ありのままの自分は素晴らしい、という嘘

街を歩くと見掛ける10代~20代の男の子たちは、今30代の自分がその年ごろだったときに比べてファッションも髪型も洗練されているし、スキンケアやメイクも行き届いている人が多くなっているように感じる。
都市部ではなく田舎に近付けば近付くほどその傾向は薄くなり、かわりに馴染みのある飾り気のない男性~ヤンキー風の比重が高まるようにも。

バンド界隈、それもロック~メタルというジャンルは古い男性社会-ヤンキー文化-ホモフォビア的な思想を基本としながらも、同時に男性が着飾ることの重要性やメイクについてもより早い段階から取り入れており個々人によってその線引きが異なっている。
自分の周りではどちらかというと着飾らない、"ありのままの自分"で勝負するという風潮が強いように思える。「〇〇はゲイ」「オカマ」などの揶揄がヴィジュアル系や見た目を整えたバンドに投げかけられるようなことが未だに隠然と存在している。表でどれだけ取り繕おうが。


自分自身は正直、男性社会的なノリが昔から苦手だった。ガサツで品がないし、そもそも男性的な見た目が好きではないし、強い人間が横暴に振る舞うことがリスペクトを受けるようなところが許容し難くあった。
しかし身体的特徴として、並外れて背が高く"強い"要素を持っており、顔は美しさからは程遠く、ずっと男性社会の中で育ってきたこともあり、そちらに寄せなければいけないのかどうかふらふらとしていた。
周囲からも常に"強者男性"として振る舞うことを求められており、髪型を整えたり服にこだわったり"強者男性"と反する言動をしたりと"男性的でない"振る舞いをすると「キモい」「ブサイクのくせに」と言われることが多かった。

"ありのままの自分"は「見た目や要素から連想される、周囲から求められる在り方の自分」でしかなかったのだ。
男は男らしく、ブサイクはブサイクらしく、勝者なら勝者として、敗者は敗者として、"自分"を受け入れて生きろ、という。

ヤンキー文化圏では、筋トレをして体を鍛える男性は嫌われる。
メイクはもちろん、容姿に気を使う男性は嫌われる。
女性からも嫌われる。
なぜかというと、結局のところ無意識的に優秀な遺伝子が素晴らしいという価値観があると自分は思っている。
ナチュラルなものでなければ嘘であり、生まれ持った遺伝子が優秀な人間だけが強者として存在しなければならない、という思想。
しかしそのナチュラルは、容姿から逆算されている。

社会も基本的にこの思想がベースにあるように、自分には見える。
"ありのままの自分が素晴らしい"といかに高らかに謳われたところで、実際問題ありのままでいい場面なんてほとんどない。そう振る舞ってもよいが、爪弾きにされるだけだ。
ありのままで素晴らしいように見える人間が、求められる行動を取ること。これが素晴らしいとされているにすぎない。


自分は4年近く前に、眼瞼下垂の手術をした。
まぶたが重く垂れさがっていて、視界が狭く、しかもそれは加齢とともにどんどん悪化していく。身体への疲労感や頭痛などの悪影響もある。
その手術をするとまぶたの上を切り開くので、結果的に二重になる。どうせいずれやることになるのだし、一石二鳥だと思ってやってみた。

手術後しばらくは見た目ががらっと変わるので周りからいろいろ言われることもあったし、しばらく会ってなかった人たちからは1年前でも裏でなにか言われていたようだ。
自分は手術直後にFacebookでオープンにしていたし、訊かれたら答えていたので今更やな~と思っていた。

二重になったことで見た目にいろいろ力を入れることもより楽しくなったし「ブサイクのくせに」みたいな負い目もちょっとはマシになった。未だに別に自分の顔に納得はいってないが。
しばらくしたら周囲からの評価も変わったし、見た目を褒められることも少しはあるようになった。
"ありのままの自分"でないほうが明らかに人生がよくなったのだ。
正直もっといろいろ顔には手を加えたい。


結局は周りの批判や揶揄なんて一過性のものでしかないので、なりたい自分になるために美しさを突き詰めていったほうがよい、と思う。
毎日スキンケアするし脱毛もする、メンズメイクもするしたまにはカラコンも入れて、ジムに行って身体も整えるし、いろんな服を着て、髪型や髪色で遊んで、そうやってちょっとでも自分に納得できるようによくしていく。
男性でもそういう考えが徐々に受け入れられてきている令和の世の中が嬉しく、またそうした時代に青春を過ごす若い世代を羨ましく思う


個人的にはぶっちゃけ寂雷先生が理想。
身長は近いので顔面をここまでとは言わずとも美人に近づけたい。


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