小説というジャンルの位置づけ

 小説は文章から出来てますが、文章から出来ているものは小説だけではありません。

 例えば、仕事でよく作る資料や、業務マニュアル、報告書なんかも文章から出来ているし、論文やエッセイ、詩や歌も文章で作られています。

 文章はどれも表現する事、伝える事が目的ではありますが、そのジャンルによってどう表現するか、どう伝えるかが微妙に違います。もしもそのジャンルを逸脱した文章を書いてしまうと、読者が違和感を持ってしまいますので、自分がどんなジャンルの文章を書くか把握しておくことは重要でしょう。

 例えば、業務マニュアルは「理解して納得させる」ことで読者の仕事における行動を変容させようとしますし、詩や歌は「共感して感動させる」ことで読者の中に残ろうとします。
 詩的な業務マニュアルでは、抽象的になりかねず、抽象的になれば人によって解釈がずれてマニュアルの目的を達成できないでしょうし、マニュアル的な詩では感動できません。

 「日本語が書けます」というのが日本の小説家にとって必須なのは自明だと思いますが、細かくは日本語の中の、どういうジャンルの文章を書けるかというのも重要な視点になってくるのです。

 そんなわけで、今回は小説というジャンルの俯瞰的な位置付けを説明しましょう。

 noteに不慣れなので、書き方があってるかどうかわかりませんが、「理解」と「共感」を対立軸と捉えて、文章のジャンルを並べてみました。上が「理解」重視で下に行くほど「共感」重視になります。


【理解側】

・業務マニュアル、企画書、報告書
 ↓

・論文、小論文、歴史書、自己啓発
 ↓

・作文、読書感想文
 ↓

・説話、随想、エッセイ【内容によって小説と逆転する場合あり】
 ↓

・台本
 ↓

・小説
 ↓

・詩、句、歌

【共感側】


 さて、何が言いたいかというと、書き始めたばかりの人は小説というものを誤解してしまっている場合があるのです。

 私はLINEの小説家志望者の集まるオープンチャットに参加していて、素人の書いた作品もけっこうな量読んでいるのですが、いろんな人に繰り返しすぎて指摘する気すらなくなってしまったミスがいくつかあります。

 例えば、設定に凝ることに夢中になった結果、歴史書のようになってしまった小説や、世界に対する疑問や反発を注ぎ込んで自己啓発本のようになってしまった小説です。
 もちろん、設定に凝る事は悪ではありませんし、世界に対する疑問や反発を注ぎ込むのも、「共感」を得られるならば問題ありません。しかし、小説において設定や主義主張を「理解」させる事を優先してしまうと、読者に違和感を与える可能性があります。

 例えば俳優さんは役作りのために、自分が演じる役の職業の人に話を聞きにいったり、その人の人生を勉強しにいったりしますが、それを観客の前で一つ一つ説明して理解させる事はありません。
 それと同じで、凝った設定、世界に対する疑問や反発を作品の中で一つ一つ説明する必要はないのです。自分の考えを100%文章に落とし込もうとするのは、「共感」を妨害してしまいます。俳優さんを例にすれば、観客の前では役作りを踏まえた演技をするだけで十分なのです。

 逆に言えば、氷山の一角さえ納得できるものにすれば、見えない部分は読者の想像が補う事になるので、より「共感」を得やすくなります。マニュアルなどと違い、見えない部分があってもさほど影響はないでしょう。

 小説を書く人は、「理解」側に傾きすぎた文章を書かないようにする必要があります。

 

 よく見るミスには、もう一つ定番のパターンがあります。「共感」側に傾きすぎてしまう場合です。

 いくら小説がマニュアルや論文などより見えない部分が広いと言っても、詩や歌ほど抽象的にはできません。小説とは「物語」なので、最低でも「誰が・どこで・何をした」という3要素は文章から外すことができないからです。しかし、「共感」に傾きすぎると、しばしば外すことのできない要素が省略されてしまうのです。

 具体的には、

「誰が」が省略されている
・主語そのものが省略されている
・主語の指示代名詞の指示先がない

「どこで」が省略されている
・場所に関する描写が一切ない
・そこに他に誰がいるかの描写がなく、会話しかない

「何をした」が省略されている
・座っているのか止まっているのか歩いているかわからない
・表情がわからず、感情が見えない

 などが定番でしょうか。例外はありますが、会話のみで小説を成立させようとした場合に起こりやすい傾向があります。

 僕が嫌いな言葉の一つに「空気を読む」という言葉があります。空気というのはおそらく「共通認識」の事で、仲間内でなら問題なく通用します。しかし仲間内で空気を読むことに慣れたガキンチョは、しばしば「共通認識」が確立されていない、または別の主義主張を持つ相手にも、「あいつは空気が読めない」とか言い出しやがるのです。もちろん、空気なんてものは幻想ですから、その幻想が共有できていない相手には何も伝わりません。

 小説でも「共通認識」が出来上がっていない読者に、「空気を読め」と前提条件となる要素を省略してしまうのは厳禁です。読者が空気を読めるようになるまで、必要な要素は省略しすぎない方が良いでしょう。

 ちなみに、こういった小説の前提条件に欠ける小説を読まされた読者は、必須要素が欠けている事に気づけない場合は自分の読解力を疑って無難にその作品を誉めてしまうことになりますし、欠けている事に気づける人間は色々な人からそういった小説を読まされ、言いにくい指摘を繰り返ししてきたせいで食傷気味になってしまいますので、だいたいの場合何もアドバイスしてくれません。


 長くなりましたが、身近な人は誉めてくれたけど、同類の中では評価がもらえないと悩んでいる人は、だいたいの場合きちんと小説というジャンルの立ち位置が把握できていません。

 小説はマニュアルでも論文でも詩でもなく、あくまで「小説」ですので、小説を書く際には小説というジャンルの立ち位置を忘れないでくださいね。