日記20230916 お高い靴下

 昨日は大学に行くのをサボってしまったので、今日の午前中から大学に行って、ゴリゴリに作業をするつもりだった。つもりではあったんだ。
 結局寝るのが遅くなってしまって、休日の義務である「健全な睡眠時間を確保すること」を優先すると、起きた頃にはすっかり昼だった。

お高い靴下

 研究室の同期の誕生日プレゼントに買ったスポーツ用の靴下の件だが、実はその後、自分用にも同じ靴下を色・サイズ違いで一足買ってしまっていた。魔が差した。悪い物欲だ。買ったからには履いてみよう。新品のお高い靴下を履いて、大学へと向かってみる。
 すごい。全てを上手く説明することはできないが、なんか疲れづらい。というよりも、「本当はこれくらいやりたいのに疲れちゃって動けないや」から、「ちゃんと予定通りに動けたぞ」に変わる感じ。うまく伝わっているか分からないけど。
 私は足の外側に重心がかかりやすい。その証拠に、靴底は変なすり減り方をする。足首をグキッとやりやすいだけでなく、足の力がうまく伝わらないというか、何かしらの効率が悪くなっている。
 でも、この靴下を履いたら、それがごく自然に補正される。無理にグイっとひねられているのではなく、何も考えていないのに、歩いている時のデフォルトの角度が自然に治っているのだ。正しく歩けているので、一歩踏むとちゃんと進むし、余計な疲れや痛みも無い。これ、本当に良いやつなんだな。そう思った。Twitterで見た「疲れやすい人ほどお高い靴下を履け」は本当だったのかもしれない。

↑ 買った靴下はこちら。買えというわけではない。リンクを踏んで頂いても、私には1円も入らない。これだけ言及したからには紹介しなきゃいけないかなと思っただけ。靴下としては高すぎる。

本屋

 研究室に着いたのが遅かったので、水槽の掃除くらいしかしなかった。大学の最寄りにある本屋、そういえば行ったことが無いな。さっき立ち話していた他学科の友人をdiscordで誘って、大学の出口で待ち合わせて、一緒に本屋に行った。特に何か買ったわけではないけど、ぐるっと一周見て回った。

女児本

 子供向けの本のエリアに昔からある、女児向けのこういう本。友人は純男(シス男性のスラング)かつ男子校出身なのでこういったものは全く知らなかったらしい。

↑ こういうやつ。

↑ 私と同年代なら、こっちの方が見覚えがあると思う。こういう
デザインの本、沢山あったよね。これでも2015年出版なので世代はかなり違うけれど。

 本の中身は、ファッションとかヘアアレンジとかに加え、生理のこと、ブラのことや、社会のマナーやSNSのルール、友達との付き合いについても書いてある。本によっては、手紙のデコり方やネイルやおまじないについても書いてある。

 本をペラペラと見ながら、こういう本ってどうしてあるんだろうという話をしていた。念のため言っておくと、夜の21時くらいに行ったので、周囲に子どもは居なかった。あくまで私の意見だけど、いわゆる「女の子」は思ったよりも早くファッションに興味を持ったり、そういう「かわいい子」がクラスの中心人物になっていくけれど、反抗期も同時に来てしまうので、保護者や先生の声が届かなくなるのも早い。だから、こういう「女の子のニーズを満たしつつ、一線を踏み越えたダイエットなどをしないように正しい知識を提供したり、ついでにマナーやルールも紹介する」という役割が必要なんだろうなと思う。

 こういう本の男児向けバージョンはあるのかな?という話をしていた。私も友人も、そういった本の存在は知らない。そもそも、男児はブラをつけなくていいし生理も来ない。自分の身体の成長に伴ってライフスタイルがそこまで変わらないので、そういった本が必要になるほど、男児が持っておくべき知識は少ないのかもしれない。”男女の脳の違い”という概念はあまり好きではないけど、それでも女児の方が精神的成熟が早いというのはなんとなく納得がいく。更に、女児の人間関係の面倒臭さは私も身をもって知っているので、こういう本は特に女児に必要なんだろうなと思う。

 ちなみにそれらの本があった棚の下の段に、「男の子のなぞなぞ」という本があった。女の子が人間関係の不安、ファッションへの興味、思春期の身体の変化への困惑などの様々な感情をない交ぜにして例のキラキラした本を読んでいる間に、男児は「フィールドにあるパンはどんなパン?」「審判(しんぱん)!」みたいななぞなぞをしているらしい。それは言い過ぎだが。もちろん、女の子向けのなぞなぞの本もあった。どっちもチラ見したけれど、あまり違いは分からなかった。強いて言うなら、男児向けの方が言葉遊び要素が強いというか、単語と文字に依存している度合いが高くて、単語の裏のコンテクストにはあまり依存していないように思える。強いて言うならだけど。

↑こういう記事もあるらしい。

補足:色違いとか買って大丈夫なの?

 ちなみに、女子に買った誕生日プレゼントの色違いを自分用に買うのは気持ち悪いのでは?と思った方はいるだろうか。そういう考えもまた正しいのかもしれない。しかし、我々の間柄はOKらしいので安心してほしい。この前誕プレを選んだ時にも「そもそも私達は元々色違いを持ってるんだから全然気にしない、モノが良ければありがたく頂く(要約)」と言われていたし、実際に渡した日に一緒に開封して「その靴下私も買おうかな」と言ったら、いいねいいね買いな!といった感じだった。
 その同期と私はそもそも服のサイズ感や色の好みがちょっと似ていて、特にユニクロで買った服は、偶然の色違いやお揃いが珍しくない。私があまり着なくなった服をいくつか研究室に持って行って、「もし実験で服が濡れたらここに置いてある私のシャツを着替えにしてもいい」と言っているし、彼女(三人称)もそれを嫌がっているふしはない。万一ビチャビチャの姿で実験から帰ってくるようなことがあったら、本当に私の服を着るんだろうな。
 というか、彼女(三人称)は私がトランスなのを知ってるので、普通の男としては見られていないんだろうなというのもうっすら感じている。今回のようにそれが逆にありがたい時もあるので、それでいいけど。

 それよりも、三人称に「彼女」を使うことに以前よりも抵抗がない自分がいるのが気持ち悪いな。私の大学は男子学生が非常に多くて、かつ、なぜか「彼」を三人称に使う人が多い。したがって、数少ない女子学生に対して、「彼女」という三人称が使われる。
 このシステムは我々のような性別違和人(とらんちゅ)にとっては非常に都合が悪いし、そもそも人間を彼/彼女で区切るという思想にあまり馴染みが無い。「あいつ」「あの人」よりも嫌味がなくて無難なのは確かだけど。なんだかなぁ、と思う。
 本人が嫌がらなければそれでいいのだろうか。「俺は男だ」をアイデンティティの誇示のように言う人もいるくらいだし、「男なんだから彼って呼んでいいよ」「別にいいじゃん、私は女だよ」みたいな人もいるんだろうか。分からない。私が海外に行ったら、代名詞のHeとSheにモヤるだろうな。
 そもそも昔ながらの日本語では男も女も区別せず「彼」を使っていて、英語の「She」に相当する表現として「彼女」を新たに作ったというではないか。なら男女平等に「彼」と呼んでやりたいところだが、どうやらシスヘテロの人達は、「オンナノヒトを男扱いすること」をこの上ない侮辱だと感じているらしいので、やめた方が無難だろうな。





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