書評 カレン・ジョイ・ファウラー『ジェイン・オースティンの読書会』(白水社)

 いつの世代のどんな読者にとっても、ジェイン・オースティンの小説がつねに新しいということは、世間一般で広く認められている真理である。本書『ジェイン・オースティンの読書会』は、そのオースティンの小説について語り合おうと集まった、女五人男一人から成る六人のグループが、『エマ』に始まり『説得』で終わる長篇小説六冊を毎月一冊ずつ読んでいった、その六ヵ月にわたる物語である。
 さしたることが何も起こらない、オースティンの頃ののんびりしたイングランドと比べれば、現在のアメリカははるかに波乱と混乱に満ちた世界である。そしてその中でさまざまな痛みを体験してきた女たちはみな、よくできたおとぎ話のようなオースティンの小説に出てくるヒロインにはけっしてなれないことを承知している。たとえばこの読書会のメンバーの一人である、五十歳を過ぎたシルヴィアは、三十二年間連れ添った夫のダニエルが離婚を提案してきたばかりだ。そして彼女の娘で、やはり読書会に参加しているレズビアンのアレグラは、最近パートナーから裏切られて失意を味わった。
『ジェイン・オースティンの読書会』が巧みな語り口で描き出すのは、メンバー六人がそれぞれに背負っている現実の人生である。「私たちはそれぞれ、自分だけのオースティンを持っている」と書き出しにあるとおり、彼らはみな自分の目でオースティンを読む。逆に言えば、彼らがオースティンを読んで得る感想は、それぞれの人生なり性格が反映しているわけで、それが人物描写の役割もはたしている。たとえばある参加者は、ひねくれ者の脇役に自分の姿を見てしまう。「結婚のほとんどは離婚で終わるのに、私ったらどうして忘れていたのかしら。オースティンを読んでも参考にならないわね。オースティンの小説はみんな結婚で終わるんですもの」と嘆く者もいる。
 たった一人の男性メンバーで、まだ四十歳くらいのグリッグはSF愛読者であり、『自負と偏見』をまだ読んでいないことを平気で口にして、女性メンバー全員を唖然とさせてしまう。彼のおすすめのSF作家はアーシュラ・K・ル・グウィンであり、他にはジョアンナ・ラスやキャロル・エムシュウィラーといった名前を挙げるところで、わたしたちSF愛読者には彼がどんな男性かわかる。ここはちょっとしたジョークで、作者のカレン・ジョイ・ファウラーはフェミニズムSFの書き手として知られた存在なのだ。
 この小説で最も感動的な場面は、最後の読書会で『説得』について語り合っているとき、死んでも涙の一滴も流してもらえない登場人物が話題になって、「私は誰から愛されているだろう? 私の値打ち以上に愛してくれる人は誰かしら?」という想いにふけりながら、女たちがみな一瞬黙り込んでしまう場面だ。そう、このままではあまりにもこの愛すべき「読者」たちがかわいそうではないか、と『ジェイン・オースティンの読書会』の読者であるわたしたちも思う。
 しかし安心してほしい。彼らは少なくとも、作者カレン・ジョイ・ファウラーによって充分に愛されているのだ。そこで彼らにはそれぞれ、まるでオースティンの小説を読むような、ハッピーエンドが与えられる。新しく結ばれるカップル、そしてよりを戻すカップル。こんなに幸せな結末でいいのだろうか、と幸せな気分になったわたしたち読者もとまどう。しかしそれはかまわないのだ。幸せになることは、オースティンを読んだ人間に、そして『ジェイン・オースティンの読書会』を読んだわたしたちに、与えられる特権なのだから。

                            (矢倉尚子訳)

(初出:2006.3 毎日新聞)


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