聴者との会話について
少し前にろう者との会話について、自分の悩みを書いた。
日本語のできるろう者は、僕に合わせて日本語寄りの手話表現をすることが多い。
僕が聴者で、日本手話を使えていないから自然と切り替えて、日本語対応手話っぽい表現をしてくれるのだろうという話だった。
そういえば、自分もろう者と近い立場になることに気づいた。
手話初心者と喋るとき、僕も自然と手話を切り替えている。「ろう者⇔自分」の関係と「自分⇔手話初心者」の関係には似たものがあるんじゃないかな。
ろう者が僕に合わせてくれるように、僕は手話初心者に合わせて手話をする。
日本手話的な表現(CL、NM、空間活用した表現等)を使った方が早いし楽なので、特に何も考えず自然と出てしまうのだけど、これが初心者にはまあ、本当に通じない。
手話を始めたばかりなら、分からないのは当然。なるべく日本語に寄せて、ゆっくり手話をしている。
(ちなみによほどのことがないと音声は付けない。そりゃ聞こえる人間同士喋るのが1番早いし、話が通じたら手話も分かった気になってしまう)
最初は分からなくて当然。いきなり早い手話で話しかけたり、「その手話は間違ってる!」みたいに厳しく評価せず、ゆっくり付き合っていきたいと思っている。
自分が通ってきた道だからね。
こういう感覚が「ろう者⇔自分」と「自分⇔手話初心者」でも共通してあるように思う。
ただし、ネイティブとして手話を獲得した人と、第二言語として習得した僕では見えている世界が違う。
さらに細かく言えば、ろう者やコーダと呼ばれる人の中にも「自分は日本手話のネイティブなのか」「自分の母語は何か」といったことで悩む人が多くいるので「ろう者=ネイティブ(母語話者)」とも言えない。
難しくなりそうなのでこの話はこの辺で。
手話初心者との関係を考えていたら、また別の難しいなあと思う関係がある。
「日本語対応手話が染み付いている聴者」との関係だ。
これもまた長くなりそうなので、また次回に書こう。
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