日記・思考メモ2024/09/03

 久々の投稿です。これまでのことを色々書きたいですが、まずは昨日と今日のことを書こうと思います。自分用に書いた日記の文章から個人名などを抜いただけなので、所々読みづらいかもしれません。

近況

 とはいえ、いきなり最近のことを書くと読んでいる方も訳がわからなくなりそうなので、軽く近況を整理します。

  • 本来、一年間の現場実習を経て本来の部署に配属される予定でした。しかし、様々な都合で、実習が3ヶ月で終わり、7月から本配属になりました。最初は私も驚いた。でも、今となっては、これでよかったと思う。最近はずっと図面を描いている。

  • 実習が終わったので、耳の心配をしなくて良くなった。嬉しい。最近はずっとデスクワークなので腰の心配をしている。

  • 同期は全員配属先がバラバラなので、行動を共にすることはなくなってきた。会ったら話すけど、そもそも会うこともない日の方が多い。こんなものか。

  • 夏休みは友人が遊んでくれました。一晩中星を見たり、海沿いの雑貨屋を巡ったり、新宿で同様に本屋や雑貨屋を巡ったりした。楽しかった。


2024/09/02

日記

 社用PCは月に一度パスワードを変更しなければいけない。今月はどんなパスワードにしようかと考えていた。良く言えば遊び心のある、悪く言えばふざけたパスワードにしてみたかった。
最初は「mongol800」をベースに考えていた。しかし、記号も入れなければいけない。mongol-800にするのはなんか違う。試しにmongol799+1に設定してみたが、799+1の部分が想像以上に打ちづらい。これはやめた方がいいかもしれない。
ふと脳内に、Earth,WInd&FIreのSeptemberが流れてきた。思わずニヤけてしまった。何で早く思いつかなかったんだろう。結局、Septemberの歌詞の中から選んで、英数記号を含めてパスワードを作った。mongol799+1よりは遥かに打ちやすい。今月は楽しくなりそうだ。


2024/09/03

日記

 同じ部屋の違う部署の人のワイヤレスイヤホンのバッテリーが煙を出したらしく、午前中に少しだけ騒ぎになった。幸いどうにかなったらしい。しばらく部屋が焦げ臭かった。換気のため窓を開けようと部屋をうろついていたら、二酸化炭素濃度計を見つけた。この部屋にもあるんだ。700ppmくらいだった。
 この前買った2×2のルービックキューブをいじっていた。解説を見ながら6面揃えることができた。会社から家まで歩いて帰っている間、youtubeで動画を見ながら色々考えていた。理屈が分かりそうで分からない。何色がどこを向いていたかすぐ忘れてしまう。紙とかにメモして腰を据えて考えてみたい。

今週の金曜日は、部署の人達による私の歓迎会らしい。案外私の知らないところで日付もお店も決まっているので、あまり実感がない。
 しかし、個人的に来て欲しかった人が来ないかもしれない。最近よく図面について教えてくれる先輩が、知らずに誕生日休暇を取ってしまったらしい。来て欲しかったと今更言っても遅い。そもそも来て欲しいと言うのもなんか申し訳ない。休暇を優先してほしいと思ってしまう。
しかも、一番歳の近い先輩も、その日は出張に行っている。出張とはいえ隣駅なので、来て欲しいと言えば来てくれるのかもしれないが、来てほしいとまだ言えていない。というか、来て欲しいと言ったら本当に来てくれるかもしれないからこそ、そう言うのが申し訳ないとも思ってしまう。当日は私は誰と過ごすんだろう。


思考メモ

  • 歓迎会に行きたくないわけではないが、かなり複雑な心境。そういう場所での立ち回りは得意ではない。そもそも社食に慣れるのにも時間がかかったのに。

  • 塩素系と酸素系、要は「混ぜるな危険」の洗剤たちをうっかり混ぜないようにしたい。今のところ混ぜたことはないし、色々配慮しているけれど、なかなかめんどくさい。下水管の中で混ざるリスクを考えると更にめんどくさい。オキシもキッチンハイターも便利だからこそなんか悔しい。

  • ここ数日考えていたこと。
    「私は歌うのが好きだが、社会のほとんどの人は私や友人ほど歌や音楽を好きではない」ことを、特に会社に入ってから痛感している。(ちなみに、私が娯楽としていることの大半は会社で言ってもなかなか理解されない。この前の天体観測とか。)
     6月の労組のイベントの二次会のカラオケに行かなかった理由の一つもそれだ。自分と他人の歌の楽しみ方が違うことをあまり直視したくなかった。
    自分の趣味が他人にとって無価値であるというのは、平たく言えば、結構キツい。価値の軸が他人とズレていること、喜びを分かち合えないこと、同じものを見て同じように感じられないこと、そういったことがジワジワと精神を蝕んでくる。PCに喩えるなら、自分だけ違うOSがインストールされているという感覚。
    本題に戻りたい。音楽を好きな人は皆、今の私のように、「自分の好きなことを世間一般の人は興味が無いのではないか」ということを考えたことがあるのだろうか。私以外にもそれを考えた人はいるのかな。
    仮にそう(皆も感じている)と仮定すると、音楽が好きな人は、そういう"集団の中の孤独"みたいなものを常々感じながら、音楽が好きな人達を探し回ったり偶然出会ったりして、その人達と一緒に音楽をやるのだろう。
    この前誰かに「君一人はそうかもしれないけど残りの99人はそうじゃないんだよ(要約)」と言われ、咄嗟に「それなら世の中の500人くらいに出会って、5人くらいの同類を探し出してやる。そいつらと日々を過ごしてやる(要約)」と返した覚えがある。そういうことをするのかな。
    考えれば考えるほど、マイノリティ属性の人が日々強いられていることに似ているな。「音楽好きとLGBTには相関がありそうだ」と某ツイッタラーが言っていたけど、なんとなく感覚的に私もそう思う。

  • ふと思い出したこと。私はかつて誰かに対して、「あなたは悲しい時に笑わないから好きだ」みたいなことを言った気がする。誰に言ったのか定かではない。大学の友人だっけ?うろ覚えだ。
     笑いながら怒る人が好きではなかった。今も別に好きではない(好きになるということはない気がする)。自分が怒る時は笑わずにいたいと思った。それができているかどうかは分からない。だけど、悲しみだとか、困惑だとか、そういう感情に対して、「もう笑うしかない」という状態に至るのは、人よりずっと早い気がする。というか、それが常態化している気もする。自分は楽しい話がしたいはずだし、楽しいテンションで話しているはずなのに、どうして自分の口からはこんなにも棘が出てくるんだろうと何度も思っている。
     楽しそうな顔で楽しくない話をしているように見えているだろう。一般的に悲しみ・皮肉・悪意・ブラックジョークとされるトピックを娯楽にすることに慣れ切ってしまったのか、何らかの閾値が狂ったのか、それこそ「もう笑うしかない」のか、分からないけれど、随分と歪な大人になったなと思う。自分は比較的童顔な部類だし、最近もよく19〜20歳くらいに間違われているけれど、こればかりは「大人」というか、人格的に濁ってしまったなと思う。




 久々にこうやって思考を書き出してみると、これって結構大変なことだなと気付く。そもそも普段の考え事の量が多すぎて、全部書き出すとキリがない。他人に伝わるように、せめて自分が読み返した時に不快にならない程度に、意味の通った、破綻していない文章を書きたい。話が脱線し過ぎるのは避けたいが、折角なら書けることは書きたい。

 言語化は疲れる。毎日こういうことをやっていると家事とかに支障を来す気がする。そもそも毎日できることではない気がする。またぼちぼちやろうと思う。

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