「こうありたい・こうなりたいのになれない」、それでもいい
誠実になりたいのになれないという中期的なことであったり
誠実でありたいのにあれない、という瞬間的、限定的場面的なことであったり
たとえば?足が速くなりたいのになれないとか
お喋りがもっと面白くできるようになりたいとか
そういう「自分はこうなりたい」とか「こうありたい」とか。
成長欲求って言うのでしょうか。
多かれ少なかれあるものではないでしょうか。
でもそれができないと、そんな自分に嫌気がさして、だめだとがんばる。それでできる時もあるし、できない時もある様な気がします。
真面目であればあるほど、「こうなりたいのになれない」ということは深い悩みとして、「できない自分はだめなのかも」と自分を苦しめることになりやすいのかと思います。
その時ふと立ち止まって
でもその、「こうなりたい」「こうありたい」というのは誰もがみんな等しく思うこととは限らなくて、自分が心がけたい方向性で、アイデンティティのようなものなのではないかな?と、思ってみると少し違ってくるかもしれないです。「こんな人間が素敵だ」と認識していて、「そうなりたい」と思っている時点で、少なからずその方向性に気持ちや姿勢は向かっていると思いました。目標地点には遠くても。
「こうありたい」「こうなりたい」というものがあるだけで、充分に意味がある。
そんなふうに思います。
真面目なひとほど、わかりませんか?✳︎
夏ですね。暑いですがお身体におきをつけて。
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