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0359 - 状況は同じでも自分の受け止めかた次第で

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以前から気になっていた映画「おらおらでひとりいぐも」を鑑賞した。

どんな映画かは公式サイトの予告動画を見てもらうのが分かりやすいのだが、本編はもっともっと静かで「間」が多く、観る側にそれぞれの解釈や感情移入させる余白がたっぷり残されている素晴らしい作品だった。

おらおら1

この静かに流れる物語が活字ではどのように表現されているのか気になったので鑑賞後に本屋へ直行して原作小説を購入。コーヒーを飲みつつ一気読みしてしまった。そのくらい、この「おらおらでひとりいぐも」は個人的に「染み入る」ものだった。

おらおら2

主人公の桃子さんは、数年前に夫に先立たれ、子どもたちとも疎遠。毎日毎日「ひとり」の状況を繰り返し、その寂しさ故、数名の妄想人格が生まれて会話をするほどに。自分が最も輝いていた時期はいつなのか。自分の人生には意味があったのか。過去の記憶と共に自問自答していく。

とても印象的だったのは、「ひとり」という状況を「孤独」とするか、はたまた「自由」とするか。自分がどう受け止めるか次第で、環境は変わらずとも、表情・態度・暮らし方はガラリと変わるんだよねって解釈できる場面があったこと。

現在の状況を「点」で見れば、孤独。現在からこれからを「線」で見れば、自由。最近「点と線」てことを強く意識するようになったこともあり、この作品は自分にとても響いた。

人とやり取りしていると感じることだが、たまに理不尽な要望を突きつけてきたり、理解不能な怒りをぶつけられたりすることがある。なにがあったの?なんでそういうこと言うの?と、理解できるところまで追究すると、そんな態度を取る人は、決まって「点」の思考になっている。(または、自然と繋がる線ではなく、無関係な点と点を紐づけて自分の中で意味を持たせてしまう思考になっている)

桃子さんの場合も、繰り返す日々を、その時その時の「点」で捉えがちだった。そこから「これまで」を振り返りつつ「これから」にも目を向ける「線」の視線になって変化が起きた。

状況はそのままでも、自分の受け止め方次第でいくらでも良い方向へ変化させられる。そのために必要なのは、点ではなく「線」で捉えて考えることなんだな。改めて、そう感じさせてくれた作品だ。

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