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盧溝橋事件はなぜ7月7日に勃発したのか?

1937年5月、財政基盤の強化のため中華民国は英国に借款供与を要請した。これに対し、英国は共同で借款を供与するよう日本を誘った。その後、提案を受諾するよう上申した川越在中国大使の電報が日本政府の元に届いたのは7月6日であった。盧溝橋事件が勃発したのはまさにその翌日である。

日本が中国へ借款を供与することになっては両国を衝突させるチャンスが低くなってしまうーー。金を貸してくれた相手と喧嘩するわけにはいかないからだ。日中を衝突させたかった中国共産党は、日本による中国への借款供与が決まる前になんとしても導火線に火を付けたかったのだろう。

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