小説における主語の役割


 皆さん、多分どこかで聞いたことがあるんじゃないかと思いますが、『5W1H』という言葉があります。
 これは文章の内容を理解してもらうために必要な6つの要素【Who(だれが)When(いつ)、Where(どこで)、What(なにを)、Why(なぜ)、How(どのように)】を差す言葉で、学生時代の作文から社会人での企画書【さらにhow much(いくら)が追加される】まで、あらゆる文章で要求されます。

 もちろん小説でも、これらは読者と共通認識ができるまでは欠かすことのできない要素になります。

 その中でもWho、いわゆる主語は小説を構成する文章の中で、読者の視点を司る最重要の要素になります。

 主語は小学生ぐらいで習い始めるもので、知っている人にはつまらない内容になりそうな予感がしますが、基礎的なところから書いていきますね。詳しい人は流し読みしてください。

 小説は基本的に一人称小説か三人称小説に大別できます。手紙的な二人称小説も存在していたりはしますが、そんなに多くないのでここでは省略します。

 実際に例文を見ていきましょう。(主人公の名前は『イント・コンストラクタ』とします)

僕は無心で剣を振った。

 この場合、主語は『僕』ですので、一人称になります。視点が『僕』ですので、作品中の視点はすべて『僕』視点となり、主人公である『僕』が知らない事、気づかなかった事は描写できません。もしもその必要がある場合は、どこかでいったん区切って、別人視点に変えなければなりません。

イントは無心で剣を振った。

 こちらの場合、主語は『イント』ですので、三人称になります。視点はイントを見つめる第三者、さしずめ作者か神といったところでしょうか。

 こちらであれば、主人公が知らない事実も読者に提示することができますが、視点が傍観者になるので臨場感などについてはハードルが上がります。

 このように、一人称にするか三人称にするかで、読者に情報開示できる範囲や臨場感のハードルが変わってくるため、作者はプロットと見比べながら、どちらがより書きやすいか悩むわけです。

 最近小説家志望のオープンチャットに出入りしているのですが、どうやら書き始めたばかりの人は、この主語を意識できていない人が多いようです。

 そういった人が書く作品を読むと、主語が省略されて誰が何をしているかわからなくなって読者が置き去りにされたり、視点がコロコロ変わって主語酔い状態になってしまう事が良くあります。

 もちろん場合によって、省略することも不可能ではありません。例えば先ほどの文章の主語を省略してみましょう。

無心で剣を振った。

 もちろん主語がないので、誰が剣を振ったのかわかりません。しかし、剣を振るのが『僕』以外に考えられない場面で使った場合、読者の視点はより主人公の内部に入り込みます。状況にもよりますが、主人公以外に誰もいないか、集中して自分以外何も見えない状況っぽくすることができます。

 逆に言えば、僕視点であっても、『僕は』という主語を入れることで、自分と自分以外の区別を意識させることになりますので、読者に主人公以外の気配を感じさせることができます。

 主語というのは、その文節の主(あるじ)であり、読者の視点です。主語に習熟すれば、読者の視線を誘導することができることができるようになり、映像で言えばカメラワークのような演出ができるようになります。

 もちろん、主語を不用意に欠けさせてしまうと、煙幕の向こうの舞台を見ているような伝わらない文章になるでしょう。

 『主語』は小説の基礎にして極意です。甘く見ず、ちゃんと取り扱ってくださいね。