【緊急】序曲『1812年』の曲目変更について考えたこと
先日、明石フィルハーモニー管弦楽団が、定期演奏会で演奏予定だったチャイコフスキー作曲、序曲『1812年』を“現在の世情を踏まえて演奏中止”としたことが、物議を醸している。
クラシックファンのはしくれとして、このことについて考えたことを簡単に述べたい。
私はロシア・ソ連の音楽が割と好きなほうだ。チャイコフスキー、ラフマニノフ、ショスタコーヴィチは大好きで、これら作曲家のプログラムが組まれているからという理由でコンサートに出かけたりすることもある。目覚ましアラームに使っているのもグリンカだし、ハチャトゥリアンもよく聴く。
目下ロシアはウクライナを侵略しており、これは許されることではない。このような状況下で、チャイコフスキー作曲だから、チャイコフスキーはロシア人だからという理由で演奏中止とあいなったのではないかという見方も出てきている。もしそうであれば、今後ロシア(またはソ連)の作曲家だからという理由で演奏が軒並みキャンセルされるのではないか、という危惧が生じている。
結論からいうと、さすがにそれはないと考えていい。第一そんなことを言っていたらあのナチスを生んだドイツの音楽などはかれこれ70年以上も演奏がキャンセルされていないとおかしい。
明石フィルの公式見解は以上だ。
「作品に罪はない」はその通り。「今回の侵攻とは曲の背景が真逆」というのは、序曲『1812年』は、ロシアがフランスに攻め込まれ、これを返り討ちにしてその勝利を歌い上げる曲だから、侵攻する側、される側と立場が逆だと言いたいのだ。むしろ背景が似通っているのは『スラヴ行進曲』のほうだろうか。ただ、背景は真逆でも「戦争」を題材に取っていることは同じだ。
しかもこの序曲『1812年』は、本物の大砲が演奏に用いられるほど勇壮かつ戦闘を前面に出した曲だ(実際の屋内の演奏会では、大太鼓の強打で代用したり、大砲の発射音の録音が用いられたりする)。戦争のイメージが極めて強い曲であることは間違いない。“大砲の爆音”からウクライナでの砲撃を想起する人がいてもおかしくはない。
ここで明石フィルのツイートをよく見ていただきたいのだが、「『今の状況では演奏するのは抵抗がある』との声が多く」とあるのを見逃してはならない。
「演奏するのは」とあるのだから、「声」をあげたのは楽団員か指揮者だろう。要するに「演者」だ。「演者」が、「抵抗がある」と言っているのだ。
演者が、「今この曲を演奏していいのだろうか」という思いを抱えながら、果たして良い演奏ができるだろうか。「今だからこそこの曲を演奏しよう」というモチベーションを持った演者による演奏と、どちらが良い演奏になるか、これは言わずもがなのことではないか。
つまり、明石フィルの決断は「ロシアだから」の一点張りではない。場合によっては、ロシアとは無関係の戦争を題材とした曲であっても、曲目変更となった可能性がある。あるいは、同じチャイコフスキーでも、戦争で亡くなった方々への鎮魂の意味を込めて交響曲第6番を演奏するといったこともあったかもしれない(『1812年』から交響曲第6番への変更は演奏時間の点から見てありえないとは思うが)。
したがって、ロシア音楽に対するキャンセルだ、と決めつけてしまうのは早計だ。そしてその早計な判断のもとに明石フィルを批判するのは浅はかに過ぎると思う。
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