最近時間を見つけては赤岩栄という人物の研究に勤しんでいます。

国会図書館や赤岩が牧師をしていた現・代々木上原教会や日本基督教団宣教研究所に行ったりキリスト新聞を購入したり知人の方に図書館で記事をコピーしてもらったりして文献や史料を集めて読み漁っているんですが、なんだか読めば読むほど分かってくるというより分からなくなってくる感覚を抱いています。

簡単にいうとどの記事や論文や史料を信用したら良いのかいろんな文献にアクセスすればするほど迷いが生じている状態です。どうやってまとめるか、その方向性を自分の中で確認しないといけないと感じていて、そのことを整理するためにこの文章を書いています。

まず赤岩栄という人物研究ですから彼自身が書いた文章は大切ということは分かります。彼は教会の牧師としての働きと共に文筆活動も積極的に行なっていたのでたくさんの文章が残っています。なるほどそれらを読めば彼の思想が分かってきます。でもふと立ち止まって考えるんです。

「書いてあるからと言って本当に彼の思想にまで深められ彼の生き方にまで染み渡っているか分からなくない?」

「人間なんて口では、あるいは文章では何とでも言えますからね」

そう斜に構えた私の中の私がそう囁いていて、それももっともなことだなあと思うのです。

だからこそ本人が書いた文章であっても半信半疑で向き合い、文章だけでなく他にも証拠となる本人の言動や本人の言動に触れた周りの反応を集めてから判断することが大切だなと思う次第です。

本人の書いたものに加えて大切な文献は赤岩に影響され何らかの反応を示した人々の文章です。赤岩の教会の人たちやいわゆる弟子のような人たち、友人、知人、先輩後輩など赤岩の言動に触れて何らかの反応を示した人たちの文章は大切です。

でもそれらの文章も注意して取り扱う必要があります。なぜなら中立、透明な意見というものはありえないからです。赤岩の姿勢に賛成する人、反対する人と立場が分かれ、その視点から物事が客観的というよりは主観的に語られるからです。その中で反対する立場の人すら認めている赤岩の良さや思想、そして賛成する立場の人すら認める赤岩の弱点こそが真実に近いのでしょう。

また今回の人物研究で大事にしたいと思っているのは肩書きを持っていない人の赤岩の回想です。これまでの赤岩研究、赤岩評を読むと赤岩に対してどこぞの大学教授や教員、牧師、神学者、聖書学者など肩書きのある人たち、あるいは男性による文章ばかりが紹介されています。隅谷三喜男、井上良雄、北森嘉蔵、笠原芳光、田川建三などなど。

私が今回取り扱おうと思っている文献の一つに元上原教会の信徒が書いた赤岩や上原教会に関する本があります。彼女は教会の目の前の家に住み何年間も礼拝、祈祷会、修養会と休まずに出席していましたが赤岩の共産党入党決意表明前後の言動によって上原教会から離れ、同じように「上原教会を脱出」した信徒たちと共に西原教会(現千歳船橋教会)を設立しました。その経緯が書かれた本を取り上げます。

これまでこの本はどの研究や赤岩評にも取り上げられていません。確かに内容的にはゴシップのようなものも多く含んでいます。でも赤岩は教会の牧師でしたから、私は彼が働いた教会の一信徒が彼の言動によってどんなことを感じたのか肯定的な反応も否定的な反応も明らかにしていくことは赤岩栄の人物研究にあたって必要な作業であると確信しています。

これまでの赤岩研究では上原教会の信徒であり東大助教授でもあった隅谷の文章や赤岩の友人で当時「神の痛みの神学」を提唱し気鋭の神学者と見做されていた北森嘉藏の文章は取り上げられてきましたが、そういう人たちの文章だけでなくより多様な文献に触れたいと思います。

赤岩自身が書いた文章の研究と彼の言動によって影響を受けた人たちの反応を肯定的なものから否定的なものまで、また難しくて理屈っぽいから俗っぽくてゴシップのようなものまで幅広く取り扱います。

また史料研究から実証的に取り扱うことのできる事柄として赤岩が所属していた日本基督教団における赤岩の言動に対する対応とその経過、処分についても明らかにしていきます。日本基督教団という組織において赤岩の言動がどのように取り上げられ、検討され、どういった手続きを経てある対応や処分がなされたのかを明らかにしてそこに問題はなかったかを検討し、また処分される赤岩の側にも手続きの過程で問題はなかったか目を向けたいと思います。

以上、取り止めなく自分の備忘録として今思うことを書き記しました。

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