見出し画像

仕事と報酬:与えること、頂くもの。

これまでに、こまごまと、
ボランティア活動を
経験してきました。

日本、カナダ、アメリカで。
内容は、その時々に
興味のあったこと、
チャレンジしてみたい!
と、感じたもの。

楽しそうか、
そうでないか。

やってみたい!か、
そうでないか。

それだけの基準で、
選んできました。

今は、
統合医療のクリニックで、
靈氣のボランティアを
させてもらっています。

~~~~~~~~

これまでに経験した
無償のボランティア活動では、
有償での活動に比べると、
自分の仕事に対する期待値が
そう高くない部分がある
気がしていました。

少々のミスをしたり、
多少、物足りない
仕事ぶりだったとしても
許されるかな?…みたいな。

だからといって、
手を抜く訳ではないけど、
かといって、
本業(有償の仕事)と
同レベルの本気度や熱量で
取り組むこともできない
中途半端さが、いつも
自分の中にありました。


では、今やっている
靈氣のボランティアは
どうなのか?。。。

~~~~~

1セッションの中で、
施術人として
1人のクライアントを
担当するのですが、
クリニックのスタッフは、
ボランティアの施術内容に
口出しはしません。

※そこに来られる方は、皆
深刻な健康状態にあるので、
私のようなボランティアは、
対面施術の時間内だけは
自由に行わせて頂きますが、
その前後では、
スタッフや医療のプロが
クライアントの一人一人を
サポートされていて、
きっちり運営されています。


私の場合、まだ未熟者で、
正直なところ、
こんな深刻な場所に来て、
施術などといった名目で
活動させて頂いても良いのか?
最初はかなり迷いました。

でも、スタッフの方々から
元気づけて頂いたり、
アドバイスをもらったりして、
なんとかこれまで
ヨチヨチ進んでいます。
(今も迷いつつ、進行中。)

ボランティアとして
対面での施術をする時は、
いつも少し
緊張してしまいます。

相手の方の
健康状態を考えると、
うかつなことは言えないし、
私の勝手で動くことも
できないから、とにかく、
与えられた時間、
ほんの僅かの時間を、
少しでもリラックスして
過ごして頂けることだけに
専念し、取り組んでいます。

もし私が緊張してしまうと、
相手の方にも
それが伝わってしまうから、
なるべく頭を空にして
落ち着いた気持ちで、
向き合うよう心がけます。

ほんの1時間程度の時間を
どのように過ごしたら、
クライアントにとって
それが少しでも安らいだ
癒しの時間になるのだろう?

相手の方を通して
多くの事を感じ、
学びをいただき、
反省することだらけです。

なので、施術後に
自分を暴走させてしまったら、
毎度、反省からくる
後悔の気持ちで
いっぱいになるでしょう。

でも、もし自分に
それを許してしまったら、
私のセッションを
受けて下さった方の、
その施術時間にまで
 (過去に遡って)
ネガティブな影響が
及んでしまいそうなので、

今は、反省はしても
それを引きずらず、
反省により気づけた事を
次に生かせる
学びへと転換するよう、

自分の中での反省会を
前向きに終えようと、
努めているところです。

施術者になろうなどとは
考えた事が無かったので、
心の準備もできていなくて、
毎回、戸惑いと反省だらけ。

でも、
クライアントの事を思うと、
反省を後悔に落とし、
過去を悔いるモノにする事は
許されないと思うのです。

いま頂いている学びの多さが
どれ程なのか、今の私には
とうてい想像もつきませんが、
頂ける出会いの一つひとつに
感謝の気持ちを感じます。

そんな中で最近、
1つ、気づいた(気がする)
ことがありました。

それは、

私が癒しを
「与える」ことで、

私に癒しが
「与えられている」

という事です。


自分が!自分が!

「私が」
「やってあげる」んだ!

といった気持ちが、
自分の中に強く
あった日の帰り道、
私は、
とっても疲れていました。

ひどい時は、数日に渡り、
疲労感が続くことも
ありました。

右も左も分からなくて、
「頑張るぞ~!!!」と
めっちゃリキんでしまい、
ついつい基本を忘れ、
「私が」
「自分の力で」
施しをしている、

ような気持ちになって
いたのだと思います。

これでは何かが違う!
と思い直し、

先生に教わったことを
思い出して、

頭の中をカラッポに、
靈氣の源泉は私ではなく、
もっと大きな存在なのだ。
私は単なる橋渡し役なのだ。
ということを念頭に、
ぼーっと手を置くことに
専念しつつやってみたら、
あ~ら、不思議!

私が疲れることはなくなり、
逆に私自体が癒されていて、
癒しを頂いているのは、
実は私だった…という。

あれ~?!

癒しのボランティアを
しにいって、

私の方が
癒しを頂いて帰るって、

あたしゃー詐欺師か?!

と、

ちょっと申し訳ない
気分になったりすることも、
少なくない今日この頃です。

~~~~~

その昔に経験した
無償のボランティア活動で、
ちょっと生ぬるいような
気がしていたのは、
実は、私自身の真剣さが
足りなかったからなのかな?
と、今は感じています。

どんな時も、
どんな場面でも、
誰といる時でも、
自分の最大限を尽くそうと
目の前の事に取り組んでいたら、

「ちょっとくらい」
「ま、いっか~…」などという
甘ったれた気持ちになることは、
なかったのだろうな。

なんというか、
癒しを頂くだけでなく、
過去の自分に対する反省や
気づきまでも頂いている
このボランティア活動が、
本当に有り難いと感じます。

~~~~~

「仕事をする」とは、
事を成して誰かに仕える事。

誰かに仕えたその先で、
私に与えられるものが
報酬なのだとしたら、
報酬の形態が、お金だけに
限られることはないでしょう。

そして、もし
誰かに仕えるよりも前に
報酬のことを
 気にしてしまったら、
本来、成すべきだった事から
遠ざかってしまうことに、
なるかもしれません。

よって、その事によって
与えられるはずであった
報酬をも逃してしまう…。

有償・無償にかかわらず、
いま与えられている仕事に
全力で取り組むことを、
忘れないようにしたいです。

今ココにいる私は、
何をすべきで、
誰に仕えるべきなのか?

「仕事をする」とは、事を成して誰かに仕える事。

もし、次に道に迷ったら、
この質問に戻ってこよう。

「今ココ」の時間に、
退屈さや物足りなさを
感じてしまった時は、

今、私は、目の前の事に
全力を尽くしているのかな?

と、自分に問いかけて
みようと思います。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?