ジャズと憂鬱な人生について

・この文章はあくまで自分の過去を振り返るためのものなので、ジャズの歴史を振り返るような内容ではないです。

・ジャズを好きになって何年になるのか数えてみると、現在28歳で、聴き始めたのは多分小学校の高学年。つまり15年くらいか。アニバーサリーだ。

・初めに聴いたのは確かな記憶ではないけれど、多分、田舎にある祖父母の家へ頻繁に帰省していた車から流れる、ラジオからだったのではないか。誰の曲だったかは分からないが、サックスとピアノとドラムの音は聴こえていたような。

・当時まだ音楽というとテレビで知るJ-POPや、6つ上の兄の影響で知ったJ-ROCKが多く、SMAPやBUMP OF CHICKENを中心に、いろんなポップスを聴いていた。

・ジャズを初めて聴いたときの感触として「よくわからない」「メロディーどれ??」「なんか薄暗くて、スモーキーな感じで、青くて静かなクールさ」を感じ取っていた気がする。
ブルーノートという言葉を知らなかったときに「青色」を連想していたのは中々おもしろいと思う。

19世紀中頃、白人の奴隷としてアフリカから連れてこられた黒人たちに「ドレミ…」の西洋音階を教えたところ、ヨーロッパ音楽には耳慣れない妙な音程で歌いだした。その音がどことなく物悲しい雰囲気を帯びていたため、ブルースの語源であり「憂うつ」を意味する「ブルー」の名称で呼ばれ定着したとされる。

wikipedia「ブルーノート」より

ブルーが憂鬱に感じるのではなく、ブルーが憂鬱という意味を持っています。 昔、奴隷として働かされていた人たちは、雨が降れば休めますが、空が青く晴れると過酷な労働をしなければなりませんでした。そこからブルース(Blues)という音楽が生まれ、憂鬱な気分をBlueと言うようになったと言われてたそうです。 青い空→憂鬱→ブルー

Yahoo知恵袋しか見当たらなかったため、上記の真偽は不明

・上記の説明が正しいのであれば、自分は青空からブルーを連想したわけではないので、当時の黒人と感覚が同期したわけではなさそう。ただ現代ではブルー=憂鬱、という表現が一般だったため、そこから連想したのだろう。

・28歳の現在に至るまで、自分が心惹かれるものには必ず「憂鬱さ」が伴っている。子どもの頃から大人になった今でも「人生は憂鬱なもの」だという価値観が根付いているためと思われる。

・一見ネガティブな(一見というか普通に悲しいことなのだが)感覚に見えるが、おそらく自分が心惹かれてしまうのは、「憂鬱は美しい」と教えてくれたからだろう。憂鬱は悪いものではないと。裏付けるように、自分の愛するコンテンツは暗いロック、ホラー、オカルトの類が多い。

・加えて、ジャズ特有のメロディーの曖昧さも自身の人生観に引っかかっていることが分かった。つまり、メロディーの意図が曖昧である以上、その曲と私の間には意味を持たない。抽象画を鑑賞しているときと同様に、その絵画からは明確なメッセージは送られるわけではなく、こちらから探しに行く必要がある。これは探しに行かない限りその絵画は「意味をもたないもの」だと私は解釈している。

・つまるところジャズは音楽的なお遊びの要素も大きいと思う。事前に計画した通りの進行や展開でなぞっていくのではなく、都度その時々の感覚で奏でる要素が大きいからだ。(もちろんジャズに様々な理論が絡んでいることも承知の上だが、いわゆる商業音楽と比較して、聴衆に覚えさせようとするキャッチーさはない)

・この「意味をもたない」ということは、「無意味でもいい」ということだと解釈している。「人生は憂鬱なもの」と解釈しているものにとっては救いであって、こちらも裏付けるように、自分は明確なメッセージをもったものよりも、抽象画や抽象音楽の類が好きである。教訓じみた芸術なんてちっとも面白いと思えない。

・最近この一貫した価値観が自分の中に見えたおかげで、自分にとってのコンテンツの良し悪しを判断するのがとてもラクになってきたし、評価基準も明確になったのはいいことだと思っている。

・一つネックがあるとすれば、「なんでジャズが好きなんですか?」と聞かれたとき、「憂鬱は美しくて自分の救済であるから」なんて言おうものなら…というところ。育ちが良くないと自分のルーツや価値観をストレートに共有できないのは目下の困りごとである。

・ただ最近は胸を張って価値観を伝えるようにしている。大切な価値観をひた隠しにして自分を平準化する方が情けないし、自分が大切に思っていること、美しいと思っていることに対する裏切りになる。頑張って生きてきた人生への冒涜だ。

・ここまでジャズと自分の人生の憂鬱と関連づけていろいろ考えてみたが、引き続き様々なものをどのように捉えてきたか、振り返っていきたいと思う。

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