作品に対する助言の心得

 この記事は、別記事の「感想の心得」で書いた意図の解釈の不一致を理解している事が前提になりますので、まだ読んでない方はそちらを先に読んでくださいねー。

 さて、今回のテーマは助言ですが、世界で起きる助言に絡んだ諍いの大半は、そこに至る事前のステップを踏めていない事から発生しています。ちょっと迂遠ですが、今回はその事前のステップから確認していきましょう。

事前STEP1「求められていない事をしない」

 まず把握すべきは、助言すべきかどうかです。「感想の心得」に書いたとおり、相手がそれを求めていない場合、相手は助言を助言とは思わず、否定されたと捉える可能性が高くなります。

 にもかかわらず、助言したがる人が多いのは、おそらく学校や会社での行動でそれが求められている余韻でしょう。学校のテストは答えが一つである場合が多いですし、会社ではトップの方針が唯一の答えとなるからです。

 助言側がそういった感覚を引きずって答えが一つと錯覚していると、求められていないにも関わらず、間違いを訂正する感覚で自分の答えを押し付けてしまったり、それを理解していないと批判的になってしまったりしてしまうのでしょう。

 これは助言の受け手にも言えることで、求めていない答えが返ってくる=間違った答えを押し付けられる=反発、というように反応してしまうのです。

 この感覚は、教育段階から刷り込まれ、社会に出ても温存されます。ですが実際のところ、世の中に正解はたくさんあります。助言する側と受ける側、どちらかが『自分の答えが唯一の正解で、それ以外は間違い』と考えていた場合、考えはうまく噛み合いません。そういう場合は議論するだけ無駄ですから、相手が求めていない場合は助言しないほうが良いでしょう。

 どうしても助言したい場合は、仲良くなって目の前で実績を積んで、相手から助言して欲しいと言わせる、などの方法を取りましょう。

事前STEP2「作者とベクトルを合わせる」

 さて、では次に相手が助言を求めていた場合の話をしましょう。次のステップは「相手がどんなアドバイスを求めているか」という事を把握することです。

 小説に限らず、作者の創造性が重要な領域で勝負する作品、特にアマチュアの世界で一番重要なのは「作者の意向」です。相手が書いた小説の作者は相手であり、相手が思う面白い作品が最優先されるべきです。
 作者の意向を無視し、まったく方向性が違う助言をするのは、まったくの無駄ではないにせよ、作品の良さをダメにする可能性もあります。
 相手の作品はあなたの作品ではありません。まず、どんな作品を目指しているのか、読者にどんな反応をして欲しいか確認し、必要であれば読んで何が聞きたいかも確認して、助言のベクトルを作者のベクトルに合わせましょう。

 作品の助言に絡む諍いは、この二つの事前ステップを踏むことで、8割ぐらいは防げるはずです。
 ここまで書いておいてなんですが、実は僕、助言は辛口なぐらいが丁度良いと思っています。心のない賞賛もあんまりしません。でも、無秩序な言い争いがしたいわけでもないんです。

 理想は相手のためにもなって、自分の気づきにもなる。そんな助言がしたいと思っています。

 というわけで、お待たせしました。ようやく本番に入れます。(前振りが長くてすいません)

助言心得1「根拠を示す」

 助言というのは、相手を助けるための言葉です。言葉だけで助けるわけですから、我々は何もしません。つまり、相手に助かってもらうためには、相手の行動を変える必要があります。
 例えば、つまらない作品があったとして、それに対して「つまらん」と言ったとしたら、それは助言とは言いません。つまらない原因として、それが本人の好みが要因なのだとしたら、相手の行動を変える基準として何の参考にもならないからです。もしもそれだけしか言えないのであれば、何もしない方がマシでしょう。
 つまらない要因は、分析して根拠を示して、初めてお互いのためになります。それは、こうすればもっと面白くなるという助言であっても同じです。
 根拠は、言葉にしなければ通じません。どこで生きていても、表現を磨いて損はしないので、表現する努力をしましょう。

助言心得2「批判はしない」

 批判というのは、批評して判断する事です。この判断というのが曲者で、まぁ言ってしまえば決めつけですね。
 作品に対して助言をする場合、僕らの立場はその作品の1読者にすぎません。判断は僕らの中にもありますが、別の読者それぞれにもあります。相手がちゃんと批評と判断を分解して、複数の読者の意見を取捨選択できるほど成熟していれば問題となりませんが、そうでない場合は整合性のない複数の正解が乱立してストレスになってしまうかもしれません。
 最終判断は作者に任せ、批評するだけに留めましょう。

助言心得3「借り物の権威を使わない」

 これは昔の話なのですが、システム開発の会議にコンサルタントが入っていた事があります。コンサルタントというのは、その領域のスペシャリスト兼助言のスペシャリストなのですが、参加者が知らない業界用語を前提なく多用する傾向があります。
 そしてプライドの高い人は、言葉の意味を聞き返しません。専門家の言う事なので、周囲の空気を読み、結論のみを理解します。
 僕は会議の中で、交通整理的ポジションに立つ事が多く、当時たまたま知識もあったので、その会議の結論が組織の方針とズレている事に気づきました。
 そこで、最後に一切専門用語を使わずに会議の総括を行い、出席者にそれで良いか尋ねたところ、その会議の結論はひっくり返りました。

 専門用語や権威者の言葉には不思議な説得力があります。これは「普通」や「常識」、「世間一般」等の言葉でも言える事なんですが、相手が信じた瞬間、相手の思考を奪い去ります。
 助言の目的は丸め込むことではありません。借り物の権威を使って押し切ることでもありません。目的と一致しない小手先のテクニックに頼らず、自分の言葉で喋りましょう。

助言心得4「ジャンルを意識する」

 僕らの中には、好みがあり、得意なジャンルがあります。これらは信仰に近いものがあり、知らず知らずそれらを至上のものと見なして、それ以外のものを排除しがちです。

 小説の世界で良く見かけるのは、純文学至上主義者やなろう排斥論者などでしょうか。

 まぁ、個人の内心の領域をどうこう言うのは野暮であることは確実なので、そこはどうでも良いのですが、自分の中にそういう傾向がある事は理解すべきでしょう。僕の中にも、誰の中にもあるものですので。

 自分とは違う世界の作品に助言する時は、自分のフィールドを前提とせず、相手のフィールドでも応用できるものに限定すべきかもしれません。

助言心得5「すごい部分を省略しない」

 ここまでお話してきたことは、「批評」に関することばかりです。批評には評価するというニュアンスが隠れているのですが、評価にはもちろん良い部分に対する評価も含まれています。

 世の中、悲しい事にうまく行っている部分は見落とされがちです。障害を起こさないシステムはそれで当然と思われているし、上手な文章は空気のように読めて読者に存在を意識させません。

 マイナスの指摘ばかりしてしまうと、作者は全体的にダメだったと認識し、良い部分にまで同じ認識を持ってしまいます。

 作者は見えにくい部分にこそ多大なコストを支払っています。そうして培った良さを、指摘によってダメにしてはいけません。

 良い場所は意識して見つけ、省略せずに伝えましょう。

助言心得6「たくさん言いすぎない」

 助言する事にも賛否両論があり、今では隠し部屋のようになってしまったんですが、参加している小説家志望者が集まるLINEのオープンチャットには、辛口で作品を批評しあう「合評部屋」があります。

 双方、辛口かつ率直な助言をぶつけあって、作者と読者双方に流れ弾やブーメランが着弾しまくる戦場なのですが、たまに無数の指摘を処理しきれずキャパオーバーが発生している様子が見られます。

 仕事などで指摘事項を小分けにすると嫌われますが、助言に関しては急がなくても良い気がします。作者が消化不良を起こして混乱しているようなら、小休止して時間を置いても良いでしょう。

助言心得7「意見を言うために無理をしない」

 意見を求められた際、意見が言えなかったらちょっと気まずかったりすることがあります。しかし、思考の整理がついていない時に発言すると、失言したり、誤解されたりする可能性が高くなります。
 だから無理をせず、「こんな感覚があってここまで考えたけど、別の要素と噛み合わないから、僕の中ではまだ答えが出てない」等、考えていることをそのまま言えば良いのです。

 もっと言えば、黙っていてもいい。無理してカッコイイ事を言おうとすると、だいたい失敗するか誤解されるかします。素朴に行きましょう。


 うわぁ、3,500字を超えましたので、今回はこの辺で。助言をする側の事を書いたので、今度気が向いたら助言の受け方も書かなくてはいけませんね。

 お読みいただきありがとうございました。