#3 「何故介護を続けられたのか」
何故、荒れた環境下の中で逃げ出さずに家族を纏めようと必死になっていたかというと、「母が一番大切にしてきた居場所だから」この一心でした。
母の兄弟は5人くらい居たのですが全員10代のうちに死に別れ、生き別れていて私も今でもよくわかってないのですが複雑みたいで探偵を雇って探したこともあったみたいです。
母の母、私のおばあちゃんは早くに自殺し亡くなってしまっていたのでそれを聞いていた私は「母を失いそうな今、絶対離れない」と心から想ったのです。同じような思いはさせたくない、と。それに強く囚われていましたね。。。
あと母はとても性格が良い。これが一番で倒れたからといって卑屈になる訳でも豹変する訳でもなく私の知ってる「母」のままだからだったと思います。なので、本当に母は凄い人で私も母みたいな親になりたいと自分と向き合う人生です(^O^)
それに私は学生時代長く親に迷惑かけて苦労させていたので、単に私に返ってきたんだなと受け止め向き合いました。因果応報というのでしょうか?
そして24歳という若いようで少し大人な年齢でこの出来事は私にトラウマを残してしまったようで、今でも精神年齢は当時のまま止まってしまったかのように思います。
「母に甘えたい」「母の手料理が食べたい」「母と出かけたい」「母と菜の花摘みに行きたい」
「母に洋服買ってあげたい」「母に甥っ子抱かせてあげたい」「自由な人だから旅行連れていきたい」
毎日そんな事を思いながら、夢に元気な姿の母が私に笑いかけて出てきた時は涙止まらずそのまま死にたかったです。もう一緒に笑いあって歩けない夢がどれだけ残酷か。
倒れる前日、母が出掛けると言うのを止めていたら
血圧高い事に生じる病気のことを知っていたら
もっと家族をだいじにしていたら
と、後悔ばかりで自分を責め続け声殺しながら母を抱きしめたりしていました。そして2人で泣く。笑
でも自分を責めても現実は変わらないので母と私だけでも良くなっていくように前向く努力をしました。母が好きだった料理を片っ端から作って喜ばせようとしたら逆に「ごめんね」と泣かれたりw思い出の場所に連れて行っても「覚えてなくてごめんね」と泣かれたり、それと同時に「ありがとう」の言葉も言ってくれます。多いです。嬉しいんだって伝わります( ・ᴗ・̥̥̥ )
「いいんだよ、私が覚えてるから」と母に言って静かに泣く。大人の青春かよ!と自分を無理やり面白おかしく捉えさせてました。
家の中のことは全部母がやっていたのでトイレットペーパーやラップのストックが何処にあるか、ゴミ袋は何処にあるか、洗濯用品やそういった事も何も分からないアホでした。マジの箱入り娘です(照り)
なので私は正真正銘の「大事なのは失ってから気付く」を経験しました。
自分の周りの全てを当たり前だと思っていて。私は変わっても周りは変わらないと思っていた愚か者でした。
「もしも時が戻るならば願いますか?」
お願いします、心から願います。
でも母が私を前向きに大切に育ててくれたので「人より早く人生経験を詰んでいる!」「甘ちゃんで世間知らずな私に現実を知らせてくれた!」「将来この経験や気持ちはプラスになる!」と捉え今も感謝しています。
毎日の介護、大変です。だけどケアマネージャーの方の支えやデイサービス行ってる間の時間、三時のおやつを一緒に作る時間、季節の花を買って食卓に、玄関に並べ一緒に成長を見守ったりそんな日々が穏やかで。
母が倒れる前の私ならこんなこと今でも出来てなかったと思うのでどんな形でも感謝です。充実は自分で作れるのだと学びました。
もう72歳くらいですかね、だからもう「倒れた時のような後悔」「やっとけば良かった」の後悔はウンザリなのでこれからどれだけ一緒に過ごして行けるかと前向きに捉え、自分の目に見える、見えてるのだけを大切にしています。
考える必要はありません。考えるから難しい。とりあえずやってみる。自分がその立場ならならどうされたいか、そしたら少しずつ自然に動けていけたりします。
あと本気で暗い気持ちに向き合わない
「なんとかなるっしょー」となんとかならなくてもそう思考を放棄するのも自分を守るのに大切です。
焦燥感に見舞われたらとりあえず料理何品も作る!そしたら時間も経っていて数日分、楽できたり
趣味に逃げるのです。これ1番大事\(^o^)/
趣味がない人は掃除しましょう。カーテン変えたり、模様替えしたり動く動作が重要です。たぶん!笑
それでも面倒臭い、動けないなら、何もしなくていい。何かしなきゃとかも思わなくていい。「やらなきゃいかないけどまぁいいや」「今日の自分は人と関わらない」
逃げたい時はとことん!中途半端に逃げるからつらい。
私は上記のこと全てやりました。前回の記事に書いたように父と兄が自己中すぎたので全て2人に私にした事をやり返し、存分に堕落しました。
でもそれは私に家族がらいたからです。高齢者同士の介護だった場合、子供達が近くにいないと丸投げできない
孤独、だったり。
そういう時は泣きましょう。
私も今描きながら泣いてます。泣いてください。
人は喜怒哀楽、自由なのです。迷惑かけないのです。
次回は「介護してる時のショッキング」について綴っていこうと思ってます。
ここまで読んでくださった皆様ありがとうございます。
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