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UPG→VPG→Lore 神秘体験のレベルを表す英語
久しぶりにあるテーマを英語でネットを調べました。
翻訳を本気でしていると、こういう背景調査をどう切り上げるかで仕事の速さが左右されます。
辞書の訳語が物足りなかったり、フレーズなどは、訳語のニュアンスを探し日本語の類語辞典をあたり続けてしまいます。
さらに比較的新しい言葉、英語での定義すら掲示板などほうぼうで喧々諤々やってるものは、日本語の訳語も固まっていなくて、もうドツボにはまります。
今回でてきたそんなドツボな言葉が、神秘体験のレベルを表す3つの言葉でした。
UPG
SPG
Lore
相当大雑把にわけて、この三つになります。
見るとほかにももっと細かく分かれてるのですが、興味のある方はこのあたりを参照するとよくまとまっているようです。(英語です)
もしあなたが英語掲示板の荒海に船出して、このあたりの言葉に出会ったら、今一つ英語圏でも定義が固まり切ってないと念頭にいれておくとよいと思います。
このような西洋の魔法愛好家たちの視点を少し取り入れて、不思議体験にもレベルがあることを念頭にきくと、別の楽しみかたができると思います。
UPG
UPGは Unverified Personal Gnosisの略です。
Unverified: 実証されていない
Personal: 個人的な
Gnosis:霊的知識
未確認飛行物体のようにむりやり訳すなら…未実証個人神秘体験、はいかがでしょうか。
Gnosisはギリシャ語の「知識」が語源のようですが、みんなが言う「神秘体験」に近いものがあるように感じます。グノーシスそのものが神秘な言葉ですが、国会図書館の資料は以下のように解説しています。
「キリスト教と同時期に地中海世界で興った宗教思想運動。〈グノーシスgnosis〉はギリシア語で知識を意味するが、ヘレニズム宗教思想の場合意味が限定され、人間を救済に導く究極の知識をさす。グノーシス主義もこの流れに属するが、それと別に既成の世界に対する鋭い批判を含んでいる。」と記載あり。 ーレファレンス協同データベースより
SPG
Shared Personal Gnosis:共有された個人の神秘体験。
共有神秘体験、というとすっきりするでしょうか。
UPGが、あくまで自分だけの体験であるならば、これは数人が体験を共有するものをいいます。
たとえば、ATLASラジオでとっても怖かった関西支部のみうさんの話。
宿直で金縛り→院長ぐるぐる体験は、みうさんだけならUPGですが、みうさんが他の看護婦さんたちに話したところ「あ~、あなたのところにも出たのね!」となるのはSPGです。
ここからVPGが派生します。Verified Personal Gnosis です。
VPGは「実証された個人神秘体験」です。英語コミュニティでは、何を「実証された」とするかについて、みんなの意見が固まり切ってないように見えます。
Lore
最後にLore。
土地の言い伝えや昔話もLoreと呼ばれるように、「伝承」という訳が固定されています。
伝承となってようやく、神話や妖怪のように、時代と世代を超えて語り継がれるという地位を確立するようです。
実例
まとめます:
あーあ、昨日寝たあの部屋で幽霊見ちゃった! ← UPG
ええっあなたも?!実はわたしもこの前あの部屋に泊まったら見ちゃったよ。デブで禿げててぐるぐるまわってた? そうそう! ← SPG
「この病院だった建物には、夜泊まると、金縛りになり、見える人にはデブで禿げた白衣の男性が見えると言われている」と、山口敏太郎著作物などに掲載される ← Lore 伝承
おまけ:オカルトに惹かれる理由
こんな言葉を見ていると、霊にも、私たちのいる三次元世界でのステータスがあるように思えてきます。
私の印象ですが、霊として人に見られるようになったりし続けるうちに伝承ステータスを勝ち取って、みんなが怖がることでエネルギーを得て、より三次元世界で有利になり、好きなことができるようになるのではないでしょうか。
妖怪について詳しい敏太郎先生がとっても納得できる解説をされてます。
人が死んで何かのながれでその場所にとどまり、幽霊となる。
その人を知ってる人たちが生きてる間は「XXさんの幽霊」だけど、そのうちみんな死んでしまうと、単なる「霊」になり、そのままその場にとどまり続けたものが「妖怪」伝承になる。
だから妖怪も昔は人であったかもしれない、とおっしゃってます。
「スープ」という映画のモデルになった、中国の「生まれ変わりの村」を取材した本には、死んでそこらを歩いていると陰陽師が通りがかって成仏させられてしまったとか、そんな(自分が)霊体験もありました。
輪廻が証明されていない、と学者さんたちはいうかもしれません。
死んですべてが終わりだっていう証明もされていません。
なので、どっちもありうると、心をオープンにしていろいろ勉強しといたほうがいいと思うのです。
死んでも、万が一意識が残り続けちゃったらどうするか、そんなことを考えてしまってオカルトから目が離せません。
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