【入門】大河ドラマ「光る君へ」 第6回「二人の才女」入門 2024/02/12更新

2024/02/12

大河ドラマ「光る君へ」 第6回「二人の才女」

政治のことが分からない。藤原という氏の登場人物が多い。ファーストサマーウイカという役者が、清少納言を演じている。

「おかしきことこそ めでたけれ」という言葉が印象に残った。「おかしきことこそ めでたけれ」という言葉が、まひろにインスピレーションを与えたような描写だった。

ききょうこと清少納言と斉信

一条朝 四納言藤原 斉信(ふじわらのただのぶ)
金田 哲(かなだ・さとし)
道長、公任とともに青春時代を過ごす。道長の長兄・道隆のもとに仕えるも、道長が出世しはじめると、変わり身の早さを見せ、腹心として地位を築いていく。ききょう(清少納言)とも交流がある。

大河ドラマ「光る君へ」 第6回の相関図・キャスト

長男の道隆が、漢詩の会を開いた理由がイマイチ分からない。道隆の嫡妻である高階 貴子(たかしなのたかこ)が、「漢詩によって、人となりが分かるから、漢詩の会を開かれては」という趣旨のセリフは、何となくは分かるが、真意が分からない。

以下のツイートが参考になる。

花山の叔父
藤原 義懐(ふじわらのよしちか
高橋 光臣(たかはし・みつおみ)
花山天皇の叔父。若い天皇を支える役として急速に出世する。しかし藤原兼家の謀略によって天皇は退位し、出家。一夜にして権力を失うはめに。


オリジナルの漢詩をそれぞれが詠んだと思っていたが、そうではないらしい。なぜ公任のみがオリジナルだったのだろうか?

本来なら作文(さくもん)といって、あるお題(例「春夜聴雨」)に対してオリジナルの漢詩を詠みあったり、探韻(たんいん)といって韻字のくじ引きをしてその韻字のグループを使って漢詩を作るなどです。ドラマで再現するのが難しい営みですから、今回はテーマに合って自身の思いにマッチした詩をセレクトしています(行成・斉信・道長)。公任のみオリジナルを作ったということでよいと思います。貴子が「漢詩には、それを選んだ者の思いが出るといいますでしょう?」、会が終わった後ききょうが「斉信様がお選びになった歌が好きだったわ」とあることから今回の会としては選択がメインだったのでしょう。

一条朝 四納言
藤原 公任(ふじわらのきんとう)
町田 啓太(まちだ・けいた)
頼忠の息子。道長とは同い年で、友情を育むが、出世レースが進むにつれ関係が変化する。音曲、漢詩、和歌など文化面に秀でており、まひろ(紫式部)の『源氏物語』に興味を持つ。

知識があると、ここまで物語を読み取れるんだ。知識は、楽しむためのツールだ。





大河ドラマ「光る君へ」 第6回の相関図・キャスト

道長は、4人兄弟の末っ子だ、井浦 新が長男「道隆」だ。男性3人は、全員「道」が名前につく。「隆」(たか)、「兼」(かね)、「長」(なが)なので、「たかな」(高菜)で覚えておこう。

花山天皇(はなやま天皇ではなく、かざん天皇と読む)は、984年から986年までの期間、天皇だった。

左大臣と右大臣、どちらが偉いのか? どちらが格が上なのか?

山川の「詳説日本史図録」によると、「978(天元(てんげん)元).10 藤原頼忠が太政大臣、源雅信が左大臣、藤原兼家が右大臣となる。」と書かれている。

藤原 頼忠(ふじわらのよりただ)

公任の父/関白
藤原 頼忠(ふじわらのよりただ)

橋爪 淳(はしづめ・じゅん)

藤原兼家のライバル。公任の父。娘を円融天皇に入内(じゅだい)させるも皇子を得られず、政治的な力を持てなかった。兼家が辣腕(らつわん)を振るいはじめるとさらに押され、名ばかりの関白になる。


源 雅信(みなもとのまさのぶ)

倫子の父/左大臣
源 雅信(みなもとのまさのぶ)

益岡 徹(ますおか・とおる)

倫子の父。藤原氏の勢いには一歩譲るが左大臣に上りつめる。愛娘(まなむすめ)の倫子を入内(じゅだい)させるべきか悩むが機を逃す。

藤原 兼家(ふじわらのかねいえ)

道長の父/右大臣
藤原 兼家(ふじわらのかねいえ)

段田 安則(だんた・やすのり)

道長の父。藤原氏の中でも、名門中の名門。権力を得て政治のトップに躍り出ようと画策する。いずれは天皇の外祖父となり、栄華を息子らに継がせようと作戦を練る。

藤原氏北家(「ほっけ」と読む)

摂政・関白8番目 兼家
9番目 道隆
10番目 道兼
11番目 道長

公卿:「摂政・関白、大臣、大・中納言、参議および三位以上を公卿とよぶ。」

「入内 (じゅだい)」とは何か?

改訂新版 世界大百科事典 「入内」

入内 (じゅだい)
后妃が正式に内裏に参入すること。今日の婚姻に当たる。平安時代前期,関白藤原基経の女穏子が醍醐天皇の女御となり,ついで皇后に冊立されて以来,皇后は女御より進む例が多くなるに伴い,女御入内が大婚の儀に相当するようになった。女御入内の時期は,天皇の践祚または元服の年あるいはその翌年を標準とするが,必ずしも特定していない。なおこの儀は南北朝期以降中絶し,後陽成天皇のときに再興されて江戸時代末に及び,1868年(明治1)12月一条美子(昭憲皇太后)が立后の儀に先立って女御入内の儀を行ったのが最後である。しかし1910年制定の皇室親族令に,大婚の儀に先立ち,皇后となるべき人を后氏といい,その皇居に参入の儀式を后氏入内の儀と称しているのは,平安時代以来の女御入内の儀に倣ったものである。
執筆者:米田 雄介

改訂新版 世界大百科事典

ちゃく‐さい【嫡妻】

精選版 日本国語大辞典 「嫡妻」
ちゃく‐さい【嫡妻】
〘名〙 公的に認められた妻。嫡室。嫡婦。本妻。正妻。正室。てきさい。
※三代格‐一・延暦一七年(798)一〇月一一日「今聞、承前国造兼二帯神主一、新任之日即棄二嫡妻一、仍多娶二百姓女子一号為二神宮采女一、便娶為レ妾、莫レ知二限極一」 〔爾雅〕

精選版 日本国語大辞典


大河ドラマ「光る君へ」の時代の文化と年表

1001年 『枕草子』
1008年 この年、『源氏物語』の一部なり、流布化。
1010年 この年、『紫式部日記』なるか。

道長が漢詩の会で詠んだ歌

宮中の菊花を手に満たして私はひとり君を思う


ドラマの最後に出てきた道長からまひろに送った歌

ちはやぶる 神のいがきも越ゆるべし
恋しき人のみまく欲しさに

藤原道長




「おかしきことこそ めでたけれ」

源氏物語「箒木」が気になる。

私が好きな批評

一つの言葉から、複数の意味を見出す。面白い解釈だ。


以上


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