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0365 - 高校サッカーを観戦して思ったこと

t= 8 d= 2

ふとした思いつきで、地元(静岡県袋井市)のエコパスタジアムにて、高校サッカーの静岡決勝戦を観戦した。

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どちらの学校も自分とは接点が無いため、適当に空いている席に座ってフラットな心持ちで観戦しようと思っていた。ところが、試合が始まり少しして、どうやら真ん中を境にそれぞれの学校を応援するエリアに分かれていることに気づいた。

それならばと、せっかくなので自分が座った側の学校に心を寄せて楽しむことにした。

前半は0対0のまま折返し。そこまでは比較的静かだった客席も、後半の途中でゴールが決まり、試合が動いてからは状況が一変。「おお!」とか「ああ〜」とかのリアクションが一気に大きくなり「頑張れ!」といった声援も頻繁に飛び交うようになった。

ちなみに、自分が座っていたのは劣勢を強いられている側の学校。少しずつ力強くなっていく応援の声を耳にしながら、フィールドを駆け回る選手の姿を眺めていたところ、ふと目頭が熱くなり涙が込み上げてきた。

必死にボールを追いかける選手の姿を見るだけでも充分に感動してはいたが、自分が涙が込み上げてきた理由はちょっと違う。

昨日は興奮して眠れなかったのかもしれない。お母さんがゲンカツギで昨日の夕食はカツにしてくれたのかもしれない。彼女からお守りをもらい優勝を約束しているのかもしれない。この試合に勝ったら好きな子に告白しようと考えているのかもしれない。などなど。

なぜか、選手たちや応援席にいる学生たちの「今日に至るまでの数日」について勝手なる妄想が次々と頭の中に浮かんで物語が紡ぎ出されていったのだ。その勝手なる妄想が勝手なる感動を呼ぶ。言ってみれば「感動の自家発電」によって目頭が熱くなり涙が込み上げてきたのだ。

生でスポーツ観戦したのは随分と久しぶりなこと。昔からこういう妄想ってしていたのかはハッキリしない。年齢を重ねて涙もろくなってきた影響もあるのだろうか。

試合内容とは別軸で、勝手に妄想が広がって感動できるという、自分の新たな一面を知ることができたサッカー観戦だった。誰にも迷惑をかけない平和な妄想感動なので、このままの自分でいようと思う。

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