土田真樹さんとの思い出
10月29日Facebookの投稿で土田真樹さんの訃報を知る。
土田真樹さんは山口県阿武町出身で韓国ソウル在住のライター、映画プロデューサー、プログラマーです。
今年の夕張ファンタスティック映画祭の審査員として参加することを10/20のClubhouseで嬉しそうに話していました。今度お話しするときはその感想を聞くことを楽しみにしていました。
土田さんと関わったすべての人にいろんな思いがあると思いますが、自分とその思い出を共有することで故人を偲ぶことになればと思いここに記録として残すことにします。
突然の訃報に、胸が痛く、涙が止まりません。こんな形で思い出を振り返ることになるなんて、信じられない思いです。でも、少しでも土田さんを偲ぶきっかけになればと、ここに書き残させてください。
土田さんとの出会いは、2020年、コロナ禍のただ中でした。当時、韓国・ソウルを拠点に活動していた土田さんが、入国制限で日本に戻らざるを得なくなり、山口に滞在していたのが始まりでした。
そのエピソードは岩国のミニFMにゲスト出演されたときに語っています。この収録の日も譲ってもらった軽自動車で軽快にやってきました。
2021年、音声アプリClubhouseを通して出会い、私もせっかく山口にいるのなら会ってみたいと、期待を胸に阿武町へ向かいました。実家である阿武町の拠点まで足を運んだものの、会うことは叶わず、悔しい思いを抱えていました。心を込めて用意したお土産の「岩まん」も渡せないまま、偶然立ち寄ったコワーキングスペースの受付の人に託すことにしました。
「会おうと思っていた人に会えなかったんです。よろしければこのお土産、受け取ってもらえませんか?」
そう伝えると、その方が少し考えてから、こう言ってくれたのです。
「阿武町は小さい町です。よかったら、どなたに会いに来られたのか教えていただけますか?」
「土田真樹さんを訪ねて和木町から来ました」と返すと、受付の方は少し驚いた表情で「呼んでみますね」と。
信じられないことに、土田さんはそのコワーキングスペースの隣に住んでいました。自宅の土間にモニターを置き、黙々と仕事をしていたそうです。そこでようやく、リアルで土田さんにお会いできたのです。
この写真がはじめてお会いした日の写真です。
その日から、土田さんは何かと気にかけてくださり、いろいろな場に誘っていただきました。萩ibasho映画祭では、萩のツインシネマに駆けつけ、彼が手がけた作品を観る機会もいただきました。友人たちとの飲み会に招かれたこともありました。そこで、友人から「どんな関係なんですか?」と聞かれると、私はいつも「土田真樹さんのファンです」と答えていました。
土田さんが情熱大陸への出演依頼を断って出版社に怒られたエピソードや、韓国と日本を繋ぐ架け橋として活躍する一面を垣間見た時もありました。本当に、どこにでもいるようなおじさんの姿と、日本と韓国をつなぐ素晴らしい映画プロデューサーとしての顔、その両方を持ち合わせた、特別な方でした。
庵野秀明展にも一緒にいったなあ。。。
あの日、阿武町のBBQの買い出しを一緒にした時、阿武町での定食をご馳走になった時、どれも大切な思い出です。そして、最後に会ったのは、お正月に近くを通るからとわざわざ声をかけてくれて、柳井港で再会したときでした。もう一度下関で会える機会もありましたが、予定が合わず…あの時会えなかったことが今でも心残りです。
「山口の友人」と呼んでくれた土田さん。忙しい中でも、いつも声をかけてくれました。その一つひとつが、今となっては宝物のようです。
山口県が誇る、そして韓国と日本との懸け橋となった方だと思います。
本当に短い間でしたが、一緒に過ごした時間、ずっと胸に刻んでいます。心からありがとう。どうか安らかに…土田さんに再び会えるその日を楽しみにしています。
もしよかったら皆さんと土田さんとの想い出教えてください。思い出話を肴に飲みましょう!
さよなら歌舞伎町
詳しくは覚えてないのですがかなり関わったようなことを聞いた記憶があります。
JAZZ GODFATHER
土田さんプロデュースの作品だと聞いて萩で開催された映画祭を見に行きました。
映画「Diamond Shake」~第20回チェチョン(堤川)国際音楽映画祭正式出品作品~
確かこの作品の話をClubhouseで聞きました。プロデューサーとして参加しているのですが声だけ出演していたなあと教えていただきました…
昔の記事ですが土田さんが取材されている記事です。
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