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「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済 小川さやか

 勉強や仕事は辛いけれど、今がんばったら後々楽ができる。将来のために生活を切り詰めて貯蓄する。「未来」を計画的に考え、そのプラン通りに生きるため、「今」を犠牲にして必死に働く。

 資本主義社会を批判的に考える人たちは、「今ここ」の私たちを無視するようなシステムや制度を糾弾し、理想の社会を語る。本書も大きな括りで言えば、資本主義を批判し、別の社会のあり方を提案している。ただ、他の資本主義批判者たちとの大きな違いは、決して資本主義のシステムを否定しないところにある。その理由は、筆者のバックグラウンドである、文化人類学の特性(※1)でもある。プロローグで、筆者の立場が端的に示されているので引用しよう。

 文化人類学はこの世界に存在する、私たちとは異なる生き方とそれを支える知恵やしくみ、人間関係を明らかにする学問である。私たちの社会や文化、経済それ自体を直接的に評価・批判するよりも、異なる論理・しかたで確かに動いている世界を開示することで、私たちの社会や文化を逆照射し、自問させるという少々回りくどい方法を採る学問ともいえる。

 文化人類学者である筆者は、十数年に渡ってタンザニアの零細商人の商売、社会関係を調査し、自らも行商人として商売を行った。その実践と調査から明らかになったのは、私たちが想像する資本主義経済とは別のあり方「Living for Today(その日暮らし)」であった。Living for Todayとは、直訳すれば、今日を生きることである。字義通り捉えれば、私たちは今も、今日を生きている。明日何が起こるかは分からない。いまこの瞬間を生きていることは、私にとってもあなたにとっても当たり前のことだ。
 その一方で、冒頭に書いたような「未来」のための「今」を私たちは生きている。もらえるか分からない年金を払い、今の仕事を辞めたら(普通のレールから降りたら)もうおしまいだと思い込んでいる。だからこそ、その日その日のために生きている人を見て驚き怯え、内心羨ましくも思うのだ。

 本書の内容に戻ろう。タンザニアの商人たちは現代のグローバル経済を上手く利用した、独自の経済システムで動いている。その領域は、主流派の資本主義経済に対して「インフォーマル経済」として近年注目を集めている。
 インフォーマル経済では、資本主義の論理を背景に持ちつつも、直接対面の交渉、顔の見える人間関係を軸として経済が回る。顔の見える関係と言っても、ハートウォーミングな助け合いの関係ではなく、騙すか騙されるか、いつ裏切られ、出し抜かれるか分からない緊張感の上に成り立つ商売関係である。しかし、彼らの感覚は一般的な資本主義経済、お金を介して世界中の匿名な人々と関わる感覚とは異なっている。例えば、「借り」の感覚も、私たち資本主義的な(フォーマルな)借金の感覚(※2)と微妙に異なっている。

 彼らの中で「借り」は絶対に返さなければいけない「負債」ではなく、余裕があるときに返す「小さな借り」に過ぎない。「小さな借り」を集団の中で循環させることで、その日その日の暮らしを回しているのだ。お金を持っている時には奢るし、反対に誰かから奢ってもらうことで生き抜く日々もある。
 彼らは、長期的な視点で一つの専門性を高めたり、将来のために公的な保険に加入したりしない。そのように安定した仕事がない(どんな商売もいつ騙され、失敗するか分からない)、公的サービスがない(彼らの商売は法的にグレーゾーンのため国家を頼れない)という実情もある。しかし、そこで彼らは未来の安定性を目指すのではなく、どんどん新しい仕事に手をつけ、人間関係を広げることで、まず、その日の暮らしを成り立たせようとする。

 このような戦略をとれる背景に、「自由参加型困った時はお互いさまの論理」(できる人ができることをする論理と呼んでもいい)があったように思う。彼らは、頻繁に借金のお願いをするが、取り立てることは滅多にない。困ったときに助けを借りるのは、過去に自分が貸しを与えた人間ではなく、「今ここ」で貸す余裕がある人間なのだ。日本的な共同体としての強い結びつきがある集団(参加強制型の困った時はお互いさま)というより、個々が独自にバラバラに動く前提がありつつ、誰かがピンチの時には、その時余裕のある人間が助けることでまとまる集団(自由参加型困った時はお互いさま)のように見える。外からまとまっているように見えるだけで、実際は個々ができる範囲でできることをする、という事実が積み重なっているだけである。
 これは、一見不安定なセーフティネットに見える。安全安心を保証してくれる国も会社もないのだ。まして家族や親戚にすら裏切られるかもしれない。しかし、共同体がある程度大きければ、誰か助けてくれる人間がいる。彼らはグローバル経済のシステムを使って、世界中の仲間たちとSNS等でゆるくつながり、「今ここ」のその日暮らしの論理によって発展してきたのだ。

 私たちの暮らしと、地球の反対側、最貧困の人々の暮らしに共通点を見出すのは難しいかもしれない。明日の仕事、明日の食事が見えない生活を送る人の割合は、タンザニアほど高くないだろう。しかし、どんなに合理的・計画的な生活をしている人にも「その日暮らし」の感覚はある。どんな人間も「今」を生きているし、「今」をないがしろにしている感覚は誰しも感じたことがあるはずだ。

それでも私たちは
「そうは言ってもお金は必要」
「真面目に働かないといけない」
「やっぱり将来が不安」
とつぶやき、また主流派の社会へと戻っていく。

 そういう言葉でなかったことにされていたその感覚は、資本主義の論理と真向から対立するものではないことを筆者は主張したのだった。「その日暮らし」は強かに、資本主義の論理を利用して生き延びる可能性があることを本書は示唆している。タンザニアの商人たちは、SNSや電子通貨といった資本主義によってもたらされた技術を使う。しかし、それらによって効率性や計画性を高めるのではなく、様々な商売にどんどん手を出す。商売の場所がタンザニアの露店から世界中に広がっただけである。彼らは今日の生活をするため、その日その日を生きるため、グローバル経済を利用するのだった。

 注意すべきことは、あくまで本書の事例は東アフリカ諸国の文化、つまり彼らが培ってきた人間関係のあり方をベースとして生まれた資本主義の「利用法」であり、日本にそのまま転用できるものではないということだ。プロローグの引用で述べられていたように、文化人類学とは、あくまで別の社会やあり方を提示することで、私たちの社会のあり方を捉え直すための道具箱(※3)にすぎない。
 より具体的な政策の提言や社会運動を目指す場合には、今の日本社会に合った方法を考える必要がある。日本に適用できそうな経済活動としては、地方の商店街や市場などが思いつく。地域に密着した商売、直接対面して交渉するときに存在する暗黙のルール、独自のやり取りに着目するのも面白い。こうした視点から、資本主義を否定しない、日本の「その日暮らし」の可能性を切り開けるかもしれない。

※1 同じ文化人類学者である、デイビッド・グレーバーは、かなりはっきりと資本主義社会を否定し、別のあり方(アナーキズム)を強く推し進めている。彼の場合、文化人類学者よりも社会運動家の色が強く、運動の指針、理念の基盤として文化人類学を「利用」していると見た方が良いと思う。

※2 ここでは、資本主義的な貸し借りを一般的な意味での互酬性として考えている。ギブアンドテイクの論理、助けてもらったら助けて、そうでないなら助けない、という考え方のことを指す。つまり、タンザニアの零細商人たちの世界にギブアンドテイクを強制するような考えはほとんど見られないのだ。

※3 道具箱としての文化人類学に関心がある人には世界思想社の「文化人類学の思考法」が面白いと思う。

おすすめ文献

◯小川さやか「チョンキンマンションのボスは知っている」春秋社
エッセイ調で「その日暮らし」よりもかなり読みやすい。分量は多いものの、内容的にも洗練されている。
◯デヴィッド・グレーバー「アナーキスト人類学のための断章」以文社
人類学というよりも、社会運動論として読んだ方がいいと思う。エネルギーに満ち溢れた本。先日著者急逝のニュースを見て驚いた。非常に残念です。
◯松村圭一郎「うしろめたさの人類学」ミシマ社
別の社会のあり方を提示するという意味で、非常にまとまって読みやすい本。貸し借りや負債の感覚について人類学的に考察されている。

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