見出し画像

リモート演劇の提案(プロトタイプ)

0.遠くにいる人との話

もう8年も前のことになるけど、「さよなら国境線」という作品を書いたことがあります。

壁にあいた小さい穴なら 記念切手を貼って隠そう
私ならだいじょうぶ まだ安い奇跡で泣ける
電話もつながるし国際料金だってかからない
遠く離れていても隣の部屋にいるみたいだ
その国には、「さみしい」を意味する単語がない。

以上が「さよなら国境線」のイントロダクションです。
登場人物は全部で5人。東京とは限らない日本のどこかの都市で一人暮らしをしている大学生の男と、その部屋に入り浸っている同じ大学に通う友人たち(男女1人ずつ)。友人(男)は文通相手に送る手紙の内容に頭を悩ませ、友人(女)はパソコンを持っておらず大学に程近いこの部屋でレポートを書いたり、高校時代の同級生とスカイプ通話をするためにやって来る。彼女の同級生は北欧のどこかの国へ留学しており、スカイプの画面越しに部屋の住人とも顔見知りになっていく。男の部屋には定期的に実家から仕送りの米や野菜や荷物が届き、それを持ってくる地域担当の宅配員は無遠慮に玄関より中までズケズケと上がり込んでくる。
それ以外のことは、あまり決めていません。決めていないというか、設定ありきで動いてもらうのではなく、役者どうしの会話のなかで決まっていくに任せました。冒頭で「書いた」と書いたのもイントロダクションの5行のことだけで、台本は一切書いていません。設定に基づいて全編役者のエチュード(即興)により演じてもらっています。

舞台写真はこんな感じ。向かって右側が日本のボロアパート、そして左は海外の学生用ワンルームの内装(なんの資料も見ずに作ったので実態とは多分かけ離れていると思います)。ふたつの部屋は地図上の距離に換算すれば何千kmも離れているけど、舞台の上では壁一枚隔てた「お隣りさん」です。

文通やスカイプ、荷物の郵送などといった間接的な、つまり人と人とが「直接会う」以外の方法でとるコミュニケーション手段を通じて「会えない寂しさ」の正体って一体なんなんだろうね、ということを考えてみたかったのです…なんて、この作品のテーマは何ですか?と聞かれたら答えていたかもしれないけど、「考えてみたかった」の主語はどこまでいっても自分でしかなくて、たとえばそれは「この作品を通じて伝えたいメッセージ」のようなものではありませんでした。自分にとって最も重要だったのは、「人は遠く離れた友達の声を電話ごしに聞ける」とか「スカイプで顔を見て話ができても会いたさは消えない」とかいった他愛もない人間あるあるを、机の引き出しの中身を整理するようにひとつひとつ取り出して眺める時間だったのかもしれません。

それに実を言うと、この作品は書いたけれども上演はしていないのです。やむにやまれぬ事情で中止になったわけではなく、『架空の箱庭療法』といって、最初から上演を前提とせずに作った企画です。役者が集まってシーンを作る、いわゆる「稽古期間」は1週間くらいあったけど、本番は迎えていません。だから上の写真も(よく見ればわかると思うけど)合成です。合成した舞台写真をギャラリーで展示して、それを「演劇」であると言い張ったのでした。

似たような試みは何度かおこなっていて、その3年後には「あたらしい部屋」という作品を同じ方法でつくりました。このときは一部屋しかない舞台に「地元と東京で、たまたま同じような間取りの部屋に住んでいる二人」を配し、決して座標の交わらないレイヤー空間上で共同生活させました。

1.離れたまま演劇をすること

少し前に、長年の知己でもある綾門優季氏が立ち上げた「呆然」という場についての文章を読みました。

この綾門氏らしい発想と文章で言語化されたプロジェクトには全面的に賛同するものの、スタンスの点でいくつか自分と異なる部分もあり、参加には至りませんでした。
ただ、今回の思いつきを実行に移そうという背中を押してくれたのは、間違いなくこの一節です。

演劇を創ることを模索しなければなりません。密閉空間に集まって稽古をしたり、大勢を劇場に集めて公演をしたり、という、疑いもしなかった大前提を、一度、粉々に破壊するようなやり方で。

「さよなら国境線」の作中のケースは主に距離的な問題によるものでしたが、直接会えない人たちがコミュニケーションを試みる行為には、現在自粛を要請されている「不要不急の外出」との差集合の範囲でつくれるリモート演劇の可能性があるのではないか…と、衝動的にそう考えたのです。

これが演劇なのか否かについて、議論をするつもりはありません。その議論は少なくとも発表してから行われればいい。ふだん演劇をやっている人間が作るから演劇なのだろう、くらい雑な認識でも今は構わないと思っています。それに、演劇人だから演劇以外してはならないということでもないはず。

以下は、リモート演劇プロジェクトの仮企画書です。仮ばっかりで少々見てくれは悪いのですが、あくまでこれは下敷き、たたき台の段階と思ってください。いまから考え、探し、決めていかねばならないことは多く残されています。これは演劇をやってきて痛感したことでもあるのですが、一人でやれることには限りがあります。知識の面で、技術の面で、そして何より演技の面で、協力者の存在が必要です。

2.トーク・スクリプツ(仮)について

プロジェクト名は仮に #トークスクリプツ とします。テレアポやコールセンター等での仕事経験がある方はご存知かと思いますが、電話をかけるとき手元に置いておく会話フローのことをトーク・スクリプトというそうです。「さよなら国境線」をはじめ、私が(上演を前提とせず)つくってきた作品は、大まかなトピックと会話の流れだけを決めておき、実際の台詞やディテールは役者からリアルタイムに出てくるものに任せるという点で、トーク・スクリプトと似ています。カタカナで複数形にしたのは、なるべく検索時にノイズを紛れ込ませないようにしたかったからです。もっと適した名称が他に見つかれば、変更する可能性も充分にあり得ます。

出演者は1演目につき2名とします。グループ通話機能などを利用すれば、もっと人数を増やすことは可能かもしれません。が、それは我々がこの手法にある程度慣れてからでも遅くはないでしょう。当面は無理なくやれる最小単位である「二人芝居」を基本型とします。

各種の下準備(オファーの確定、詳細の説明、段取りの確認、時間のすり合わせ等)はメールやLINE・ZOOMなどを通じて行います。演技以外で、役者に求める必要条件は以下の2つです。

・通話用の携帯電話以外に、動画撮影が可能なツールを持っていること
・映像で公開することが可能な(抵抗がない)部屋であること

上演時間は長くても10分以内になるでしょう。2人の関係性や電話をする理由・話題など、会話に必要な最低限のスクリプト(セリフが細かく指定された「台本」と区別するためこう書きます)は私が準備するつもりです。役者は遠隔地にいる共演者と通話をおこないます。単なる電話にするかビデオ通話にするかは、内容や状況に応じて都度決めていければと考えています。

それとは別に、通話している時の様子(通話画面ではなく、本人の姿も含めた部屋の様子が写り込んだ定点映像)を撮影し、送っていただきます。それらの映像を編集・合成し、最終的には(2画面分割されたビデオ通話のような)1つの映像にパッケージングしたものを公開する予定です。

作品を無料公開にするか、投げ銭制にするか、有償販売にするか、それも現時点では決めかねています。ひとまず、第1回公演?パイロット版?を打つために必要な協力者が集まり次第、関係舎の名義で作品発表をするつもりです。

座組はおのずと必要最少人数になると思われます。オーディションのようなことは行いませんが、希望者全員と一緒にできる保証もありませんので、その点だけは予めご承知ください。

また、かなり特殊な形態となるため、まずは直接の面識がある(それもできるだけ私のやり方を知ってくれている)役者から積極的に協力を仰ぎたいと思っています。我こそはという方、 kan_k_sha_info@yahoo.co.jp までご連絡ください。お待ちしております。

(本文中写真 撮影:奥山郁)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?