小説執筆時の失敗例 「世界に固執」

 小説は「物語」です。推理小説であろうとラノベだろうと、物語には舞台となる「世界」があり、「登場人物」がいて、「ストーリー」が進行していきます。

 5W1H風に言うとWho(登場人物)、When・Where(世界)、What・Why・How(ストーリー)と言ったところでしょうか。

 さて、では小説を書き始める時、この3つの要素のうち、何から手を付ければ良いでしょうか?

 答えは、『何でも良い』です。最初にこんな世界を旅してみたい!と思ったなら、「世界」から作っても良いし、こんな人がいたら痺れる!と思ったなら「登場人物」から作れば良いし、こんなシーンを書きたい!と思うなら「ストーリー」から書けばいい。

 この世界には正解がたくさんありますので、面白い小説が書けるなら別に何だって良いのです。

 ただし、これだけは間違いというものも存在します。僕もかつて、いや、今も度々やってしまう間違いです。
 その間違いというのが、「世界に固執してしまう」というものです。中世風ファンタジー、現代日本、近未来、SF、まぁそれくらいなら問題ないんですが、凝り出すと設定ばかり延々と作り始めます。歴史を作ったり、地図を作ったり、組織図を作ったり。

 そのうち、世界を作る方が楽しくなってきて、ものすごい労力を注ぎ込んで世界を構築していきます。そして、その凄さを誰かに伝えようとしますが、見せられた側はその面白さが理解できません。3つの要素の1つだけを見せられても、ジクソーパズルの一片を見せられているようなものだからです。

 その後、仕方なく小説を書き始めるのですが、自分が一生懸命作った世界を軽く扱うことに耐え切れなくなり、いかに世界の魅力を伝えるかを最優先に考えるようになってしまいます。

 以前『小説というジャンルの位置づけ』でもお話したのですが、小説は文章の中でも共感に偏ったジャンルになります。
 しかし、世界を中心にして世界の説明が増えてしまうと、論文のような理解に偏った文章になってしまうのです。
 歴史小説ならそれでもある程度問題ないんでしょうが、「小説」というジャンルを看板にして集客している以上、説明ばかりになると読者は冷めます。

 ちなみに、世の中的に言えば、「世界」を優先して作り、大成功している作品は多数存在します。例を挙げると、『指輪物語』や『ロードス島戦記』などがそうでしょう。

 指輪物語は地図や歴史、果ては架空の言語まで作りこんで、設定には本編で利用されていない大量の歴史的エピソードを書き込んでいました。そのため、本編より設定の方が多いんじゃないかって噂も聞きます。
 ロードス島戦記は、その源流に『ソードワールドRPG』というTTRPG(テーブルトークロールプレイングゲーム)というゲームがあります。このゲームのルールブックにはそれこそ世界が作りこまれていました。
 これを土台に、複数の作家がアレクラスト大陸とその周辺を舞台に小説を書きました。その一つがロードス島戦記だったわけです。

 僕はそれが大好きで、それを真似ようとして、結果的に登場人物やストーリーを軽んじてしまい、まったく面白くない小説を量産してしまったのです。

 考えてもみてください。背景だけが美しい演劇やアニメが、登場人物の魅力やストーリーの面白さ抜きに楽しめるでしょうか?多分無理です。

 先ほど例に挙げた作品も、とても魅力的な「世界」を舞台にしていますが、決して「登場人物」や「ストーリー」を軽んじているわけではありません。

 世界に固執してしまうタイプの人は、意識的に世界の優先順位を下げて書くと良いかもしれませんね。何事もバランスは大事です。