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効率的で「ない」こと

どうも、珍しくこんにちは。
陽の光が眩しい、日本からお届けしています。
Yas: うつぼです。

美醜の感覚は人によって様々です。

ある人にはとんでもなく醜いものでも、ある人には神々しいまでに美しく映るものです。

質か量か?みたいな問題は、よく議論されます。その結果、どっちがええねんみたいな話は常に平行線だと思っています。

これは一重に見てる場所が違うからだけです。

利益にピンを止めるなら、量を吐く方が良いという発想になりがちです。その結果として、「効率化」という魔法が発動されます。けど、この「効率化」って危ういんだと思ってます。誰でもできるって事は、誰でも良いって事です。誰でも良いって事は、最早、アナタじゃなくても良いって事なんです。

巷には、そういう効率化の産物が溢れています。効率化=企業努力ではあるので。その全てを否定はしません。問題だと思っている事は、そこではありません。

質を追求するのは血反吐が出る作業です。紐の結び方、服の着方、机の整理の仕方。実はこういう所にもそういう拘りが滲み出るのだと思っています。僕は、そういう事には頓着が出来ないので、イマイチだなと思いながら過ごしてたりします。

けど、自分がやる事には「質」を求めたいなと思っています。本来であればこの文章も何十回も推敲して、その先にあるものをお届けするべきなんですけど、メモとして書き殴っているのでそうも行かない現実があります。これは、僕の熱量をそのまま封じ込めるべきだと思っているからです。

「質」には理由があります。「質」を取りたい、良いものを創りたい。そう思っている方は多いと思います。その全てが素晴らしいですし、どうせやるならちゃんとやろう!と思うのも日本人らしくて本当に素晴らしいです。

余計な効率化の果てにあるものは、無個性です。余分な事が人の個性だとも思うのです。想像してみてください、全員が同じ背格好であればそこに潜在的な区別なんて出来なくなります。太っている、痩せている、背が高い、背が低い。コンプレックスの要ではありますが、それはその人がその人たらしめているということでもあるんでしょう。

効率化は、その全てをフラットにしちゃう可能性があります。そして、本来の効率化というのは最高の質を担保するために、この順番でやろうという職人芸の汎化だと思っているんです。非合理的で、非効率的な事が個性に実は繋がっているんじゃないかと思っています。

シンプルで効率化した結果、最高の結果を得る

みたいな宣伝文句があります。これは、最上級の非効率を経て生み出されたものであるって事です。何かの真似をすれば成功には近づくかもしれません、でも、成功した時に「理由」がないといけないという事に気づいてしまうと悲劇なんだと思います。

初期衝動を錬磨するという「非効率」を突き詰めてこその「質」だと思っていますし、「質」が高いものは血反吐はいて出来上がったものだってことを理解するべきなんだと思いました。

僕は、その大海原に漕ぎ出す準備ができました。嵐しかないと思います、凪な生活が羨ましくなると思います。でも、「質」を追求することを1人の日本人としてやっていこうと思う次第です。

駄文にお付き合いくださいまして有難うございました。

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