「差別はいけない」とみんないうけれど。 綿野恵太
準備運動が必要な本がある。綿野恵太による「『差別はいけない』とみんないうけれど。」が出版されたのは2019年の夏。当時ちょっと目を通したけれど、しっくりこなくて読むのをやめてしまった。
あれから2年、何だか読めそうな気がして、手に取った。内容はだいたい飲み込めたと思う。きっと準備運動が済んでいたから。
この本は、色んな人の理論(ピース)を並び替えて整理している。だからピース自体を知っていたら、話の流れが分かりやすい。
でも、そのピースは、歴史、政治経済、心理学、社会学、認知科学の混ぜ合わせ。引っかかる部分がないと、パズル全体が見えにくい。引用される人たちとは、偶然この数年で出会っていたから、読みやすくなったのだと思う。
そういうわけで、この本から初めて差別について考えてみるのは難しい。でも、大切なことが書いてある。頭の整理も兼ねて、この面白さを紹介してみよう。
この本のテーマはちょっと複雑だ。一言で言えば、「『差別をなくそうとする人』に反対する考え方を理解すること」だと思う。
黒人差別や女性蔑視などに対して、差別をなくしていく活動をしていたら、必ずそれに反発する人たちがいる。例えば、「黒人ばかり優遇している」「他の人の権利が侵害されていて公平ではない」といった意見が出てくる。こうした「『差別に反対する人』に反対する意見」はどうして出てくるのか、丁寧に考察したのがこの本の面白さであり、それは読みにくさにも繋がっている。
しかも、著者自身がはっきりとした立場や主張を提示していない。結局何が言いたいの?となってしまう。この点は、僕も少し不満。でも、簡単には言えないことを扱っているから、仕方がない。自分だって、はっきりした意見を持っているわけじゃない。
さて、タイトル通り、みんな「差別はいけない」と思っているし、差別に反対する活動はたくさんある。それなのに、どうして差別はなくならないのだろうか。むしろ私たちは「差別はいけない」という意見や活動を、鬱陶しく思うことさえある。
例えば、Twitterでは「ツイフェミ」は侮蔑的なイメージがある。「女性の権利を守ることには賛成だけど『ツイフェミ』の意見は理不尽でやりすぎではないか」とか。
障害者に対しても「障害があるからといって何でも許されるわけじゃない」とか。
生活保護を受けている人には、もっとストレートに「大変さはわかるが、本人の怠慢でそうなったのではないか」といった声もある。そして、今もある差別に目を背けながら、科学や法律の言葉を並べたて、差別を維持し続けようとする人がいる。
健康で普通で多数派の人たちには、モヤモヤと反発感がある。つまり、弱い立場にある人たちが受けている支援やサービスを「特別扱い」とか「優遇」のように感じる時がある。どんなに論理的な言葉を並べても、その背後には何となく「ずるい」という感情がある。
これこそが「差別に反対する人に反対する人」が生まれる原因の一つだ。ここまでを押さえておけば、とりあえずスタートラインに立ったと思う。とにかく問題が複雑なので、ここで一区切り。
今回のポイントは2つ。
差別は良くないって思っているのに、差別を無くそうとする人たちにモヤモヤすることってあるよね。
「差別に反対する人」に反対する人たちの気持ちは、「お前たちばっかりずるい」から始まっている。
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