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【優しい世界】単純で当たり前な話・でも誰もそれを言わない【本当の忖度】

VTuber、特にライブ配信に重きを置いている人達は、毎日配信を義務化されてるかの如く頻発してくるね。
同じような時間で、何かを奪い合うように。
「今日は配信がありません、ごめんなさい」と、今日は配信しないからあなたのそばには居られませんアピールがTwitterのTLに流れてくる。
当然ファンは、「無理しなくていいんだよ」と優しく慰める。
なんとも優しい世界だ。
今回はそこに関して、自分の思いを書き連ねよう。
今までの記事で言ったことと重複する箇所もあるだろうけど、それだけ何度も言いたくなる程強く思っていると理解してもらいたい。

相変わらず穿ったモノの見方をしているので【閲覧注意】かつ【自己責任】で、あくまでも自分の意志に従って読み進めて戴きたい。

ご理解頂けたなら、話を続けよう。

●毎日配信するって大変だ

自分も、アマチュアの趣味ではあるものの、動画を投稿したり、配信をした経験があるので配信者の目線という物も全く分からない訳ではない。
だからこそ、毎日配信するという配信者の目標は素晴らしいし、それを守って行動し続けるのは大変なことだ。
そこには視聴者には知り得ぬ苦労もあろう。
特に少人数で活動する個人勢なら、例えばそのネタのバリエーションを広げる事ってすごく大変なことだろうし、毎日配信することに囚われ、マンネリ化して飽きさせるなんて本末転倒も甚だしいことだから。
そうならないようにする努力ってのは、本当に大変でしょう。
なんせ毎日産みの苦しみと対峙しなくてはいけない訳ですから。

●毎日視聴するのも大変だ

それは見る側だって一緒。
配信者の指定した配信時間に、いつもこちら(視聴者)の予定が丁度いい具合にクリアであり続ける訳もなかろう
かつてのTVと一緒でやはり時代が過ぎても「ゴールデンタイム」ってやつは存在する。
一日の仕事が、用事や予定が終わり、食事が済んでゆったり出来る時間。
入浴、就寝までの数時間。そういう時間は確実にあった。いや、今だってある。
当然、配信側だって見てもらいたいからそういう時間に配信時間を合わせる。
結果そこに配信渋滞が起こる。
推し同士が裏で同時に配信をするから、複窓や複数デバイスで同時視聴をするのか、それとも取捨選択し、いくつかの配信は諦めるのかという選択を迫られる。
例え多少の取捨選択をしても、綿密なタイムテーブルを作成し、分単位での正確さでこなさなくてはとてもじゃないが回りきれない事だって珍しくない。
それに加えて、なにせアーカイブ視聴は推しへの裏切りであり、推しをがっかりさせる行為である(という勘違いを持ちやすい)から、やはりリアタイで配信を見ることが正義(と思い込みがち)なのだ。
もっといえば、配信者がこれだけ飽和している今の環境で、配信側だって時間調整なんて気にしてられないし、なんなら逆に時間をぶつけて自分の方へ奪いたい訳で。
そうでなければ、完全に配信過疎時間を狙うか。
深夜なんだか早朝なんだか判らないような丑三つ時だったり、おやつの時間だったり昼食の時間だったり、そのちょっとした隙間の時間を狙ってみたり。

少し話がそれるが、自分がVTuber界隈に足を突っ込んだばかりの頃はあの、にじさんじでさえ箱内のライバーの時間が被らないような時間調整をしていた節が見受けられる。
今はもう、箱内のライバー数的にそんなことが出来るような状態ではないから配信時間も内容も被りまくりの飽和状態で、箱内での共食いすら起きている節がある。
もっといえば、箱外コラボもにじさんじはあまりしてこなかったが、最近はその辺もユルユル&ガバガバ(よく言えばライバーの裁量に任せるようになったの)で、余計にそのカオスっぷりに拍車がかかっただろう。
まぁ、それが原因で箱内のライバーの人気の下駄も外れてしまい、クオリティーの最低保証もなくなって(床板ぶち抜いて落っこちなきゃいい的に)ライバーの責任度合いが増えたから、箱内格差も広がっているようだが。
もう、「我、にじさんじぞ!」と言う紋所は効果が薄れているのは否めない事実だろう。
正直な感想を言うなら、ホロライブには最初っからそんなものはなく、かなりの割合でタレントの責任度合いが高かったように思える。
何かあっても庇護できる程のしっかりした運営体質でもなかったろうし、それどころか平気で火に油を注ぐようなお粗末さな上、「ダイエット0日目にピザとエナドリとビッグマックと深夜ラーメンを極める」ツイートをぶちかます輩のよう(比喩表現)な「社内体質改善」っぷりなのでさもありなんだろう。それぞれ個々のホロ所属ライバーには好きな人も結構いるのだが「ホロライブ」という箱を意識した瞬間に萎えるのはなんとかしてもらえないものか。

●救済措置が責め苦になる世界

よく、動画や番組の視聴サービスで「オンデマンド」というサービスがある。
視聴者側が

・好きな時に
・時間に囚われず
・視聴者の都合に合わせて

見ることが出来るサービスだ。
まさにアーカイブ視聴がそれだ。
だから、
ライブ(配信)に参加しないとモグリか?
と聞かれたら、
んな訳あるか。
と答えるだろう。
音楽のファンを例に取るが、ライブに必ず参加しないとそれはもうファンではないのか?
CDやストリーミングで音楽やMVを楽しむ人がファンを名乗るのはおかしいかという話と同列だ。

グッズが出れば買い、ライブがあれば足を運び、円盤が出たなら入手し、毎日その人の曲を聴くべきだ。それこそファンの在るべき姿である。

そう言われて「そうだ!そうだ!その通りだ!!」と、盲信するエリートはこの際脇で勝手にやってて頂いて(今話しているターゲット層とは違うので)、実際に「好き」という感情だけでファンを名乗るライト勢やエンジョイ勢からすれば、こんなもんは枷でしかない
しかし、音楽に対してはそう言った思いを持てるのに、VYuber相手だと急にエリート化したがる輩が増える。

VTuberファンのエリートとは(※あくまでもイメージだけど)
推しにはスパチャや投げ銭を惜しまず
メンバーシップやファンボなどの有料コンテンツも当然支援し、
グッズに有料イベントがあれば我先にと金を投げ
夜に推しの配信あれば、食事中でも画面を眺め、
昼に推しの配信あれば、仕事中でもスマホを覗き、
深夜に推しが語ると言えば、睡眠時間を削って忠誠心を示し
早朝に朝活すると聞けば、睡眠不足の身体を推しの声で奮い立たせ
無茶な耐久配信やると聞けば、我が事のように自らも併走し、
配信を一度でも欠かそうものなら、その行為は万死に値すると天に懺悔し、
推しのツイートは神の啓示であらせられるので、必ずリプか引用RTで讃えねばらなない。
もちろん「いいね♥」は既読マーク代わりで、
どんなつぶやきも見逃さないように、
フォローのみならず通知もONにするのは当然

推しの配信開始ツイートも、
過去アーカイブツイートも

息をするように定期的にTLに放流し、推しの拡散に努めます

...そんな輩はほんの極一部の全奉仕オタクでしかないとでも思っていますか?

確かにこれ全部を息をするように行ってる輩は完全に超エリートかも知れないし、明らかにネタ要素満載で書き連ねたけれど、VTuberファンの自覚があれば少なからず当てはまる項目はいくつかあろう。
VTuberファンにはエリート予備軍の割合が比較的高いように思える。

●VTuberとはエンターテインメント(娯楽の一種)である

結局はこれ。
音楽を聴いたり、テレビを見たり、アニメや映画を鑑賞するのと同列のものであるから、自分のリアルライフを犠牲にするのは本末転倒であるし、犠牲にしなかったからと言って何ら後ろめたいことはない
もっと言えば、
視聴者の都合や関心を(当然)把握しきれない、というか網羅できない配信者サイドが数打ちゃ当たると配信乱発しているだけで、それに100%ついて行けなきゃファン失格だって言うんならそれはすでに傲慢以外の何物でも無い。当然、大多数の人達(配信者も視聴者も)が頭では理解していることだし、神ならぬ人の身に完全把握なんて不可能であるに決まっている。

正直言うが、極々普通のいわゆる一般論的社会人がついて行ける頻度ではないだろうし、複数推しが当然の昨今にすべてのライバーがこのペースで配信してりゃ、1人頭に割り当てられる情熱量なんて薄れるに決まっている。

人はそれぞれ持ち合わせている情熱量の総和(最大値)があって、それをいろんな物事や人に向けて消費することで、関心を向けて行く、打ち込んでいくのである。
だからそうやって情熱が希釈されていけば、というか、情熱を向ける先が分散すればする程、Ⅰつ当たりの情熱量は少なくなり、ちょっとした不満で面倒くさくなってファンを辞めるなんて事になるのは自然の摂理だし、

配信の乱発で配信内容が偏り、何度行っても再放送を見せられるようでは余計に情熱なんて薄れていく。

一度成功体験をすると、人はそれに囚われ繰り返すようになる。
自分の良さは他にもあるにもかかわらず、出涸らしの長所を干からびた企画で今日も配信するようでは、新規はだませても古参は飽きが来るのではないか。
作り込まなくては見てもらえない、評価ももらえない動画の投稿よりもずっと簡単で刹那的な準備時間で済む、配信で再生時間を稼ぐ方が効率がいいのは判る。

おまけに配信ならば投げ銭もしてもらえて稼ぎやすい

のも理由の1つだろう。
編集作業なんてある意味拷問だし、終わりが見えない責め苦であるのは自分も経験があるのでよく分かる。
おまけに非リアルタイムという性質上、投稿動画への投げ銭は渋くなるのが当然だ。
リアルタイムでの投げ銭はノリと空気感で慎重に考えることが難しく、刹那的な快楽を享受できるという意味で、判断がガバガバになるのは人の性だろう。
投稿動画はじっくり見て、受け止めて、その上で熟考してお金を出すかどうかを決めるのだから財布のひもは固く、渋くなって当然だ。
YouTubeの拍手機能があるとは言え、スパチャには勝てるはずがない。
そう言ったYouTuberやVTuberの現実問題的な話を考えても配信に走るというのは当然の選択だろう。

折角いろんな魅力のあるエンターテイナーが、自分のアイデンティティだと言い張って視野が狭くなっているために、自分もその人の配信に足が向きづらくなってるという現象は間違いなくある。
ぶっちゃければ、興味のないものや何度も見て飽きてしまった出涸らしを延々見せられるのは、例え推しの配信であっても苦痛だということに変わりはないし、例え素晴らしいコンテンツであっても、その時々の気分が乗らなければ素直に楽しめない訳で、楽しめないものをエンターテインメントと呼ぶのは抵抗があってしかるべきだ。

●エンターテインメントは、生活のスパイスであるべき

誰だって、スパイスを主食にはしないだろう、
中にはそれを職業にする人もいるだろうが、すべての人がそうではないという事実を、配信者も視聴者も「当たり前」に持っていないといけない。
最初に出した「今日は配信おやすみします、すいません」という言葉が普通に認められ、そこに誰も突っ込まないというのは、自分に言わせれば

「視聴者側の配信者に対しての忖度・気遣い」


でしかなく、なんなら「配信がないおかげで他のことに時間が回せます」という言葉が出ることだってあるんじゃないのか。
いつも配信があるせいで、そっちに時間を割かねばならず、本当にやりたいことがあってもそっちを後回しにしたり、本当にやりたいことや本当に好きな物事を「考えること」すら後に回しているかも知れないなんて事を考えたことはあるだろうか。
忠誠を誓った推しに対して、「毎日配信やってるせいで見に行かなくてはならず、他のこと出来ません」なんて言う訳無いでしょ?
万障繰り合わせてその配信時間をわざわざ空けて見に行くんです。
忖度だと言ったのはそういう意味です。
もしこれで「そんなこと言うんなら、じゃあわざわざ見に来なければいいじゃない」などと言うようであれば、それはもう「優しい世界」というぬるま湯にだらけきり、考えることを放棄した状態だと言わざると得ない。
そこまでしても見たいと思わせる魅力があるから見に行くんだ、と思ってもらってることを忘れてはいけないだろう。
私事だが、自分の動画の再生回数が伸びないのも同じ理由だ。
誰があんなクソ動画を時間割いてまで見てやらなくちゃいけないんだと思われるから動画の再生数が伸びないのだ。
それを配信ばかりやっていると忘れていくんじゃないだろうか。
配信すれば人が集まるのが当たり前すぎて。

●そして本当に言いたいのは

大事なのは、出演者のキャラの魅力・動画や配信で取り扱うコンテンツの基礎的な面白さ・そしてそれらの相乗効果で生み出される予想外の楽しさ、面白さ(面白さ≠お笑い)だ。
それを維持できるだけのモチベーションやアイデアのバリエーション、そしてクリエイト能力を発揮しうる人が、遅かれ早かれ認められ、伸びていってると思う。
そういう人達には、根強く、深い愛を持ったファンが付いているように思う。
毎日配信なんかしなくても、動画やアーカイブでその魅力を感じましたって人だって新規で来てくれる人だって結構多いと思いませんか?
「毎日配信しないと離れてっちゃうから」とか悩んじゃってお気持ちツイートする程病むのは、間違ってると思うんですよねぇ。
推しのみなさんも、もうちょっと気楽にやってもいいと思うんですよ。
ファンになりましたって言う程強く心動かされた人なら、それと同じかそれ以上の衝撃がなきゃ嫌いになったりしないでしょ。
逆に、数打ちゃ当たるの出涸らし見せられる方が萎えると思いませんか?
なんか似たような配信ばかりになってきて、それでも熱狂して盛り上がって見せているファン達を、どこか覚めた目で見ながら、老婆心での忠告とさせてもらいます。

「あなたがあなたらしくそこに居てくれるのならば、それだけでいいんです」

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