映画『オッペンハイマー』:時代のうねりと国家の虚像に翻弄された一人の科学者【ネタバレあり感想文】 2024/03/31
2024/03/31、日曜日、朝
「時代」と「国家」という虚構に振り回されたオッペンハイマー
オッペンハイマーに自由意志はあったのか?
オッペンハイマーが、原子爆弾を作らなかったとしても、他の誰かが作っていただろう。
その意味では、オッペンハイマー一人が、どうこうできる問題ではなかったのだ。
時代の大きなうねりに翻弄された男だとも言える。
当然、自分自身もコントロールできないし、ましてや、周囲の身近な人でさえコントロールができない。
フローレンス・ピュー(「ビ」ューではない)(Florence Pugh)が演じるジーンも自殺(他殺?)してしまう。ジーンは、死と誕生の象徴だと考えると、ジーンの死の前後で何かが大きく変わっているはずだ。
ジーンは実際は、いつ死んだのだろうか?
国家という虚構に、押し潰されたのがオッペンハイマーだとも言える。
映画『オッペンハイマー』は、アメリカという国家を描いた作品だとも言える。オッペンハイマーという素材を使って、国家という化け物・怪物を描いたのだ。
ローマのガバナンスとその進化の形のアメリカのガバナンス。
パースペクティブがない。受動的だ。『ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか』の四つの象限を思い出した。
私はなんのために生きているのだろうか? そういった問いを、時々考えたい。どんな世界にしたいんだろうか?
ケンブリッジ大学時代のオッペンハイマーは、原子爆弾の可能性に、すでに辿り着いていたのだろうか?
ケンブリッジ大学時代に、オッペンハイマーは、原子爆弾の可能性をすでに想っていたのだろうか?
宇宙物理学と原子爆弾の開発には、どんな関係性があるのだろうか?
第二次世界大戦、ナチスドイツ、原爆開発、赤狩り。
『サピエンス全史』を読みたくなった。
真実とは何か? 真実と証言
芥川龍之介の『藪の中』を思い出した。
これは、オッペンハイマーが聴聞会(closed hearing)で語った言葉だ。
利害が対立すると、人は、真実を捻じ曲げてしまう。
いや、記憶が捻じ曲がってしまう、そう評した方がいいだろう。
一つ一つの細切れの描写は事実であっても、それをどう繋げるのかは、それぞれの人の裁量による。時系列の操作については、ヒトはあまり気にならないのかもしれない。
三体の「赤ずきんちゃん」のエピソードも思い出した。
ヒトという動物の特徴が描かれている。
^アインシュタインのポテトサラダのエピソード
アインシュタインがポテトサラダについて語った。
成果を成し遂げる。周りから妬まれる。妬みが終わった後、表彰される(「ポテトサラダ」が提供されるとアインシュタインは言っている)。昔、批判していた人たちが、近寄ってきて、賛辞を送る。でも、それは、相手のことを想っているわけではなく、自分自身を想っての行動である。
以上
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