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幸せの感じ方は人それぞれ


私なりの無価値観の捉え方


無価値感ってどこにでも湧いてきませんか?

私という人間に馴染んでいて、御用達の自然な感情でした。

そんなこと、気にしないって人もいると思いますが…
うん。まさに気にしないのが一番です( ´ ▽ ` )


無価値感って、コレって決まってないと思うんです。
幸せそうな人や容姿に恵まれてる人何でもできる人を見て、湧いてきたり思ってるようにならなかったなど、何にでも当てはまる感情でして…
使うほどに充満していく気がします。

冷静に考えてみれば、うまく行かなかったからとか素敵なSNSを見て自分を無価値って意味分からんなぁって笑ってしまいます。

無価値観とは重いけどボヤっとした感情。


幸せそうな人=幸せ

とは、限らないんだなって感じています。

捻くれて見てませんよ(笑)

何が言いたいかというと、パッと目に映る場面がとても華やかで幸せそのものに見えても、それが真実なのかはわからないということです。

優しい声の大好きな人がいて、現在も還暦の素敵な方です。

明るくて、両親も健在で、夫と娘と孫と犬に囲まれていて幸せを絵に描いたような面白くて明るい女性です。

素敵な♪ ばぁばですね。

まだ私が若い時に、母が亡くなった頃、娘と孫の写真がたくさん送られて着ていました。

私の母も、こんな人生だったらな…って考えたこともあります。

でも、実際はお酒を飲んでは泥酔し愚痴を吐いてるそうで、娘に電話で酷いことを言ったりすることもあるそうです。

水槽が割れて、お魚全滅するほどの酔い方をして、妄想まじりのことを話すこともしばしば。

私は、これを聞いた時またまたーって信じられませんでした(・・)

もちろん今も相変わらず元気で明るい素敵な方です。

人間なんだし悩みや葛藤があるとかそういう話しゃなくて、幸せって外にある物ではなく、自分の中にあるもので人それぞれ見方や感じ方が違うんだなって思っています。

私からすれば、4世代で旅行したりご飯たべたりするって人生でこの上ない幸せです。

羨ましいの塊ではないか(゜o゜)

そういえば、私も母や祖母と家族みんなで旅行したこともあるなぁーって思い出しました。

イヤイヤ行ってた時期もあったけど(笑)

それがどれだけ豊で幸せなことなのか、当時の私には1ミリもわかっていませんでした。

素直な目線だと、何でも気づきや学びに繋がる気がします。

幸せって普段の何気ない中にいくつもあって、それに気づいていて生きることが大切なんだなって気付きました。

もー!!って思ってることほど、実は幸せなことなんですよ。

そのことを、忘れていたり逃げていたりすると、心のどっかに罪悪感が居座って無価値感を生み出してるようです。

私の場合はですよ。

気づかないままだと、目の前から消えたときに晴天の霹靂のように気づかされて悲しみの泥沼にはまってしまいます。

でも、悲しみの泥沼にはまらなくても、今の幸せに気づくことはできる☆

最近は、無価値感がうっすらボヤっと出てきても、

あー出てきてる あー上がってきてる

って感じで気づけることも面白かったりします。

だんだんと、感じなくなってきて同じ場面に出くわしても何ともなくなります。

例えば、うまくできなかった自分もかわいいし、できる人を見て素敵だなに変化してきました。

比べるという意識が、そうさせるなら比べなければいい。

比べたところで、違う人ですし。

みんなそれぞれ価値があって光っていて唯一無二。


羨ましいと見てる現実は本当にそうなのかもわからないし、実際まったく同じように真似できても、内側に気づかないとそれが自分の幸せなのかもわかりません。

幸せは、自分の中にあります。


これに気づくまで、素直さのかけらもなかったかも(笑)

今も、気づいて行ってる途中なんです(´▽`*)

過去は変えられないけど、気持ちは変えられる。


昨日は昨日、今日は今日、明日は明日


湧いてくるなら、ありがとう の感情がいい☆





おやすみなさい☆良い夢を☆





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