不安とうまく付き合うために
*「不安がなければ、もっと楽に生きられるのに」と思ったことはありませんか?
不安を感じずに生きていけたらどんなにすばらしいだろう、と思っている人は多いかもしれません。不安だけでなく、怒りや悲しみなどの感情は決して気持ちのよいものではないので、できれば感じずに生きていきたいと思う性質のものです。
ひとつの不安が別の不安につながって大きくなり、またほかの人へ伝染し、さらには社会を支配することも。
「不安だから○○できない」ということもあれば、「不安のあまり××してしまう」ということもあります。 ・・・こうした不安は、我慢するしかないのでしょうか?
*不安には役割がある?
実は、感情のすべてに意味があります。
感情は、自分を守ってくれる大切な役割があります。
悲しみは、「何かを失った」ことを知らせてくれる感情です。悲しみによって心が内向きになることで、自分をいたわることができるようになります。この時期に悲しまないと、あとで心身にしわ寄せがくることがあります。
怒りは、自分が困った状況に置かれていることを知らせてくれる感情です。怒りがあるから、状況を変えようと努力するエネルギーが湧いてきます。
不安は、「安全が確保されていない」ことを知らせてくれる感情なのです。
不安を感じるからこそ、安全を確認したり、安全でないという状況に応じた対処をすることができます。慎重な行動ができるようになります。もし、不安という感情が湧かなければ、人はもっと多くの危険に巻き込まれるかもしれません。
そのため、今回、「不安を感じなくなること」は目指しません。なぜなら、本来、不安によって守られるべき安全が脅かされてしまうから。
今回目指すところは、「不安にとらわれて苦しくならないようにすること」です。
*不安をなくそうとすると、逆に不安に支配される?
不安は状況の意味づけを教えてくれる感情ですから、必要な時には出てきます。不安をなくそうとしても、そもそも不安は状況に応じて出てくる感情なのでなくすことができない仕組みになっています。
さらに重要なのは、不安をなくそうとするのは、不安が怖いから、あるいは不安を感じるような人間は未熟だと思っているからかもしれません。どちらも、不安を過大視しています。不安はそれほど意識してあげなくてもよい、単なる感情なのです。「不安は悪いもの」という評価を手放すと、逆に、不安から距離をとって客観的にみられるようになるのです。すると、そこから学ぶべきことを学ぶことができます。
▽その不安、ニセモノではありませんか?
*ホンモノの不安とは、安全を確保するために必要な不安です。
例:檻のない場所にライオンがいて、近くを通り過ぎるのが不安
明らかに安全が確保されていない状況なので、当然、不安を感じます。無事にライオンのテリトリーから出るまでは、生物的なアラームである不安が命の危険にさらされていることを教え続けてくれます。これこそ、『ホンモノの不安』の典型です。
*また、未知のものに対して抱く不安も、ホンモノの不安といえます
例:明日は転職先への初出社日。ちゃんとやっていけるか不安で眠れない…
もしかしたら転職先はブラック企業かもしれず、自分の身の安全が確保されているか不明確な状況。さらに、「どんな職場か」「うまくやっていけるか」に関しては未知のこと。なので、当然、不安を感じます。
そのため、新しい場では、多くの人が様子がわかるまで控えめに振る舞ったりします。これは、不安を感じられるために生じる自己防衛です。
また、未知のことや突然のことに遭遇したときに衝撃を受けることがありますが、「衝撃」は不安を掻き立てることが多いものです。
これらは、不安のひとつの機能。これらの不安は、「感じるしかない不安」といえます。ただし、感じるしかない不安なんていらない…と落ち込む必要はありません。焦らず、次に進みましょう。
*ホンモノの不安には2種類ある?
ホンモノの不安には
① 解決できる不安
② 感じるしかない不安
の2つがあります。どういうことでしょう?
① 解決できる不安とは、、、
人との関係の中で、「あの人は私の言ったことを誤解したのではないか?」と思うと、とても不安になります。「自分の言ったことをきちんと理解して受け入れてくれた」という安全が確保されていないからです。このようなときには、相手に確認してみることで安全を確保することができます。調べたり確認すればわかることは、解決できる不安と言えます。
② 感じるしかない不安とは、、、
感じるしかない不安については先程も触れましたが、例えば、新しい土地に引っ越すようなときには、どれほど準備をしても不安をゼロにすることはできないでしょう。それは、新しい土地はやはり未知のものだからです。準備でカバーできる領域は限られていて、あとは、そのときになってみないとわからないことが残ります。そのような不安は、感じるしかない不安だということになります。
*ホンモノの不安は手放せる
“感じるしかない不安=ホンモノの不安”であって、実はそれほど心配することはありません。こういった「感じるしかない不安」の対処法は、不安を感じることを「当然のこと」として受け入れるのが一番です。“不安を感じること”自体は誰にでも理解できることだからです。感じるしかない不安に対しては、「当たり前の不安」だと思うことによって、悪循環から抜け出し、本来の不安のレベルに収めるというのが、最も適切なやり方だと言えます。
例えば、新しい場がどういうところかは「未知」のものですが、「新しい場で不安になる」ことはみんなが知っている「既知の」こと。つまり、不安になることそのものは『未知のもの』ではありません。
また、「何か衝撃を受けた後には不安になりやすい」ということを知っておけば、衝撃で感じる不安は『既知のもの』になります。
<チェック>「未知のものに対する不安」「衝撃からくる不安」は、「不安になって当たり前」なのです。
不安になったとき「ああ、こういう場面では不安になって当たり前なんだ」と考えると、焦って不安が膨張していくことなく、現状を受け入れやすくなるでしょう。
*不安はストレスだと認める
これはとても見落としやすいことですが、感じるしかない当たり前の不安であっても不安を感じるのはストレスだということも認めてあげましょう。
不安な時「何とかしないと」と焦って普段以上に動き回ってしまうものです。ただでさえストレスの高まる時期なのにさらに自分で負荷をかけてしまうので、結果として心身がうけとるストレスは相当なものになってしまいます。
ストレスがある時期には、それだけ心身に負担がかかっているから無理をしないで「マイペースにやる」「少しくらい失敗しても気にしないようにしよう」と自分をいたわりながら暮らすことが必要です。
*不安を周りの人と共有する
むりしないためにも協力してもらい「わがまま」「手抜きしている」などと思われないようにしましょう。
どういう不安を抱えていて、何に気を付けて過ごしているのか、どういう協力をしてほしいのか、理解したり共感してもらうことが必要です。
⇨不安を感じたときは…① 安全確保のためにできることがあれば、できる限りやってみる。
② それでも残る不安は「感じて当たり前の不安」と認める
③ 普段より心身に負担がかかっていると認識して無理せず余裕をもって暮らすように心がける
④ 周りの人に協力してもらいたいことを伝えて無理をしない
*ニセモノの不安とは?
『ホンモノの不安』は危険を知らせてくれる機能がありますが、『ニセモノの不安』は、冷静に考えれば、「危険がほとんどない」もしくは「今のところ危険かどうかわからない」にも関わらず湧いてくるものです。
確かめようのない未来に対して、根拠のないことを想像し、思い悩んで膨張してしまう不安が『ニセモノの不安』です。
人は「人からどう思われるか」「将来どうなるか」といった未知のことをあれこれ想像してしまうものです。これらの『ニセモノの不安』は、確かめようのないことだったり、相手に直接聞けないことが多いため、簡単に解決しにくいという特徴があります。
*ニセモノってどういうこと?
例:最近、彼の様子がおかしい。もしかしたら浮気しているのではないかと不安…
これは『ニセモノの不安』の代表格なのですが、この例の場合でも、本人が感じているのは『不安』という感情であり、それは本当のことです。
『ニセモノの不安』の場合、その『不安』のもとになっているのは、事実ではなく『強迫観念(頭にふと浮かぶ考え)』で、「浮気しているかも」という不安には、なんら物理的な根拠がないのです。『強迫観念』とは頭の中にふと浮かんできて人を苦しめる思考のことをいいます。
もちろん、ここで無理やり「根拠がないから『ニセモノの不安』だ。心配してもしかたない」と割り切れる人はそれほど多くありません。なぜなら、浮気をしている根拠はないけれど、浮気をしていない根拠もないからです。
このような「本当はどっちかわからない」「相手がどう考えているかわからない」という状況はたくさんあります。(未知の事をあれこれ想像し、膨張していくのが『ニセモノの不安』でしたね)。ひとつの強迫観念から不安を掻き立てられると、それは他の強迫観念に繋がり、耐えきれない不安になる…というスパイラルに陥りやすいものです。
このような状況の一番の問題点は、自分が無力になってしまうことです。
浮気しているかは彼にしかわからない。でも、確認することで関係性が悪くなるのも怖い。これでは、これからどうなるか、自分には全くコントロールできません。
コントロールできない不安は、『ニセモノの不安』なのです。
自分にどうにかできる状況であれば、ただ不安に思うのではなく、行動してみることができます。そういう意味では、『ホンモノの不安』のほうがコントロール可能です。
しかし、『ニセモノの不安』のカラクリを知ることで、それを手放すことは充分に可能です。『ニセモノの不安』を手放すことができれば、自分を苦しめている不安の多くを解決できるのではないでしょうか。『ニセモノの不安』の扱い方は次のページ以降で説明していきます。『ホンモノの不安』と『ニセモノの不安』の違い、なんとなくわかってきたでしょうか?
ニセモノの不安とは...
・事実ではなく、強迫観念(頭の中でふと浮かぶ考え)がきっかけで生み出されるもの。
・根拠のないことを想像して思い悩むこと。根拠がないので、否定も肯定もできず、確かめようがなく、不安や悪い想像が膨張していく。
・不安で無力になってしまっているとき、その不安はニセモノの不安です。
*『ニセモノの不安』への特効薬
『ニセモノの不安』はとらえどころがないため、『ホンモノの不安』のように、何らかの直接的な行動によって解消することは難しい場合が多くなります。
しかし、『ニセモノの不安』には、『心の姿勢』に注目するという特効薬があります。
*2種類の『心の姿勢』とは?
不安は、それが『ホンモノの不安』か『ニセモノの不安』かを見分けることができれば、手放しやすくなります。そして、注目したいのが、自分の『心の姿勢』です。実は身体と同様に、心にも姿勢があります。常に猫背の人がいるのと同じように、心にも姿勢があるのです。『心の姿勢』には大きく二つに分けられます。
○ 現実を『怖れの目』で見る姿勢
○ 現実を『温かいこころ』で見る姿勢
人の『心の姿勢』の初期設定は『温かいこころ』です。もって生まれた性格や能力、生育環境、身近な人たちの価値観、体験してきたことなど、いろいろな事情があって、その人の今があります。どんな人のこころにも、温かい部分は存在しており、それは、安全な環境に置かれているときに出てきます。たとえば、自分に余裕があるときには、人に親切にしてあげられるし、小動物や赤ちゃんを「かわいい」と思えます。他人との間に心温まる交流を感じるとぽかぽかした気持ちになるでしょう。このときの『心の姿勢』は『温かいこころ』でしょう。
しかし、周りの人からいろいろと批判されたり比較されたり、さまざまな恐怖に触れながら育つ中で、だんだんと『怖れ』を身につけてしまいます。ここでいう『怖れ』とは、一般に使われる怖れだけでなく、『ぽかぽかとした温かいこころ』以外のすべてを意味します。
何かを怖れる気持ちはもちろん、強迫観念(頭の中にふと浮かんできて私たちを強く苦しめる思考のこと)も『怖れ』の一部。また、完璧主義や「べき」思考、罪悪感などはすべて、『怖れ』のグループです。「怖れ」というのは「人生は苦しい」「うまく立ち回らないと生きていけない」「常に防衛しているべき」「自分に厳しく」など、私たちを息苦しくするメッセージを送ってくるものなのです。
『怖れ』があるから、「あの人にどう思われただろう」「自分はこの場になじめるだろうか」「こんな仕事をしていて人からバカにされないだろうか」などという強迫観念が出てきます。
『怖れ』の奥を探っていくと、「人は相手の欠点ばかり見ているものだ」「人は他人が困っていても助けない」「自分はどこか足りない人間だ」などのマイナス思考に行き当たります。こうした『怖れの目』を通したマイナス思考が、強迫観念を作り出すのです。
『温かいこころ』と、『怖れ』の2つの『心の姿勢』の違い、少しわかりましたか?
*『怖れ』のしわざで『ニセモノの不安』は生み出される
『怖れ』はマイナス思考を生み出すのでしたね。「人は自分のことしか考えていない」「業績を上げないと評価されない」などは、『怖れ』が得意とする考え方です。
しかし、これは意外に思えるかもしれませんが、『怖れ』は、現実には脳内劇場に過ぎません。実際に何か根拠があるわけではなく、『怖れ』が脳内で物語を作り出しているだけで、幻想でしかありません。どういうことか例を用いて見てみましょう。
例:プレゼンで大失敗。上司に「使えない奴」「ダメな奴」と思われて信頼を失ったりしそうで立ち直れない…
確かに「失敗」したのは事実です。しかし、その事実に「上司から使えないやつと思われそう」というネガティブな意味づけをするのは、自分の中にある『怖れ』です。ある時点では「失敗」に見えたものが、長い目で見ると自分を大きく成長させた、というようなこともあるでしょう。しかし、「怖れ」を持っていると、単に「失敗」は「失敗」にしか見えません。それによって、「ダメな奴」だと思われたり、信頼を失ったりするのではないか…とネガティブな側面ばかりが見えてしまうのでしょう。
ところで、本来、私たちを守ってくれるはずの不安なのに、不安によってこれほど苦しんだり自由を制限されてしまうのはなぜでしょうか?「感情としての不安」と「心の姿勢としての怖れ」を混同してしまうと、不安によって苦しんだり、自由を制限されてしまいます。『怖れ』という『心の姿勢』と、不安という感情は、似て非なるものなのです。
例:見知らぬ人との出会いに不安になるのは当然と思っても、どうしようもなく人見知りしてしまう。そんな自分をコントロールできない
『怖れの目』で見ている場合、「初めて会う人だけど、大丈夫だろうか?」という、本来あって当然の『未知への不安』よりも、「嫌われたらどうしよう」「変な人だと思われたらどうしよう」「どうせつまらない人間だと思われる」といった強迫観念によって、必要以上に不安が強くなるのではないでしょうか?
不安は人間に必要なものですが、「安全が確保されていない」ということを知らせるまでがその役割です。その後もずっと続く「不安感」は、『怖れ』が次々と生み出してくる強迫観念によるものでしょう。強迫観念はどんな人にもふと浮かぶものですが、それに溺れていってしまうのは『怖れ』のしわざなのです。
*結果を気にしすぎると不安にとらわれる
人生、何が起こるかわかりません。どれほど誠実に生きていても、結果はコントロールできない側面があります。多くの人は、結果を気にして生きています。それが「もし…になったらどうしよう」「うまく…できるだろうか」という強迫観念を生み出していきます。
もちろん、結果はよいものになったほうが望ましいですが、それは多くの場合、人智を超えたことです。結果にすべてをかけていたら、心が折れてしまうでしょう。
結果を気にしないとはいえ、現実的なリスクは気になってしまいます。「なんとなく不安…」という場合には、事実に基づいて客観的にリスクマネジメントをすれば心の姿勢は整っていきます。「何が必要か?」「誰に聞けば分からないことがわかるだろう?」という風にあいまいな部分を具体的にしていくと、「なんとなく不安」というものや「怖れ」というものは小さくなっていくでしょう。人は主観で物事をとらえる傾向にあるものですが、主観には気付かないうちに「思い込み」が混ぎれこんでいるものです。「怖れ」の姿勢に入っているときは、ふと「客観的に考えても本当に安全ではないのか?」と考え直してみるとよいかもしれません。状況があいまいなまま不安に取りつかれ、常に自分を『怖れ』であおり続ける必要はありません。
*「怖れを手放すべき」とは考えない
「温かいこころ」を選ぶためには、「ポジティブに生きよう!」などと気合を入れる必要はありません。人として自然体でいることを邪魔している「怖れ」との付き合い方を変えるだけです。
もしかすると「怖れを手放せなかったらどうしたらよいのか」と思われるかもしれません。『怖れ』を手放すのが苦手な人は、人間の本質は「怖れ」だと信じており、今まで「怖れの目」を通して人や物事を見てきて、その世界に慣れてしまっているのかもしれません。あるいは、怖れている自分を厳しい目で見ているかもしれません。
「怖れている」こと自体は日々の衝撃やストレスの中では、普通の反応といえるでしょう。「怖れを手放すべき」などと義務のように考えてしまうと、永遠にゴールにたどり着けなくなってしまいます。まずは、人間としての普通の反応である「自分の怖れ」を、「まあ、人間だから仕方ない」と優しく自分を受け入れるところからスタートしましょう。そして、「温かいこころをもてたらいいな」という希望として持っておいてください。
*自分の「心の姿勢」は自分で選べる
人は、『心の姿勢』が整っていると「やすらぎ」を感じます。反対に、ぽかぽかとしたやすらぎを感じられないとき、ドキドキしたり、ピリピリしたり、イライラしたり…そんなとき、実は整っていない『心の姿勢』で過ごしているのです。
「心の姿勢」が「怖れ」にあるとき、「ああ、私は『怖れ』ているのだ」と思えればOK。
もっとも手っ取り早い方法は、自分についても他者についても、何かしらネガティブになったときは、「怖れて、助けを求めているのだ」という視点をもつことです。
「怖れ」の姿勢にある相手(怒っている人など)に対しては、「相手は怖れて、助けを求めているんだな」と思うと、相手の「怖れ」に巻き込まれず、こちらは整った心の姿勢で客観的な事実に基づいたやり取りに繋がっていきます。
もしも「相手が悪い!」と思う場面があれば、「相手」ではなく「私は困っている」という風に、「自分」の心の姿勢に目を向けてみます。このような視点をもつと、「どこに行って誰に助けてもらえばいいのだろう」という前向きな考え方ができます。このように、『心の姿勢』は、関心さえ向けることができれば、転換できるのです。
心の姿勢には現実を「怖れの目」で見る姿勢と「温かいこころ」で見る姿勢がある。
②私たちを息苦しくさせるメッセージを送ってくるのは「怖れ」のしわざ。「怖れ」が「ニセモノの不安」を作り出す。「怖れ」は実際には根拠のない脳内劇場の物語にすぎない。
③「ニセモノの不安」で苦しんでいるときは、「怖れて、助けを求めている自分」に気づき、主観ではなく客観的な情報に基づいて考えることで、心の姿勢を整えることができる。そうすることで、不安にとらわれて苦しい状況から解放される。
*まとめ
自分に対して「あれもできない」「ここも欠けている」とダメ出しばかりしていると、不安でいっぱいの人生から抜け出すことはできません。何をやっても足りないような気がして、『怖れ』にとらわれっぱなしになってしまいます。
大切なことは、『怖れ』を脱して『温かいこころ』に戻ること。
「戻る」というのは、それが人間の本質だからです。『怖れ』から『温かいこころ』に視点を転換させる習慣がつけば、自分自身にも温かい目を向けられるようになっていきます。
まだ『怖れ』の習慣が抜けない自分を「ダメ」と思わずに、「長い間『怖れ』の世界にいたのだからしかたない。ゆっくり意識していこう」と温かく受け入れることもできるでしょう。
他人に振り回されたり、「べき」に踊らされたりせずに、「ひとりの人間として、私はこう生きていきたい」という主体的な姿勢をもつこと。自分の「心の姿勢」を整え、本来の「ぽかぽかした温かいこころ」を取り戻して、行動すること。他人がそれをどう思うかは、完全にその人の自由です。自分自身を、「怖れ」にとらわれた人の基準で見る必要はありません。「自分のありかたを自分でコントロールできる」という感じを持てたとき、自分を悩ませていた「ニセモノの不安」は劇的に減っていくでしょう。
不安とうまくつきあうヒントになれば幸いです。
こちらの記事は『その不安、ニセモノではありませんか? 「決められない」「自信がない」「人間関係がしんどい」あなたに』を参考に書かせていただいております。もっと詳しく不安について、不安との付き合い方について知りたい方はこちらをご参照ください♪
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%B8%8D%E5%AE%89%E3%80%81%E3%83%8B%E3%82%BB%E3%83%A2%E3%83%8E%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%9B%E3%82%93%E3%81%8B%EF%BC%9F-%E3%80%8C%E6%B1%BA%E3%82%81%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%84%E3%80%8D%E3%80%8C%E8%87%AA%E4%BF%A1%E3%81%8C%E3%81%AA%E3%81%84%E3%80%8D%E3%80%8C%E4%BA%BA%E9%96%93%E9%96%A2%E4%BF%82%E3%81%8C%E3%81%97%E3%82%93%E3%81%A9%E3%81%84%E3%80%8D%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AB-%E5%A4%A7%E5%92%8C%E5%87%BA%E7%89%88-%E6%B0%B4%E5%B3%B6-%E5%BA%83%E5%AD%90-ebook/dp/B01CP2OLSC
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