Y医師のストックホルムの街角から~#1 人の労働への敬意
先日、私の勤めている病院で、ちょっとした「事件」がありました。わざわざカギカッコでくくったのは、それが事件として認知されていないからです。
ある出来事
私が所属している係では、病院に届く郵便を扱っています。ある月曜日の朝、大量のレターパックを担当のIさんが「大変だー」と言いながら運んできました。どうやらそれは、土日の間に届いたものらしく、警備室に保管されていたもののようです。
しばらく後に某学会を控えていたので、その参加者宛にレターパックが届いたもので、Iさんと、もう一人の担当Nさんが、郵便の仕分けを始めました。
で、この郵便物が、医師から看護師、技師に至るまで「N市立病院 △△ △△様」で届くものですから、医師のようにしょっちゅう郵便物や荷物が届く人ならともかく、看護師や技師となると名簿と首っ引きで配布先を調べなければなりません。おまけに、Iさんは弱視で、宛名の読み取りに時間が掛かります。そう言っている間にも宅配業者は荷物を持ってきます。10時半頃には郵便局が今日の郵便物を持ってくるので、それまでになんとか終わらせたいと、IさんとNさんは一生懸命レターパックの仕分け作業を続けていたのです。
その作業にある程度見通しが立って、Nさんが隣の課のT課長にそのレターパックを持って行った時です。「あー、これね、領収書の関係で、うちで配るから、全部持って来て」と言うのです。
私の係と、隣の課は同じ部屋の中にあって、ついたても何もなしに隣り合っていますから、T課長の位置から同じレターパックが何十通と届いているのが見えていてもおかしくありません。百歩譲って、それが見えていなかった、あるいはそれが某学会の郵便物と気付いていなかったとしてもです。事前に「某学会の郵便物が届くはずだから、届いたらそのままうちに持って来て」と言っておけば済む話じゃないですか。
IさんとNさん、2時間ほど無駄な仕分け作業をさせられて、レターパックは全て回収となりました(幸い、既に参加者本人の手に渡ってしまったものはなかったようですが)。
Iさんにその後、レターパックの話を聞くと、特に回収のことは言っていませんでしたので、この話はNさんが全て被ったもののようです(Nさんには確かに回収した、ということを確認しました)。Nさんがそのことについてどうされたかはわかりませんが、とても温厚な方なので特に抗議などはされなかったのかもしれません。
T課長はわれわれ会計年度任用職員には絶対挨拶も返さない人で(シャイな人なのかもと思いましたが、正職員には新人でもちゃんと会話をしていました)、NさんもIさんも会計年度任用職員なので、わざとやっているんじゃないかと思うほどの出来事でした。
私は午前中は別に忙しい仕事を持っているものですから、手も出せずに横で見ていただけでしたから、私の知らないところで何か行き違いがあったのかもしれませんし、係の勇み足であったのかもしれません(係長や課長には話がとおっていて、まず報告すればよかった、など)。
それでも、あまりにもモヤモヤしたものが残ったものですから、思わずY医師に長文のメールを送って愚痴ってしまいました。効率重視のスウェーデンの病院では絶対起こらないことですよね、と。
返信
そうすると、スウェーデン時間では結構遅い時間にもかかわらず、Y医師から返信が届きました。
この「人の労働への敬意」という言葉に、胸を撃ち抜かれたような思いがしました。果たしてそういう視点を持って生きてきたか、と。
自分が今まで、自分の労働に対して他人から敬意を払ってもらえるような思い、自尊心を持って、仕事に向き合ってきただろうかと考え、そういう気持ちで仕事をしてこなかったことに気付きました。
例えば、同窓会などで今どんな仕事をしているのか聞かれても、同級生に、もっと専門的な、高度な仕事に就いている人が多かったからというのもあって、「誰でもできる仕事を、誰でもできるようにしているだけだよ」なんて答えていました。でもこれでは少なくとも他人からは敬意は払われませんよね。
もっともこれにはスウェーデンの社会が持つ労働に対する文化が関係しているようです。
これは私の感想ですが、日本ではサービスが無料というのが美徳、無料のサービスをどこまでつけられるか、それが「おもてなし」だという、真逆とまでは言わないまでも、少なくとも全てにおいて対価を求める構造というか、習慣がないように思います。
スウェーデンでは、どんな労働にも価値があることを認め合い、おのおのがそれぞれの職域で職責を全うし、円滑な社会を形作っている。どのピースが欠けても社会が停滞するから、互いに互いの労働に対して敬意を払うのでしょう。
「職業に貴賎なし」という言葉がありますが、人の労働への敬意を持つことで、自然と職業差別などというものは無くなるのかなと、私にはそのように思えました。
実体験から
そういえば、と思い当たる節がありました。
前に勤めていたのはやはり友人である理学療法士が開設したデイサービスでした。そのとき、仕事と残業が増えていった様子は以下の記事にも書きました。
理学療法士のUは、国家資格を持っているがゆえに、特に資格がなくてもできる仕事である経理を、時間外にちゃちゃっとできる仕事程度にしか思っていなかったようです(資格がなくてもできますが、私は日商簿記2級を持っています)。ですから、私が休職に入ってすぐ、Uが経理の仕事を始めたとき、「今まで○○って大変な仕事してたんだな」とLINEが送られてきました。「人の労働への敬意」という意識を持てていれば、こうした事態は避けられたのかもしれません。
終わりに
今回、Y医師は「人の労働への敬意」という、とても大切な考え方を教えてくれました。
きっと、皆さんが見ているこの世界も、「人の労働への敬意」という視点を持つことで、見え方が変わってくると思います。資格があってもなくても、働いているすべての人の労働は社会のために必要なものであり、それらが欠けると、社会から利便性や安全、衛生といった私たちに不可欠なものが失われる可能性がある、ということです。
私たちの生活は、すべての人の労働に支えられ、私たちの労働は、皆の生活を支えているのです。
私たちが明日に希望を持ち、明日をしっかりと生きて行けるよう、願ってやみません。
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