、日本では「怪雨」というように、ファフロツキーズという現象。

「はれときどきぶた」もいろいろ降ってきます!そういう意味では、子どものころに「マグノリア」と同じようなものをみていたんだなーというシンクロニシティですね。

どうしようもならない状況で、「ありえない起きないこと」が起きる。

「カエルの雨」

人生のある時期に、思いもよらないことが起きる。自分ではどうしようもできないようなことが。そんな最中に、突然の「カエルの雨」。

何とかできるはず、解決できるはずという万能感にとらわれていると、みえないこと。それは、この物語をとおしてみてきたことでもあるのですが。

「機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)」という神がかり的な何かが一石を投じて終劇に方向づけるという手法ということではでなく、物語を通しての、作者と観客との関係、自分のこころなど、「カエルの雨」が降ったその瞬間に、何か「シンクロニシティ」が起きていなかったかを考えてみたいですね。

その瞬間、それぞれの登場人物の物語に「カエルの雨」が降ることで、何が起きたのか。何も起きなかったのか。物語をみている(観劇している)自分のこころに何か起きたのか。

「カエルの雨」が降った。

それを、それぞれがどう受け止めたのか

この辺りは、映画を実際にみて感じてほしいところですね。



いろいろ書いてみましたが、当時、映画館でこの作品を見たときに、音響効果の素晴らしさもあって、映画館の天井にバチバチ何かが降ってきてる音がして、上をチラッとみたことを伝えたかっただけというのもあります。

スクリーンを凝視して複雑に絡み合う物語を、どうやって物語を収めていくのだろうかと悩みながらみていたその瞬間、意識がスクリーンの外に

その視点の変化そのものが大切なことだったのかもしれません。

その一瞬、顔を上げること。前を向くこと。上を向くこと

それが大切なことなのかもしれません。渦中にいる時には、見えなくなっていることがたくさんあります。解決できるかどうかではなく、前をみること。唖然とすること、ポカーんと口をあけて、空を見上げること。視点をズラすこと大切さと難しさ。神がかり的な何か、ありえないことがなければ、視点を変えることができないようなこともあるんだということ。

そんなことの大切さに気づいた瞬間でした。

劇中歌のAimeeMannのWiseUpのそのもののように。
気づきを与えてくれた瞬間が「カエルの雨」でした。

とんでもないことが起きたことで、逆に冷静になるというような。3時間もある長い映画であることも納得です。ここまできて「カエルか!」ってなることの大切さ(笑)

それは、誰かの人生の語りを聴くときに大切な視点だと、いまは特にそう思います。

あの時に劇場に何か降ってきたと感じさせてくれた、音響効果も忘れられないですね。機械的な進化からの気づきですね。

また、蛙が象徴していることは何なのかとか、ユング心理学的なことがまだまだあるのですが、それは別の話しに。


「映画」からを通して考えるのも楽しいです。監督の意図を探るのも楽しいですが、個人的な解釈もまた興味深いところです。解釈があってるか、間違っているかではなく、「その時の自分がどのように感じたか」これが大切かなと思います。その時の自分と、いまの自分では感じ方や解釈が変化することがあるのも興味深い点になります。

そういえば、「インター・ステラー」もシンクロニシティを考えるのにも興味深い映画なのでまたの機会に触れたいですね。

※表紙の写真は、当時のパンフレットの表紙です。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
今日もよい一日を。

それでは、また。

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