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「ゴミ四駆」の話

「(演劇に関わる方法がいくつもある中で)なんで小道具をやろうと思ったんですか?」という質問をされた回数は10や20じゃ利かないと思う。

この話をされたときに僕が8割以上の確率で返すエピソードは「もともと"音楽をわりとよく聴くから"程度の理由で漠然と音響やりたくて、ボランティアスタッフとして参加したテント劇の団体で音響オペ(音出し)と小道具とエキストラ出演(出番数秒セリフ無し)を経験してみたら、小道具だけ褒められて他は全部怒られたから」で、まあそれはそれで事実なんだけど「事実」でしかなくて、思い出話としての鉄板の厚みと笑い話としてのインパクトはそこそこあるものの「ルーツ」と呼ぶには断然弱い。

じゃあ自分にとって小道具を選んだルーツってなんだろう…というのを考えたとき、ふと思い出したのはゴミ四駆のことだった。そして考えれば考えるほど、ゴミ四駆が「ルーツ」と呼ぶに相応しい体験であるという思いは強くなっていき、表面張力で抑え込める水域を超えたのでこうして書くことにした。

まず、あなたはこう問いかけるにちがいない。
「ゴミ四駆って何?」と。

どうか知らなくても恥じないでいてほしい。だってこの言葉は僕の母校である小学校の、それも校庭の砂場付近でしか流通していない単語だからだ。知っている方がどうかしている。知っているとしたら、さては貴様同級生だな?

小学生のころ、世間にはチョロQとかミニ四駆のブームが来ていたらしい。らしい、というのは自分がクルマにほとんど興味を持たない子供だったからで、妙に白熱する周囲の空気にうまくついて行けないでいた(ただ、トランスフォーマーは好きだった。あれはだって、車がどうとかじゃなくて、ガッチャンガッチャン変形するから)。

ついて行けないなら無視すればいいだけなのだけど、ミニ四駆という単語の響きにはどこか惹かれるものがあったのだろう。もちろん車に興味ゼロの小学3~4年生は、四駆が四輪駆動の略語であることなんて知る由もない。活字で見るより前に友達の口から発せられて鼓膜で知ったその言葉は僕にとって当初、ミニヨンクという切れ目のないひとかたまりの単語であった。

ミニヨンク、がどうやらミニとヨンクで分かれるらしいと知った後も、ヨンクの意味をろくに調べず「自動車のかっこいい呼び方」くらいの認識でいたのだけど、実際に友達の家でミニ四駆が走っているのを見て考えは変わった。といってもクルマ自体への興味が湧いたわけではない。(だってロボットとかゾイドメカと比べたら別に全然かっこよくないし、どこもかしこも丸みを帯びてて攻撃力のかけらもないし、スピード性能がどうとか言ってるけど公道でそんな速度出したら普通に怒られるし、だいたい子供は車を運転できないんだから憧れたってどうしようもなくない?)というのがいちおう当時の僕の言い分である。なんなんだおまえは。現実と虚構の区別がついてない典型例か。

そんな僕が実物のミニ四駆を見て初めて知ったのは「パーツが交換できる」という事実だった。より正確に言えば「自動車の形状はパーツの組み合わせによって成り立っている」という単純な事実に打ちのめされたのだ。それまで僕は、自動車は自動車という1つの不可分な物質で最初から存在しているものだと考えていたので、シャーシやホイールが取り外せる、しかも、その種類はいろいろある中から好きに選んでカスタマイズできる、ということに衝撃を受けたのだった。

もちろんこれまでにプラモデルやジグソーパズルで遊んだ経験はあった。でもそれらは、決められた部品を決められた順序で決められた場所に配置することで初めて成立する遊びだったので、選択の幅がある、ということが純粋に驚きだったのかもしれない。「正解が常に1つだけとは限らない」とか「間違いだって周りから言われても、やりたいことがあるならそれを貫いていい」とか、そういう人生訓に近いものを叩きこまれた気持ちすらあった。ちょっと簡単に感化されすぎである。あと理念を曲解しすぎでもある。

ミニ四駆への興味を一気に開花させ、しかし自動車そのものに対する興味はさほどない僕が、その折衷案のつもりで創出した新しい遊び。それがゴミ四駆であった。

ゴミ、などと接頭辞が付いているけれど蔑称ではない。たしかに今考えれば「ミニ四駆と呼ぶに値しないゴミ」みたいな意味にも聞こえなくはないが、当時はそんなつもりなど全くなかった。ゴミ四駆は校庭に落ちているゴミを組み合わせて車の形に似せ、それを眺めて満足するという、実にお金のかからない贅沢な遊びである。われらが母校の校庭には砂場があり、そのあたりにはよくゴミが落ちていた。ふつう学校の校庭は高いフェンスによって外界から遮断されているものなのだが、経年劣化で古くなったフェンスがあちこち破れていて、その隙間から悪い大人(小学生から見れば高校生だってもう大人だ)がゴミを押し込んで捨てたり、あるいはそこらへんに捨てられたゴミが風に舞ってフェンスを乗り越えてきたりする。ものによっては一度グラウンドのほうまで飛んでいくが、グラウンドには常時人がいるため清掃用具で掃き散らされたり、または人の手でどかされたりして、なんとなく日陰になっている砂場のあたりへと集積するようになったのかもしれない。ともかく、そこが僕たちにとって夢のピットガレージだった。運動神経の良い者たちが陽射しの照りつける校庭のメインエリアでボールを投げあうその背後、彼らの視界から少し外れた場所に、もうひとつの楽園が確かに存在したのだ。

それからの僕たちは毎日が宝探しの喜びで満たされていた。一日に一回、昼休みの時間が来るたびランダムにリスポーンされる砂場のがらくた。それらを使って四駆(の形)を構成する。ズタボロの軍手や潰れた牛乳パックなど大ぶりな部品はボディに、ちょうどいい丸みを帯びた石ころはホイールに。短い枯れ枝に錆びついた針金をからめて飾れば立派なバンパーだ。運のいい日は綺麗なガラスの破片や鳥の羽根といったレアアイテムを発見することもある。もともと車の部品なんかであるはずのないゴミたちが、小学生のぶきっちょな手で寄せ集められて一瞬だけ車っぽい像を結び、しかも一度として同じ形にならない。そのことがただ楽しくて手を叩きながら笑っていた記憶がある。当然、できあがっても形が車っぽいというだけで走れはしないのだが、僕たちはそれで満足だった。なにしろ車そのものには興味がなかったので。

だけど、さも当たり前みたいに「僕たち」と書いてきたわりに、この高潔な遊戯を具体的に誰と共有して楽しんでいたのかは、いくら思い出そうとしても思い出せない。それが誰だったにせよ、同級生からスターが出たといった話はとんと聞かないし、おそらく地元で今頃は結婚でもして静かに暮らしていることだろう。30年以上も経った今、この話を肴にそいつと呑めたとしても、当人だってほとんど忘れているに違いない。

翻って30年後の僕はどうだろう。免許は取ったが相変わらず車に対する興味は薄く、ロゴを読ませてくれなければ見た目じゃ車種ひとつ当てられない。あのころ車と同じかそれ以上に興味のなかった演劇なんていうものと出会い、その片隅で小道具をやっている。手ごろな材料を使っていろんな形を作っている。もともとそういう用途で作られたわけじゃない材料が、寄せ集まって組み合わさって一瞬だけ違うものに生まれ変わったように見える。そのことがただ楽しくて、あまつさえお金までもらえたりしている。なんも変わってなかった。あの日の校庭の砂場にいた時から、僕のメンタルとクリエイティブはなんにも変わっちゃいなかったのだ。ぜんぜん大人になれてないことに愕然とする日々におびえながらも、そのことは少し、誇りに思ってもいいのかもしれない。

ゴミできらめく世界が
ぼくたちを拒んでも
ずっとそばで笑っていてほしい
    ――スピッツ「空も飛べるはず」

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