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【全編にわたる復讐劇】ラストオブアス2感想とストーリー考察【エリーへの愛】

このnoteを始めようと思ったきっかけとなったゲームです。

日本では知名度こそ高くありませんが、ゲーム好きなら聞いたことはあるタイトルかと思います。

何を隠そう、私も第一作The Last of Usの大ファン。当時はこんなゲームが世に出てくる時代になったのかと思いました。『プレーする映画』なんて紹介もありましたが、臨場感、没入感、感情移入、ビジュアル、キャラクターの魅力、全てが一級品。本当に的を得た説明でした。

そんなラスアスの2が発表され、それまでPS4を持っていなかった私は、COVID-19による自粛プラス給付金の合わせ技で6月下旬に購入を決定。

実は一度目のクリアを6月中に済ませ、その時点で記事を書こうと考えていたのですが、その間ほかのゲームに浮気をしたり仕事が忙しかったり、難易度をあげて2週目をクリアしたりで、気づけば9月になってしまいました。

このラスアス2について、【ゲームをクリアしての感想とストーリーについての考察】(本記事)と【ラスアス2のゲーム性について】(そのうちあげます)の2本の記事を書いていきます。

以下、ネタバレにはご注意ください!!!

特にこの記事では前作Last of Usの内容、本作のオチやクリア後のExtraも含めてがっつりネタバレしていきますので、プレーするつもりの人はクリア後に読むことを推奨します。






前作から一貫した「愛」というストーリー

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いやね、このゲーム、本当にすごい…

プレー前に国内外のレビューを見たときに、絶賛するものと酷評するものとに分かれているのが気になっていました。

2をプレーしてみて、私の評価は文句なしの高評価です。一方で、どうしてここまで極端に評価が分かれたのかもよくわかりました。

開発者へのインタビューでは「第一作では愛の美しい面を、本作では愛の醜い面を表現したかった」と言っています。

ラスアス2は、徹頭徹尾エリーによる復讐劇。

しかも、あと一息というところでジョエルとの思い出に止められて、終ぞアビーへの復讐は完了することがかないません。

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復讐に憑りつかれてしまったことでディーナとの間(厳密にはジェシーだけど)に授かった子どもまで失います。更に、指を食いちぎられてしまい、ジョエルから貰った大切な想い出の曲も弾けなくなってしまいました。

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エリーは復讐の結果、大切なものを全てを失ってしまったのです。

酷評していたある国内のレビューでは、本作について「ご都合主義のストーリーに付き合わされるだけ」と書いていました。

このストーリーを見ると、どこか「復讐なんかやめなさい」と説教しているような感じがしてきますし、そのメッセージを感じ取った人たちにはご都合主義だと感じられるのも理解できます。

ただ、昔ながらの勧善懲悪的なロールプレイングゲーム(もちろん私も大ファンですが)のほうがよっぽどご都合主義ですし、開発者も決してそのような説教をしたいわけではないように思えます。

このゲームの主題は「愛」を表現する事で一貫しています。


エリーの復讐劇

第一作でジョエルに助けられたことで、エリーはジョエルからの愛と、生き残ってしまった罪の意識との間でずっと葛藤をしています。

ジョエルを赦すということは、自分自身を赦すということ。自分が幸せになってもいいのだと認めること。どうしてもそれができず、悩んでいる中でジョエルを突然失ってしまいました。

単に、自分に生きるチャンスをくれた大切な人を失ったということ以上に、自分の抱えていた葛藤が行き場を失ったこと、もっと早く謝っておけばという後悔、ジョエルへの罪の意識、助けることができなかった無力さなど、ジョエルへの愛に起因する色々な感情が渦巻いていたのだと思います。

エリーの復讐は、言ってしまえばこのような感情に対する「否認」。自分の中で受け入れることができないために、全ての負の感情をアビーにぶつけることで対処しようとしたわけです。

それでも、復讐を重ねる中で、自分が予想していた以上の人を殺し、幼い命まで奪ってしまった。

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そして、一度はアビーに叩きのめされ、ディーナとJ.J.と3人でやり直そうと決意するものの、いつまでも消えないフラッシュバックに悩まされ続ける日々。

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そんな中、トミーからの情報で、再び復讐の道に逆戻りしてしまいます。しかも、自身も傷を負い、ボロボロになって見つけたアビーは満身創痍でかつての面影もありません。

それでもエリーはアビーに戦いを挑みます。これはエリーにとって、苦しみを抜け出すための最後の望みだったのですから。

にもかかわらず、あと一息のところでジョエルに対してエリー自身が「あの出来事を赦せるかどうかはわからない。それでも、頑張ってみたい」といったことが甦ってきて、首を絞めていた手を離します。

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この瞬間、ようやくエリーは自身の中にあった様々な感情に向き合おうと諦めたのだと思います。

農場に戻ったエリーがギターを弾き、そのままエンディング。その後については様々な考察があって面白いですね。森に入って自死した、解放されて自由になった、ジャクソンに戻った、ディーナとJ.J.を探しに出かけた。どれもありうるストーリーでしょう。

私は、この後エリーはようやくジョエルを失ったことに対する喪の作業を始めるのだと思います。おそらく、待っているのは強烈なうつ。

アビーを赦すことは、自分自身を赦すことでもある。それができるのかわかりませんが、私はある理由から、きっとエリーならこの大変な作業をやり遂げることができるだろうと考えています。

その理由について考えるにあたって、ストーリーをアビーの側から見直してみたいと思います。


アビーにとってのLast of Us

恐らく多くのユーザーに賛否を巻き起こす原因となったのがこのアビー側でのプレイング。個人的にはとても楽しかったのですが、これは言ってみればドラクエを買ったらなぜかデスタムーアを操作させられ、主人公を殺すよう指示されるようなもの。国内ではここに対する反感がかなり強かったようです。

筋骨隆々として所謂「主人公っぽい魅力」があるとはいいがたい彼女を操作して、第一作から思い入れがあったエリーを倒さなければいけないことに抵抗感を覚えるのも無理はないような気がします。

まあ、海外ゲーは日本国内のタイトルと違って主人公が必ずしも「お綺麗」ではないことも多いですから(GTA5のトレヴァーがいい例でしょう)、その辺りはゲームカルチャーの違い的なものもあったのかもしれませんが…

閑話休題。さて、序盤のジョエルがアビーによって嬲り殺されるシーンは、凄惨としか言いようがないものです。私も、プレーをしていながら思わず目を背けてしまいました。アビーに対する強烈な負の感情とともに、復讐に燃えるエリーの気持ちに強く共感した瞬間です。そうして、エリー側のストーリーを進めていき、3日目でバトンタッチ。

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一方のアビーは復讐を成し遂げ、WLFのベースに戻ります。オーウェンの不在をきっかけに、セラファイト(スカー)の姉妹、レブとヤーラに出会うことになり、次第に二人に肩入れしていくアビー。ヤーラ・レブを必死に守り、ともに島を抜け出そうと悪戦苦闘します。

この一連の流れ、第一作でのジョエルとエリーが重なって見えました人も多いのではないでしょうか。

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島を抜け出す途中で3人はWLFに見つかってしまい、ヤーラを失います。そして、レブと二人でWLFが巡回する建物を抜けていく際、アビーがWLF兵をステルスキルすると、WLF兵は「Why...?(どうして)」と小さな声でつぶやくのです。

本当に些細なシーンですが、ここはラスアス2の中でも私が最も印象に残っているシーンのひとつです。

当初はただ目的の「荷物」をファイヤフライに届けるだけのミッションだったはずが、次第にエリーに愛情が生まれ、エリーを守るためにアビーの父親を殺してエリーを連れ出した。

そんなジョエルの気持ちと行動が、アビーはレヴとの交流を通して少しずつ理解できるように「なってしまった」のではないかと思うのです。


レヴに止められたからとはいえ、劇場でアビーがディーナにとどめを刺さなかったのもそういった理由からではないでしょうか。

エリーの気持ち、そしてジョエルの行動の背景がなんとなく理解できたからこそ、この連鎖を止めなくてはいけないと、感じ取った。きっとそこにはものすごい葛藤があったのでしょうが、それでもアビーは向き合うことを覚悟したのだと思います(この辺りはもう少し丁寧に描写してもよかったような気もしますが…)。

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アビーとレブはその後、二人でサンタバーバラを目指しますが、目的地を目前にしてラトラーズに捉えられ、死の淵に追いやられてしまいます。

そこに現れたのはエリーでした。(少なくともアビーの側から見れば)正当性のあったようにもみえる復讐ですが、自分が嬲り殺した相手の子どもに助けられたアビーは、一体どういう気持ちだったのでしょう。

エリーによって縄を解かれ、レヴを抱えてボートに向かうアビー。それをエリーが止めます。

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「私と戦え」と迫るエリーに、アビーも一度は拒みます。心身ともに疲労困憊だったことに加え、助けられたことへの恩、これまでへの後悔など色々な感情があったのでしょう。しかし、エリーがレヴの首にナイフを突きつけたことで、アビーもエリーを殺すことを決心しました。

ここの二人の戦闘シーンは、プレーしている最中、とにかく苦痛でしかなく、ボタンを押しながら「エリー、もうやめようよ」とボロボロと泣いてしまいました。

どちらにも正当性があるだけに、こちらのボタン操作でどちらかを切り捨てなければいけないというのは非常に苦しかった。ボタンを押したくないのに押さないと進まないというジレンマは、他のゲームでは体験したことのない異常な感情です。

ちなみに、二人の戦闘シーンで躊躇してエリーの操作をしないとアビーは容赦なくエリーを殺します。ここからも「あ、アビーは本気なんだな。どっちかが死ぬしかないんだな」と感じました。デッドエンドまでここまでうまく演出に使うのは本当に見事としか言いようがありません。

恐らく、ここまでの二人の旅路は全てこのシーンにプレイヤーを感情移入させるためにデザインされていたように思えるのです。愛が時にどれほど醜い事件を引き起こすか、それをこのシーンは見事に表していました。

そして、前半でもお伝えした最後のシーン。ジョエルとの思い出によって、エリーは最後の瞬間に復讐を思い止まりました。

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そうして一人農場に戻ったところで、エンディングを迎えます。


エリーはきっと立ち直ることができる

きっとエリーはこの後長く苦しむことのでしょう。自分が犯した罪、ジョエルへの思い、復讐を思いとどまったことへの迷い。考え始めればきりがありません。

それでも、エリーは立ち直ることができると私は思いました。その根拠は2つあります。

一つ目は、クリア後のオープニングです。

クリア前のオープニング画面はこんな感じ。

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靄がかかっていて、どこか陰鬱とした雰囲気を感じさせます。復讐に向かうエリーの心情を暗示しているように思います。

それが、クリア後にはオープニングがこのような画面に差し替えられます。

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この画像、開発者のインタビューでも、アビーとレヴがファイヤフライのもとにたどり着いたことを示していると認めています。これをどう解釈したらいいのか。

うっすらとした明るさを連想させるこのカットは、クリア前のイラストとの対比で見て見ると、本作におけるエリーの旅にどのような意味があったのかを物語っていると私は感じました。

全編を通し、本作はエリーによる復讐劇でした。しかし、エリーの復讐は、結果的にアビーとレブという二人の命を救い、希望をつなぎとめたのです。


全てを失ってしまったと思っていたけど、そうではなかった。


そのことにいつエリーが気付くか、そしてそのことを通していつ自分を赦すことができるのかはわかりませんが、ジョエル、ディーナ、J.J.、思い出の曲、全てを失ったと思ったエリーの復讐がもたらしたひとつの希望が、ボートが岸にたどり着いたカットに象徴されているのです。

オープニング時点で暗示されていた復讐のイメージがクリア後にはこのような画像に差し替えられていることが、エリーはきっとこの辛い経験を乗り越えられることができると暗示しているように感じられました。


また、二つ目の理由は、開発チームの考えていた、このゲームの趣旨です。

前作・本作とも一貫して愛を主題にしていましたが、何よりも開発チームはジョエルとエリーを愛してします。事実、本ゲームの開発に当たっては、製作陣の間で「エリーならきっとこうするはずだ」「エリーがこんなことを言うわけがない」といったことが何度も話し合われたとのことでした。最後の最後でエリーの復讐を完遂させなかったのも、エリーに徹底的に寄り添う姿勢からきたものでしょう。

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一部のレビュアーからは、本作はマルチエンディングにすればユーザーの評価を得られたとの声もありますが、エリーへの愛を考えるならば、それは絶対にありえなかったと思います。あのエンディング以外に、本当の意味でエリーが救われる結末は考えられません。


この辛い経験を乗り越えてほしかったからこそ、このような一本道のストーリーにしたのでしょう。プレイヤー側ではなく、徹底してジョエルとエリーに寄り添ったストーリー展開を選んだわけです。そういう意味では、酷評するレビューがつくのは覚悟の上だったのかもしれません。

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誕生日にジョエルからもらったプレゼントを、エリーはずっと鞄につけていました。とにかくジョエルのことが好きだった。だからこそ、このような悲惨な事件が起きてしまった。でも、これは誰にでも起こりうる話です。

そのような、愛が時にもたらす悲惨さ、負の側面を、本作はプレイヤーさえも舞台装置の一つとして巻き込んで(この部分については、別の記事で改めて詳しく書きます)、見事に表現してくれました。

賛否が分かれるのも理解できます。特に、エリーに強く肩入れしていたプレイヤーや、あれよあれよと泥沼のストーリーに巻き込まれていくことに抵抗感を感じていたプレイヤーにとってはなかなか辛い経験だったのかもしれません。

また、誰に感情移入するかでゲームの評価がかなり分かれそうな印象もあります。酷評していたプレイヤーは、きっとエリーのことが好きだった。私は、1回目のプレーではずっとジョエルの視点からゲームをみていました。だからこそ、二人にやめてほしいという気持ちが強く、最後に手を止めたエリーに安堵したのだと思います。

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ジョエルは、エリーと話す中で「もし何か奇跡が起きて、あの場面をやり直すことができたとしたら…」「きっとまた同じことをすると思う」と言いました。

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The Last of Us 2は、徹頭徹尾、エリーによる復讐を通してジョエルとエリーの愛を描いていました。もちろん、スッキリとするエンディングではありませんでしたが、私はきっとエリーが幸せになってくれると信じています。それは、開発チーム、そしてジョエルがともに願っていたことなのですから。

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