どのような世界にいるのか 4



 今回もノーム・チョムスキー著『アメリカンドリームの終わり あるいは富と権力を集中させる10の原理』(寺島隆吉・寺島美紀子訳)から、原理4【負担は民衆に負わせる】をみます。

 原理4【経済の仕組みをつくりかえる】の要約は、以下の通りです。

 アメリカが大きな経済成長を遂げていた期間、即ち1950年代、1960年代は、金持ち個人に対する税金は現在よりもはるかに高いものであった。さらに、株の配当に対する税金はさらに高かった。

ところが、いまはそれが大きく修正され、超大金持ちに対する税金は低くなる一方であり、それに反比例して民衆への税金は増大化している。そのように税制が組み替えられてきた。しかも、株の配当には課税されない方向へと進んでいる。

 1950年代の富裕層に対する税率は90%、1970年代では75%、2000年、2010年代では約50%と推移しており、また、かつて国家税収の40%を占めた、株で大儲けした投資家からの税収は、いまでは20%以下に下落している。

 所得上位0.01%の者は、賃金・給料よりも、配当金・株式譲渡益が大きく上回るのに対し、下位80%の者は、賃金・給料がその年収のほとんどである。即ち、超富裕層の年収の大半は配当金・株式譲渡益によるものである。


 アメリカ最大級の銀行のひとつであるシティグループは、1980年代半ばから「プルトノミー投資目録」(プルトノミー=金持ち経済圏)を作りはじめた。
また、これは、レーガン大統領やサッチャー首相が超富裕層をさらに豊かにし、その他残りすべての人を貧困に追い込む政策を強力に推進した時期でもある。

 2005年にシティグループが発表した研究では、プルトノミー投資目録が市場で最高の利益を上げてきたことを指摘して、投資家たちにプルトノミーに投資を集中させるように呼びかけている。つまり、世界人口のほんの一部の人に富が集中しつつあるのだから、そこにこそ投資の焦点を当てるべし、ということである。


 60年以上も前に、ゼネラルモーターズ社GMの社長ウィルソンの「アメリカにとってよいことは、GMにとってもよいことだ。その逆もしかり」という言葉は、金融化と海外移転の経済という流れでは、まったく通用しなくなった。

 現在では、経営者の観点からは「国家の長期的な未来」よりも重要なことは、社会の一部の階層である。なぜならそのような階層の人たちが経営者に集中した特権を支えてくれるからである。

 先のシティグループの研究書では、貧しい大多数の民衆を「プリケアリアート=プリケアリアス(超貧困な)+プロレタリアート(労働者階級)」と名付けている。
いま世界にはそのような生活貧困者があふれている。毎日毎日の生活が不安定で、なんとかやりくりしていても、その多くが超貧困の中に追い込まれ、さまざまな点で生活難に襲われている。


 一方、シティグループは、投資家たちにプルトノミー(金持ち経済圏)だけに焦点を合わせよと忠告する。
 これは、世界全体が崖っぷちに向かって進んでいくのに、「世界の支配者」たちにとっては、そのことがたいした問題になっていないということである。

「より多くの利益を得ることができる限り、孫の世代がどのような世界に住むことになるのか、かまうものか!」これが、かれらの国家に対する姿勢を決めている考え方である。

 このような社会の分裂は、いまでは世界共通の現象である。

 グローバリゼーションは、世界中の労働者をお互いに競争させながら、特権階級や富裕層を守るようになっている。グローバリゼーションを推進しようとする政策は、従来の法律や政策の土台を掘り崩すものである。

 従来の法律・政策は、労働者にさまざまな権利や保護を与え、政策への意思決定にも参画できる方策を保障していた。すなわち、労働運動が大きな成果をあげるのに、非常に有益なものであった。


 さて、グローバリゼーションという負の流れに反撃するのには、大規模な大衆運動が必要である。そして、それを持続し拡大させ、意味のある大きな勢力に育てることは、果たしてほんとうに可能なのかと考えなくてはならない。

資料
「プルトノミー:世界経済の不均衡 商売するなら金持ち経済圏で」シティグループ 2005年10月16日

現在の世界は二つの経済圏に分かれている。一方はプルトノミー(金持ち経済圏)で、そこでは経済成長は、裕福な少数の人々によって活気づけられ、主としてかれらによって消費される。そしてそれ以外がもう一方の経済圏ということになる。

かつて世界でプルトノミーが発生したのは、16世紀のスペイン、17世紀のオランダ、アメリカでは「金ぴか時代(1865年の南北戦争終結から1893年の恐慌までの時代)」と「狂騒の1920年代」であった。

では、プルトノミーに共通する推進力は何なのか?それは驚異的なテクノロジー主導の生産性向上、型破りの金融革新、資本家に好意的で協力的な政府、世界規模の移民と富の創造に活力を与える海外支配、法の支配、そして発明の特許化。こうした富の荒波は、複雑に絡み合いながら、ともすれば、その時代の金持ちや知識層だけに甘い汁が流れ込むことになる。

・・・われわれの予測によれば、プルトノミー(アメリカ、イギリス、カナダ)では収入のさらなる不平等さえ見られることになるだろう。それらの国の経済に不相応な利益配分・収益増加をもたらすからである。その影響は資本主義者に好意的な政府に、さらに技術主導の生産性に、そしてグローバリゼーションに及んでいく。・・・

プルトノミーには「アメリカ人消費者」や「イギリス人消費者」や「ロシア人消費者」などといったものは存在しない。存在するのは金持ち消費者だけである。数はわずかであるにしても、かれらの収入と消費は不相応に巨大だ。かれらを除いた残りが「金持ちでない」大多数の大衆ということになる。しかし、かれらの取り分は、全体からすれば驚くほど小さな欠片にすぎない。・・・

さらに新興市場の起業家/金権階級。たとえばロシアの新興財閥(オリガーキー)、中国の不動産王/大工場主(タイクーン)、インドの巨大ソフトウェア産業の大物(モーグル)、ラテンアメリカの石油/農業界の男爵(バロン)である。かれらは、グローバリゼーションから不相応に利益を得ることで、発達したプルトノミーの資産市場に、さまざまな形で参入することになる。まさに「類は友を呼ぶ」の言葉通り、「プルトたち(金権階級)」はいっしょに外を出歩くのが好きなのだ。

その反動は起きるか?

・・・少数者の手に富と消費が集中するとしても、多分限界がある。伸びたゴムひもがパチンと切れるように。ではその原因になるかもしれないのは、一体何だろうか?・・・

ひとつの脅威は、潜在的な社会的反動である。・・・見えざる手が働くのを止めるのだ。社会がプルトノミーを許してきたひとつの理由は、かなりの有権者が、自分たちも「プルトのお仲間」になる可能性があると思っているからだ。それに加わることができるなら、なぜそれを潰すんだい?

ある意味では、これは「アメリカンドリーム」の実現だ。しかし、自分たちは参加できないとわかったとき、金持ちになることを望むよりはむしろ、俺たちを食いものにしてかれらが儲けた富の分け前を俺にもよこせ、と言いたくなるだろう。
プルトノミーの死は、アメリカンドリームが死んだときか、それとも社会の大半が自分たちも参加できるとは信じなくなったときか?答は、もちろん、その両方である。

・・・われわれの最終結論は、プルトノミーへの反動は、ある時点で、ほぼ確実に起きるということだ。だが、それはいまではない。
原理4【負担は民衆に負わせる】の要約は以上です。以下は私見です。



「少数者の手に富と消費が集中するとしても、多分限界がある。伸びたゴムひもがパチンと切れるように。ではその原因になるかもしれないのは、一体何だろうか?」
この問いに対する答えを決めるのは、本来民衆であるべきですが、この傾向を促進している人々が予め想定しています。

 民衆の敵を「共産主義」であるとか「DS」であるというお話は、本当の敵が作り出した「敵の像」なのかもしれません。誘導されている可能性があると感じます。資本家階級の人々は、つねに、労働者の力が強くなることを警戒し、共産主義に対しては、厳しい攻撃をしてきました。

 さて、
 共産主義とはどういものなのか?
 社会主義とは何なのか?
 民主主義とはどのようなものなのか?
これらの問いに真摯に向き合って答えられる人は、驚くほど少ないのではないでしょうか。わたしたちは、これらのことを漠然としたイメージでしか捉えていないのではないでしょうか。

 また、ある人物を救世主のようにして崇める風潮が一部の人たちに見られます。本当にその人物のことを知っているのでしょうか?適度に流布している情報を盲目的に信じ、それを自身の願望に合わせているだけということはないでしょうか?

 民主主義、共産主義も資本主義にも関係なく、いつの時代にも特権階級が存在し、他の人々から搾取してきた厳然たる事実があります。(搾取のみならず、略奪、強奪もありました。南北アメリカ大陸、オーストラリア大陸、ニュージーランド、西インド諸島、、、そして今も搾取は形を変えて行われています。)
 不当な搾取の撤廃、是正こそが、健全な社会に向けて求められるものでしょう。

 金融操作による儲けは、本質的には無産的なものです。富が富を生産するシステムを構成かつ規制しているのは、紛れもなく富裕層です。富裕層の作ったカラクリ=金融操作は、ある意味富裕層の既得権益ではないでしょうか。
 どんな理屈をこねて正当化しても、圧倒的な富の集積には嫌悪感を催せざるを得ません。

 巨大な会社の経営破綻に際して「大きすぎて潰せない=too big to fail」という理由で、庶民から集めた金=税金で救済する現状では尚さらです。

「利益は自分のもの、失敗はみんなのもの」
 この言葉が、原子力発電、金融危機、そしてワクチン被害について、そのまま当てはまります。この好ましくない状況を作り出した者たちこそが、民衆が闘わなくてはならない相手ではないでしょうか。

「中国共産党」が悪いなどと短絡的な断定ができないことは、少し考えればわかるはずです。ただし、監視の強化、人権の制限に対しては、つねに警戒、注意する必要があると感じます。

 今後、倫理的な側面を無視したものは、滅んでいかねばならないでしょう。そのためには経済的得失よりも倫理面における義しさ(ただしさ)を重要視できる人間に、人々が熟していく必要があります。

 喫緊の問題としては、どうしたらこの「一部の人々にだけ都合のよい社会」をよりあるべき好ましい社会に改善していくのか、ということなのですが、その答えは私には分かりません。

 理性、知性、感性をはたらかし、自身に与えられた力を発揮していくよりほか、道が見えません。



 ここまでお読みくださりありがとうございました。

 次回は、原理5【連帯と団結への攻撃】をみていきます。

 





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