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#自選10短歌集2023 の話


新年明けましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いします!!

さて、短歌の話をするためにnoteを開設してみました。
せっかくなので、初めては2023年の自選10首のことを書こうと思います。

色はお任せにしてみました。
ヘブンリーブルーというらしい。天上の青。


星が燃え尽きる間際の煌めきが一番綺麗であってたまるか
普通の人が百年かけて燃やす燃料をアイドルとしての十数年で一気に燃やしているから、アイドルを辞める時はすっかり燃え尽きてると思う、とじゅりちゃんが言っていたことから。
そのくらいの気概を持って熱く生きてゆく姿が好きだし、美しいと思うけど、それ〝だけ〟を賛美して消費したいわけではなく…という短歌です。
私はアイドル短歌を作るとき、重くて暗いだけのものにはなるべくしたくないなと思っていて、それはいくら煌びやかな世界のそうでない部分にスポットを当てたとしても、結局私はアイドルが好きだ、という結論に至るからです。罪悪感だけを抱えているなら私はアイドルを好きではいられない、勝手に誰かの偶像に夢を見ていることの仄暗さに自覚的でありたいとは思うけれど、その上で私は自分が持てる精一杯の健全性と共に、アイドルが好きと言いたい。短歌もツイートも、私はそういう気持ちでアイドルについて考えて言葉を発しています。

薄皮の饅頭に満ち満ちとある餡子みたいだ君の脳みそ
温泉饅頭のやわらかな丸みにじゅりちゃんの後頭部を思ったりします。空洞なんて少しもないほどにお饅頭に詰まった餡子のやさしい甘さに、じゅりちゃんの脳みそだなぁと考えたりもします。こわい話じゃないよ?

愛する、を可とされたのでかわいいと言っております君はアイドル
アイドルとして人前に立つということには、本当に様々な仕事が含まれています。歌なのかラップなのかダンスなのか喋りなのか顔なのか。自分のどんな部分を好きになってくれたのかは人それぞれだと思うけど、好きになったところを好きなように応援してね、と言ってくれるのがじゅりちゃんで、許しを得た私は満を持してじゅりちゃんから感じ取る「かわいい」を日夜叫び続けているというわけです。

「鈍感に振舞うべきを敏感に見極めるのがアイドルなのだ!」
アイドルに必要な3箇条のうちの一つに〝敏感かつ、鈍感でもあること〟と挙げていたじゅりちゃん。じゅりちゃんって……ほんとうに凄まじいアイドルで……………

たとえばの話お前と行く先が地獄だとして何を戸惑う?
一万字インタビューで「このグループの舵を取る権利も義務もジェシーにあると思ってる」「最後は全部ジェシーが決めてるし、決めさせてる」と語っていたじゅりちゃん。トラジャが留学した時にすごい決断だよねという話をする中で自分たちならどうかということを「みんなが…てかお前(ジェシー)が行こうって言ったら俺は別に行くけど」と言っていたじゅりちゃん。空中ブランコの相方にジェシーを選んだ理由を「もし俺が最悪の事態になっても、ジェシーのミスならまぁいいかなって思える気がする」と答えていたじゅりちゃん。ZAZYのコスプレをして「メンバーの中で優劣はないですけど、僕の中でジェシーが言うことをやってもし死んだとしてもいいやと思ってる、ジェシーを守ることになって死んだとしてもいい」と真剣に述べていたじゅりちゃん。じゅりちゃん…

ステージの彼は綺麗と微笑んだ 生白いワットロンクンの腕
タイにあるワット・ロンクンという仏教寺院を画像検索してみてください。花道を挟んで無数の白い腕が掲げられている図が、どうにもアイドルから見える景色のように感じられて、独特な冷たさと恐ろしさのあるその光景すらアイドルたちは「綺麗だね」と言ってくれるんだろうなぁ、の短歌です。

君はかわいいのだとてもそのことを君が知らないとこもかわいい
自分の魅力を9割方自覚しているアイドルの〝わかってる〟振舞いが好きだし、そんな人の残り1割の無自覚さに撃ち抜かれてめろめろになっている日々です。
じゅりちゃんは本当にかわいいけれど、自分の何がそんなにかわいいのかあんまりちゃんとわかってなさそうで、そんなところもかわいいぜ…と思っています。

時間差で星の死を知るのと同じだけの遠さに甘えてしまう
私たちが見ている夜空の星のひかりの中には数万年以上前のものもあるということ。私の好きなアイドルはどちらかというと親近感や連帯を感じさせることに長けた人たちだと思いますが、それでもやはりアイドルとファンの間には越えられない壁があって、その距離感が故の隔たりが妙に心地よかったりもします。

たましいを可視化したなら さぞ柔い色をしているだろうね君は
じゅりちゃんは、いつも細部まで気を遣いながら慎重に言葉を紡ぐ人です。それはじゅりちゃんがやさしいから、と単純に言ってしまうこともできるけれど、一方で「人見知りでネガティブで色々気を遣いすぎてしまう。炎上も怖い!」「自分の少しはっちゃけたというか、自我の一個いったところの発言とかを切り取られるのも怖くて…自由にすることが、怖いんですよ」と言っていたことも絶対に忘れたくなくて。
Aを褒める時にBを否定するわけじゃなくてね?と必ず言い添えるところ、俺が知らないだけかもしれないけど…とか、俺が勝手に思ってるだけなんだけど…から話が始まるところ。毎週生放送のラジオに出続けているじゅりちゃんの口から咄嗟に紡がれる言葉は絶えず配慮に満ちていて、その瞬発力の高さに触れるたび、私は深い尊敬の念を抱く。と同時に、端々に〝誤解されたくない〟という意思を感じて、きっとそれは利他的なやさしさだけで生じるものではなくて、ある種の怯えの感情が欠かせないように思います。
じゅりちゃんのたましい、きっと淡く繊細な色をしている。

ささやかな祈り最後の夢がただ 続きますよう、続きますよう、
初めてのドーム公演、アンコールの最後に歌った『彗星の空』が本当にとんでもなく〝SixTONESの煌めき〟そのもので、このままでは歌詞を全文引用して喋り倒してしまいそうなのですが(みんな調べてください。何卒)、私が特に大好きだなぁと思っている一節「彗星の空 願ったものは『最後の夢が続きますように』」を詠み込んだ一首に自選10首のラストを飾ってもらいました。
「一度散った筈の未来図」を「『もう一度だけ』そう言って追いかけた」おかげで辿り着いた〝最後〟のこの夢が永遠でありますように、ではなくてあくまでも続きますように、と願うのがSixTONESらしいというか。安易に甘やかな永遠を誓わないところがすごく誠実だと思うし、だからこそ切実な祈りとして響く。一分一秒でも長く、彼らの夢が続きますように、と、私も心の底からそう祈っています。

…ここまで書いていたら一つ思い出したインタビューがありました。
23年5月のステナビで「全員が死ぬのか、その途中なのかはわからないけど、いつかはSixTONESが終わるタイミングが来る」「それがいつかはわからないけど、でもどんな結果を迎えているにしろ、死ぬ直前に人生を振り返った時に『自分はどんな人でしたか?何をしてた人ですか?』って聞かれたら、多分俺は『SixTONESです』って答えると思う」という話をしていたじゅりちゃん。改めて、とんでもない人を好きになったな、と背筋がしゃんと伸びる感覚があります。

私はやっぱりじゅりちゃんの思考が好きで、それを教えてくれるにあたって選び取られた言葉が好き。そんなじゅりちゃんの熱を燃やす対象がアイドルでありSixTONESであるという事実を、今年も大事に抱きしめていようと思います。


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