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自分が知らない自分のキヲク

 1月5日(金)6日(土)の2日間、両親と一緒に静岡へ旅行に行ってきました。旅行記はあとで書くとして。


 5日の夕食をホテルの近くにある定食屋で済ませたあと、私は両親の部屋で、私が幼かった頃、私がどういう子供だったかという話を聞かせてもらいました。


 ま、全部を書くとかなり長くなるので、私が知らなかったこと、記憶違いをしていたことを中心に。


 まず前提として、私は生まれた頃から脳性小児麻痺の影響で、指先が人より器用に動かせず、動作もやや緩慢、そして、人より喋るのが遅いという障害を持っています。(ただし当時は障害者手帳をもらえるほどだとは認識されていなかったようです)


 上記のような子だったので、親や周りの人間は、私が無口な子で、周りからいじめられたりクラスの輪に馴染めないのではないかとハラハラしていたようです。私も自分自身、周りとあまり会話しなかったんだろうなと思っていました。


 が、母親が言うには、周りのそんな心配を他所に、私は周りとよく喋る子で、授業にもしっかりついていける、成績の良い子だったようです。
(『脳に障害がある』ということで、母親は私が勉強についていけないのではないかと思っていたらしい)

 逆に手がかからなくて真面目で良い子だと言われたそうです。


 ただ、『あの動作の遅さはちょっと異常だから、注意してみておいた方がいい(幼稚園の先生)』『今は全然問題ありませんが、このままだと将来が心配です(高校一年の担任)』と言われていて、特に高校の担任は一週間ほど昼休みごとに私の様子を見に来て、私がちゃんとクラスに溶け込んでいるのを見て安心したと言っていたようです。


 話は前後しますが、小学校低学年の頃、そういったリハビリには水泳が良いとどこか(自治医大?)で母親が聴いたらしく、私は小山市のスイミングスクールに通うことになりました。


 が、当時私は水面に顔をつけることすらできなかったらしく、泳ぐことなんてもっての外でした。当然なかなかプールに入ろうとすらしません。


 そこで先生が業を煮やしたのか、私を背負って私ごと何度も水に潜り始めました。水に顔をつけることすらできなかった私は当然ギャン泣き。


 その様子を見ていた母親が、『なんであんなに嫌がる子を無理やり引っ張り出してくるのかしら』という周りの声を他所に、スイミングスクールの事務所に、「あんな無理をさせるようだったらもう辞めさせてもらいたい」と直訴したそうです。


 ただこのとき事務員が、『今はツラいでしょうけど、ここで逃げたらあの子は一生泳げなくなりますよ?』と言われたらしく、そのまま見守ることにしたそうです。ここで母親は、『普段から見ている人と、そのときにしか見ていない人の反応の違い』を知り、事務員の心遣いに感動したと言っていました。


 その後、私は全然覚えていなかったのですが、みんなが楽しそうに泳いでいる中、私はプールの浅い場所で一人、水面に顔を浸ける練習を一生懸命していたそうです。


 当時の私は、負けず嫌いだったのか、自分が『やりたい!』と思ったことはできるようになるまでとことんまでやり抜くタイプだったのか……





 似たようなエピソードをも一つ。


 小学校4年生の頃、私は補助輪無しで自転車に乗ることができませんでした。そして進学先の中学校は自転車通学。


 そこで近所の子達と自転車に乗る練習をしていたのですが、やはり私だけなかなかうまく乗ることができずに、四苦八苦していました。バランス感覚が悪いのか、それとも漕ぐ力が弱いのか……


 そんなとき、上級生に少し高くなっている場所に連れて行かれ、そこで自転車に跨がって待機しているときに、後ろからどんと背中を押されました。


 押された勢いで自転車ごと坂を下った私は、倒れないように一生懸命バランスを取り、フラフラしながらもようやく自転車に乗ることができるようになりました。


 その様子を近所の家から見ていた母親の話によると、このときようやく自転車に乗れるようになったのがよほど嬉しかったのか、私は何度も何度もその坂の上から上級生に背中を押してもらい、バランスをとる感覚をつかめるまで何度となく練習していたようです。


 実はこのとき、私は全然憶えていなかったのですが、私が自転車に乗れないことを心配した母親が自治医大のかかりつけ医に相談し、リハビリのようなものをしていたようです。リハビリ好きだな私……。

 もっともこの練習で私が自転車に乗れるようになってしまった(?)ため、その後のリハビリはキャンセルになったようですが。


 それと同時期くらいに、ほぼ逆の経験もしています。


 体育の授業でクラスで縄跳びをしていたのですが、私一人だけがなかなか縄跳びを跳ぶことができず、担任の先生に私一人だけ授業から外れて授業を見学しているようにと言われたことがありました。


 この出来事も母親から後で聴いた話だった(私は全くといいほど憶えてなかった)のですが、実は続きと言うか、もっと詳細があり、私はそれまで学校でいじめられたことや不満など(ネガティブなこと)を母親に言ったことがなかったそうです。


 そこで慌てて母親が担任の先生に『うちの子供(私)がこんな事を言っていたのですが、本当ですか?』と確認したところ、その先生は非を認め、『申し訳ありませんでした。あんなことすべきでなかった』と謝罪してくれたそうです。私には直接謝罪してもらった記憶はありませんが。


 多分このことから、周りに否定されたくない・置いて行かれたくない、もしくは周りを否定したくないという思いが無意識に強くなったのではないかと思います。


 もちろんその他にも私の知らなかった私のエピソードはいろいろありますが、とりあえずはここまで。
 この情報を元に、周りの力も借りながら自分をもっと深掘りし、自分がどんな人間なのか、どのような価値観を持ち、どのような思考をするのかを追求したいと思っています。

 そして、そんな自分が今までに周りにどんな目で見られてきたか、どんな影響を与えてきたかを知り、長じてどんな影響を与えることができるのかを探っていきたいです。


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