「道化師の蝶」感想

話の要約

この本には二つの短編が収められている。「道化師の蝶」「松ノ枝の記」。
以下にそれぞれの要約を記す。

「道化師の蝶」
大きく分けて5つの話に分かれている。
1.着想を捕まえる網を持った実業家の話
2.友幸友幸に関する情報
 1が友幸友幸の「猫の下で読むに限る」の全訳と報告している。
3.友幸友幸の旅の記録
手芸を趣味として、世界を転々としている。
そこで1の話に登場する補注網がいつか自分によって編まれる事になるだろうことを考える。
4.友幸友幸を調査する財団の調査員の覚書
この覚書を書いている人が1をもってきた事を示唆する
5.友幸友幸が自分を調査する財団に務める話


「松ノ枝の記」
誰かの本を翻訳したら、互いの本を翻訳しあうようになり、しまいにはありもしない相手の著作を翻訳したとして本を出し相手がそれを翻訳するという事態になる。
そんなわけで相手に実際に実際にあってみることになった話。

「道化師の蝶」の感想

「ものには適した時、適した場所がある。ものを他の時間や他の場所に適するように調整する事が翻訳。」
これがこの話の核になる考えかなと思った。
この考えを推し進めると、我々は様々な何かを、生活する上で自分の生活に合わして翻訳しているのだ。生きていく上で手に入る様々なものや考えを、自分の生活や考えに合わせて翻訳しているのだと。そう考える事ができるな。翻訳…というのは自分仕様にカスタマイズするって事か。


「松ノ枝の記」の感想

「自分自身や確かに存在したであろうものも、自分とのやりとりがなくなると独立した存在となってしまう。」ってのが話の核なのかなと。
この話の登場人物は、自分自身の一部からも独立してしまっていた。こっから、次の様に考えてみた。「時間であれ、空間であれ、なんであれ、距離をとればそれは独立した存在なんだと。過去の自分は、何らかの時点で自分とは別の存在なんだ」。この考えが思い浮かんできた。

全体の感想

自分自身の生み出したものでも、それは自分自身から独立しうる。そして、それは誰かの手に渡ったとき、手に渡った者の手によって別の何かにカスタマイズされる。それが作品であれ、子どもであれ…どこかで自分から独立した存在になる。
行きつく先には、自分でさえも自分から独立してしまう。この瞬間この場所における自分は、二度と存在しない。未来や過去からも、今の自分は独立して存在しているのだと感じた。

たぶん、円城塔が考えている事から逸れてしまっているかもしれない。しかし、それでも良い気がする。彼が作った作品といえど、彼からは独立した存在なんだろうと思う。著作権と名誉に気をつければどこまでも受け手が自分向けに翻訳して良いのだろうと。
それがどこまで許されるかは分からない。許される範囲は、名誉や解釈の余地で線引きされているのだろう。ひとまずは、ここに書いてある程度の解釈は許されると思っている。

あらゆるものは、あらゆるものから独立した存在になり得て…別の何かになりうる…。そう感じた。

読んだ本の情報

円城塔『 道化師の蝶(講談社文庫)』講談社, 2015.
https://amzn.to/3mwfpI5

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