【医学部再受験】独学1年で国立の医学部に合格した話
はじめまして、再受験医学生のsaiと言います!
社会人を退職後、1年間で国立医学部に合格しました。
自分も受験期にはよくnoteで再受験生の記事を読んでいたので、自分もかいてみようかなーと思った次第です。再受験生の方の参考になれば幸いです。
①簡単な経歴
高校〜浪人時代
地元の偏差値50くらいの私立高校に進学し、普通の学校生活を送ります。ただ宿題は基本やらず、家に帰ってからはオンラインゲームに精を出す日々を送りました。休みの日は最高14時間くらいやってました。これを勉強時間にしていれば!!と今になって何度後悔したかわかりません。当然成績が良いはずもなく、模試では大体偏差値50くらいをうろうろしていました。
現役では前期・後期共に地方の国立大を受験し全落ち。私立大学は「マーチくらいなら受かるやろ〜」と勉強してない奴にありがちな根拠のない自信を持って受けにいくも当然全て撃沈。マーチを舐めすぎ。普通に難関大ですよね。ここで初めて「あ、俺って全然頭良くないんだ…」と悟ります。
ちなみにセンター試験はたしか63%でした。
その後、宅浪で苦しみながらもなんとか成績を上げ、センター試験で73%をとることができ地元の国立大学の理学部に入学します。ちなみに全然有名な大学ではありません。偏差値的には50くらいの大学です。
大学〜大学院時代
大学入学後は、サークルに精を出して部長をやらせてもらったり、初めて彼女ができても女の子の扱いが分からず1ヶ月で振られたり、大学の勉強の難しさにヒーヒー言いながらも卒業まで漕ぎ着けます。
そして就職はせずそのまま同じ大学の大学院に進みます。ただ、これがめちゃくちゃキツかった…。
自分は実験系の研究室に所属していたため、夜中だろうがなんだろうが装置が動いていれば寝ることはできず、3日間ほぼ徹夜で実験を終えたらそのままデータの解析をし、そしてまたすぐ次の実験に取り掛かる…のような生活を2年間送りました(たぶんどこの大学院も似たようなものだと思いますが)。
それでもなんとか学会でそれなりの発表をすることができ、修士論文を気合いで書き上げ無事大学院も卒業しました。今思うとこの頃身につけたスケジューリングの方法や自己管理能力などが再受験に役立ったような気がします。
社会人時代
大学院卒業後、社会人として働き始めます。休みもあまりなく、忙しめの職種で仕事としてはかなりハードでした。ただ忙しいながらもやりがいや周囲の人たちのおかげでそれなりに楽しく働けました。
ただこの頃には将来医師として働きたいなーっと心の中である程度決まっていて、同時にお金を貯め出しました。医師を目指そうと思ったきっかけは結構複雑なので、機会があればいずれ書きたいと思います。
受験資金がある程度貯まったところで意を決して退職。その後1年間の受験勉強を経て国立大学の医学部に前期で合格しました。
②受験
受験の準備
医学部再受験を始めるにあたって、退職する年の1月に「自分ってどれくらい点数取れるんやろうなー」と思い2021年の共通テストをコピーして解いてみました。解いてみた結果がこちら。
うーん、長いこと勉強から離れていたにしてはそこそこ…?
とはいえ医学部に合格するためにはまったく足らない点数です。特にまずい科目が3つほどありますね。
国語は現役、浪人時共に120点を超えたことはありません。それくらい苦手でした。ただ医学部を受けるなら最低でも160点くらいまでは上げないといけません。
数学1Aが低い。ほんとに元理系なのか?と思われる点数です。一方、2Bは数学の勉強に時間がかかることを見越して仕事をしながらちょこちょこ解き進めていたこと、この年がかなり簡単だったこともあり良い点数でした。
化学はもうチンプンカンプンでした。理論分野の一部だけはなんとか解くことができましたが、他は全くダメでした。現役時は一番の得意科目だったので知識の抜け具合に愕然としました。
さて、自分の現状が分かったところで1年間の戦略を立てることにしました。このとき以下のことに気をつけるようにしました。
これらは過去の受験や読んだ受験本から学んだことですが、実践して本当に意味があったなと思いました。自分は勉強時間より計画や勉強内容の吟味にかなりの時間を割いていて、間違いなくこれが合格した最大の要因だと思います。
①志望校をはじめに決める
まずはじめに志望校を決めるところから始めました。自分の得意・不得意として
という特徴があったので、二次に理科があり、かつ数学の配点が小さく二次があえて難しい大学をあえて探しました。この時点で候補になりそうな大学を2つに絞り、それを目安に計画を立てていきました。
②1年間で使うを参考書をあらかじめ決めておく
当然後になって必要となる参考書は出てくるわけですが、とりあえずメインに使っていく参考書を決めることで自分がこれからどれくらいの勉強量をこなすのか、自分の到達点がどのあたりか見通しが立つようになりました。
③使う参考書の数は極限まで絞る
これは一度目の浪人生活で学んだことで、当時は参考書を買い漁る参考書マニアでした。参考書を分野ごとに買い揃え、1、2周やったら次の参考書へ…成績が伸びなかったらまた別の参考書へ…と大してやり込まずに冊数だけこなしていました。1浪時、勉強時間に対して成績があまり上がらなかったのはここが原因かなと思い、今回は1冊集中の決意で取り組むことにしました。
④参考書は最低5周する
自分は記憶力が特段いいわけでもないので、およそ解法を覚えるには最低でも5周は必要かなと思いました。あらかじめ5周する予定で計画を組むことで、月にどれくらいのペースで参考書を進めていけばいいかがわかりました。
最終的にどの参考書も6周以上やりました。多いものだと10周以上やっています。
⑤参考書のページ数をもとに毎日のノルマに落とし込む
自分は月毎の計画を立てた後、直近1ヶ月の一日にやるべきページ数や問題数を日割りで出しました。こうすることで計画に無理がないか、どの教科に一日何時間割くのかがわかるようになりました。また一日にやることが決まっているおかげで、今日は何をやろうかと考える手間が省けました。
ちなみにどんなふうに計画を立てていたかというと、下のようにエクセルで各参考書の周回ペースを決めていました。もちろん予定通りに行かないことも多く、あくまでペースメーカーとして用いていました。
こうして自分としてはガチガチに準備を整えて、来るべき来年の受験に臨むのでした。
春(4〜6月)
さて、三月で仕事を辞めいよいよ受験生活に突入します。浪人するとなれば予備校か宅浪かの2択になると思うのですが、自分は迷わず宅浪を選びました。
理由は、予備校はお金が高い、自分の計画通りに勉強できないなどです。
自分は大学の学費+αくらいしかお金を貯められていなかったので、年間100万近くかかる予備校に通うのは現実的ではありませんでした。
また予備校に通うと授業を取らなくてはならないため、自分で立てた計画通りに進められないという点も敬遠した理由の一つです。
加えて、今は昔と違って優れた参考書やスタディサプリ等の映像授業も充実しているため、そもそも予備校に通うメリットが薄いと感じたためです。
結果として自分は最寄駅の近くにある自習室を契約し、ここで1年間のほとんどの時間を過ごすことになりました。
4〜5月の自分は燃えていました。仕事を辞めて一気に勉強時間が取れるようになったこともあり、一日11〜12時間ほど勉強していました。
この時期はとにかく時間のかかる数学と完全に忘れている化学をなんとかしようと思い、大部分の時間をこの2教科に費やしました。また英語も勘を取り戻さなくてはいけないため、空いた時間に進めていきました。
この頃から受験が終わるまで、毎日勉強を始める前に今日行うノルマを手帳に書き込んでいました。自分がやるべきことを可視化するというのはモチベーションを保つ上でも大事だと思います。
さて、1ヶ月勉強して5月の中旬に初めての模試がありました。このときはまだ1ヶ月しか勉強していないので、今回は点数が取れなくても仕方ないだろうとは思っていました。
しかもこのとき受けた駿台atama+模試は全統模試より難易度が高く偏差値も出にくいため、そんなに期待せず受験しました。
実際に受けた結果がこちら。
第一志望はD判定、第二志望はC判定でした。
駿台atama+模試は理数系が難しく作問されている傾向があるとはいえ、数学の偏差値を見ると50そこらなので、やはり数学が課題だなあと思ったことを覚えています。
英語は段々と勘を取り戻し始めており結果はまずまず。国語は今の段階ではこれだけ取れていれば十分という感じでした。化学は理論分野の習得がまだ間に合っておらず、急いで行わねばと感じでいました。
さて、この模試の結果を受けてさらに数学に注力して勉強を進めていきました。青チャート1A2Bも大体2周くらいはできて、数学に対して自信がついてきました。
化学も理論分野の勉強は順調に進んでおり、6月の上旬にある全統共マーク模試ではきっと高い点数が取れるだろうと胸を躍らせていました。
まさかの584点(64.8%)…。なんと過去最低の点数を取ってしまいました。
このときはあまりのショックに生まれて初めて悔し泣きをしてしまいました。自分の努力はなんの意味もなかったのか…。模試の採点を終えて数日は凹んだまま過ごしていました。
そしてその後に受けた記述模試の結果がこちら。
第一志望はE判定、第二志望はD判定…。自分の実力では医学部にはまったく届かないと突きつけられた感じがして、この結果は本当にキツかったです。
しかし、勉強の結果が出るまでには最低でも3ヶ月はかかるという言葉を思い出し、なんとか気持ちを立て直して勉強を再開しました。
夏(7〜9月)
7月はとても苦しい時期でした。このまま成績が上がらないんじゃないか、自分のやり方は間違っているんじゃないかと疑心暗鬼になっていました。
この時期の勉強時間は、およそ9時間程度。4〜6月に飛ばしすぎた結果心身ともにガタがきている感じでした。
また、8月に家族がワクチン接種をして体調を崩し、その看病をせざるを得なくなったため勉強できる日も不定期になっていました。
そして、前回の雪辱を払うべく8月の全統マーク模試に臨みます。
やりました!!過去最高得点です!!記入した志望校はすべてA判定!!
偏差値70以上などこれまで取ったことがありません。これまでの自分の努力が報われたと感じた瞬間でした。
そして記述模試の結果は…。
順調に成績が上がっています。特に英語と数学が伸びたのが嬉しかったです。ただ、化学の偏差値が前回よりかなり下がっていますね。なんだか悪い兆候が出ているような…。
第1志望はC判定、第2志望はB判定でした。「もしかしたら今年行けるのでは?」などと甘い考えを持ち始めていましたが、結果的にこれが慢心につながりました。
加えて9月に入り、今度は自分がワクチン接種をすることになり思いっきり体調を崩しました。ここで勉強習慣が一度崩れてしまい、それを取り戻すのに苦労しました。
秋(10〜11月)
さて、10月に入りましたがあまり勉強時間を確保できず、平均8時間程度でした。予定では二次試験の過去問演習に進むことになっていたので、数学と英語の演習に入りました。
自分が第一志望にしていた大学は数学だけが医学部専用問題で、かなり難易度が高いです。解いてみると、簡単と言われている年で6割、標準と言われている年でもせいぜい半分が限界という感じでした。
英語は全学部共通問題なのですが、それでも全国的に見ればやや難という難易度で決して高得点が狙えるような問題ではありません。自分で解いてみても良くて7割、平均6割程度という感じでした。
過去問は復習ノートを作り、難しすぎる問題以外は解答を再現できるまで解き直しました。
11月の全統共通模試では勉強時間が減ったこと、勉強に身が入らなかったこと、また二次の過去問に傾注したことが如実に現れる結果となりました。
前回から80点近く点数が落ちてしまいました。第一志望はC判定。
この結果は本当にショックでした…。勉強が手につかず2日間くらいぼーっとしてしまったのを覚えています(そんな暇ないはずなのにね)。
さて続く記述の結果は…。
幸いなことに記述の方は順調に伸びていました。第一志望はC判定。
化学に不安は残りますが、数学も順調に伸びており、ぎりぎり今年の合格も狙えるかもしれないという偏差値でした。
冬(12〜1月前半)
12月に入り、勉強内容も共通テストに全振りすることになりました。勉強時間は約9時間。
この時期は、とにかく1日にこなすノルマをきっちりと決めて、それ以上のことはやらないようにしました。理由は、あれもこれもと手をつけてしまうと不安になると考えたからです。
ノルマが終わったら、さっさと寝るか、ちょうど放送していた鬼滅の刃を見ていました。
ただ、これが正しかったのか自分でも分かりません。
共通テスト本番<1日目>
あっという間に共通テストはやってくるもので、前日は18時には勉強を終えスタバでゆっくりコーヒーを飲んでいました。
ただ、やはり明日で1年間の結果がでると思うと緊張するもので、布団に入ってもなかなか寝付けず結局3時間程度しか眠れませんでした。
会場は現役、浪人時と同じ地元の私大でした。周りはみんな10代くらいで、おそらく自分が最年長だったでしょう。若干浮いていました。
最初は得意な倫理ということもあり、落ち着いて試験に臨むことができました。
しかし、次の国語の試験が始まり、いつものように漢文を開いた瞬間に違和感を感じました。
過去問と全然違う…。
七言絶句などの知識問題が出題されており、動作の主語を選ばせる問題など新傾向の問題が出題されていました。
慌てて古文に目を通しましたが、こちらも今までとは設問の内容が変わっている印象を受けました。
正直本文の内容が頭に入ってこず、なんとか古文漢文を終えた時点で既に50分ほど経過していました。
現代文に移るも選択肢が絞りきれず、半ば勘で選び試験終了。
国語に絶望しながらも、やるだけやって帰ろうと英語を受験し初日は終了しました。
共通テスト本番<2日目>
1科目目は数学1A。過去最高難易度と言われた回でした。
数学1Aが終わった後、教室全体の空気がどんよりとしていたのを覚えています。教室によっては泣き出した女の子もいたそう。本番であんな難易度の問題が出されたら泣きたくもなります。自分もまったく歯が立ちませんでした。
数学2Bは1Aに比べればまだマシで、数列の問題以外は大体解くことができました。
物理、化学もいつも通りといった感じで大きな失敗はなさそうでした。
帰宅後、なかなか採点する気が起きませんでしたが、覚悟を決め22時ごろから採点を始めました。
国語の採点時はバツがつくたびに手が震え、点数を見た瞬間には泣きそうになりました。
数学1Aも思った通り点数が悪く、今年はもう無理かなという感じでした。
例年であれば医学部受験のボーダーには全く足りず、足切りラインという点数でした。
しかし、数日後に出された各予備校のボーダーを見ると、地方国立大ならボーダー75%と書いてあるではありませんか。
河合塾のリサーチの結果では、第一志望はC判定でボーダー上かつギリギリ定員に収まっている感じ。
第二志望はC判定で上から30番目/50くらいでした。
ここから一週間は本当に悩みました。第二志望で出願した方が勝率が高いんじゃないか…。でも倍率が上がったら簡単にひっくり返される…。
悩んだ末、出した結論は
後悔するくらいなら第一志望に突っ込む!悩む時間が無駄!
ということでした。
後期は二次の配点が比較的大きい大学に出願しました。しかし、倍率が40倍近くまで上昇し、自分は足切りを食らってしまいました。
二次試験まで(〜3月)
共通テストの点数をもとに、自分が二次で何点取れれば良いか皮算用をしました。共通テストが難化し例年より合格点が下がることを考慮すると、自分が当初目標としていた点数を取れば合格者最低点に届くことが判明しました。このときの勉強時間はおよそ9時間。
ここからは、英語と理科に大きく力を注ぎました。数学に比べれば簡単で、得点が大きく見込まれるからです。
このとき初めて二次の化学と物理を解いたのですが、思っていたよりも難しく焦りました。問題を読むだけでなく、数年分解いてとおくべきだったと後悔しました。
不安に押しつぶされそうになりながら、毎日耐え凌ぎました。自分は国立前期一本勝負だったので、不合格=もう1年を意味しており、まさに背水の陣でした。人生でこのときほどプレッシャーを感じたことはなかったです。
二次試験前日
受験校が遠かったため、前々日には飛行機で現地入りしていました。
もはやあまり勉強はせず、ホテルでゆっくりとしたり、現地の名物を食べたりしていました。
前日の夜は手薄になっていた物理の分野を数問だけ解いて寝ることにしました。
二次試験<1日目>
まず数学の試験から始まりました。やはり例年通り難しく、大問の1つは解き切れたものの、残りの3つは半分までしか解くことができませんでした。手応え的には、部分点がもらえたとして50%くらいだろうという感じでした。
続いて英語の試験は、英作文はよく書けたものの、その他の手応えが全くなく正直ダメかなと解答用紙が回収されるときに思っていました。感触的には50%あるかないかだったと思います。
最後の物理と化学の試験は拍子抜けするくらい簡単でした。化学に関しては全統模試よりずっと簡単で、学校の定期考査程度の問題でした。
物理はなんと前日に解いていた問題がそっくりそのまま出て、全体で1ミスしかしていないという奇跡が起きました。理科は合計で90%くらいはとれているだろうという結果となりました。
二次試験<2日目>
2日目は面接で自分は最初のほうでした。
面接では
といったありきたりなことしか聞かれず、10分程度で終了しました。
しかし、再面接に呼ばれている人も全体の1割くらいはおり、その人たちは高確率で落ちていました。
合格発表
前期終了後、ほぼ落ちているだろうと思っていたため来年度の計画を立てていました。来年は塾に通った方がいいかなと思い、ネットで見つけた塾に連絡を取って話を聞いていました。
合格発表当日は一人で結果を見るのは怖かったため、友人に頼んで一緒にファミレスに来てもらっていました。
発表時間になってもなかなか掲示されずヤキモキしたのを覚えています。
「まあ、落ちているだろう…。でも、万が一の確率で受かっているかも…。いや、そんなわけない…。落ちたら来年はどうするんだ。」
頭の中でぐるぐるとこんな考えが巡ってしまい、合格発表が掲示されてもなかなか開く決心がつきませんでした。
友人に励まされながら勇気を振り絞り、合格発表のファイルを開きました。
すぐに目に飛び込んできたのは、自分の受験番号。
受かった…。
受かったことが信じられず、受験番号を何十回も確認しました。
それと同時に、これまでの辛かった1年間が思い出され、涙が止まりませんでした。月並みな表現ですが、本当に人生で一番嬉しかったです。
すぐに親に報告すると、親も泣いて喜んでくれていました。息子が突然仕事を辞め医学部受験をすると言い出したのですから、親も相当不安だったのでしょう。1年間何も言わず、ただ支えてくれた親には感謝の念しかありません。
また、元同僚や友人たちからも祝いの言葉をいただき、本当に感謝しています。
受験を終えて
正直に言って自分は運がよかったです。でも、運だけで受かったかと言われればそういうわけでもありません。合格したのにはやはり理由があると思います。
自分がこの受験を通して大切だと思ったことについてまとめたいと思います。
・勉強時間を確保する
これは当然ですね。勉強しなければ成績は上がりません。基礎学力がある人でも1日8時間は確保しないと厳しいのではないでしょうか。
ただ、10時間以上の勉強を毎日するのはお勧めしません。人間は必ずバテるからです。無理して続けると上手くいかず自己肯定感も下がります。
勉強のコツは細く、長く。マラソンと同じです。
・計画を立てる
これも勉強時間と同じくらい大切です。上手くいっている人は全員立てている印象です。計画を立てることで行き当たりばったりの勉強ではなくなりますし、自分の到達点が見えるようになります。また、一番の利点はやる気に頼らず勉強出来るようになることです。やる気に頼って勉強すると1、2ヶ月で限界が来ます。勉強は生活の一部にしなければいけません。
・自己分析をする
これも受かっている人はとても優れている印象です。日々自分のやっている勉強に無駄はないか、もっと効率的な方法はないかを常に考え、それを計画に反映しています。また、自分の得意・不得意をよく押さえていて、自分が有利に戦える志望校を手堅く選んでいる人が多いです。
・強い忍耐力
勉強を続けていると、毎日同じことの繰り返しで必ず飽きてきます。しかし、飽きてからの勉強が本当に伸びる勉強だと思います。なぜなら反復した内容だけが、本番ですぐさま取り出すことができる知識となるからです。
同じことの繰り返しは非常に強いストレスになります。これを耐えるには強い忍耐力が必要になるでしょう。自分も何度も気がおかしくなりそうになりました。でも、一番必要なことです。耐えましょう。
・適度に休むこと
人間は全力で走り続けることは出来ません。休んで次の週の勉強効率が上がるのであれば思い切って休んでしまいましょう。自分は毎週日曜日の夕方はオフにしていました。休んだ次の日は明らかにパフォーマンスがよかったです。
以上が私の合格体験記になります。
思い返せば非常に苦しい日々でした。ですがその一方で、毎日夢に向かい孤独に勉強する自分をどこか誇りにも思っていました。毎日自分の人生を精一杯生きている感じがしました。
医学部再受験は残酷です。勝てば官軍負ければ賊軍です。たった数点の差でも、落ちた人と受かった人では結果に天と地ほどの差があります。しかし、それでもやると覚悟を決めたのであれば、突き進んでほしいと思います。決して楽な道ではないですが、天才でなければ成せない道ではないと思います。特に再受験生は他の受験生とは違い、強い覚悟を持って受験に臨んでいる人が多いです。その初心を忘れず、ひたむきに毎日この道を歩いていけば、かならず合格という道に繋がっているはずです。どうか頑張ってください。
2022.5.1
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