戦争と平和_第一巻の感想

感想の要約

人は戦争という大きな歴史的なイベントの中で必死にその中で保身に走り、あるいは見せかけの大義に目がくらんでしまい。
目の前の自然や生活の営為に気づかず、人間生活に必死になっている。
本当に大事なのは、目の前にある日常なのではないかと感じた。

誰もが目に見える世界で保身に走る。

この本では、19世紀初頭ナポレオンの侵攻という大きな歴史上のイベントを前にしても、ロシアの人々が地位に関係なく自分の保身や自分の見える範囲で上手く立ち回ろうとしているさまが描かれている。
社交界で、戦場で、ときどき出てくる描写で人の営為がちっぽけなものであるかのようにうつる。


誰も自分の役割を気づけない

戦争や歴史的なイベントはあまりに巨大で、様々な事が起こる。その中で自分はどんな役割を果たすのか、そしてそれはどう働くのか分からない。ただ目の前の事で精一杯で、必死に生き残ろうとして、必死に自分の正しい事をなそうとしている。その姿を観る事ができた。
は戦争というか、歴史や巨大な社会の制度の前では、一つの歯車に過ぎず、どのように自分が関連しあっているのか知ることができない事が描写されている。
P596

時計のメカニズムと同じように、軍の動きのメカニズムでも、ひとたび与えられた動きは最後の結果が来るまで抑止しがたく、動きがまだ達してないメカニズムの部分は、動きが伝わってくる瞬間まで、無関心に静止の状態を保っている。歯を噛み合って、歯車が軸の周囲にうなり、滑車が早い回転にきしんでいても、隣の歯車はまるで百年もそのまま静止を続けようとするかのように、無関心に浮動を保っている。ところが時が来れば--テコがかみ、そして、動きに巻き込まれて、歯車が軋りながら回り出す、そしてその結果も目的も自分には分からぬ一つの動きの中に溶け込むのである。


中心に見た人物

二人の青年
この中で私はアンドレイという青年とロストフという青年を中心に見ていた。彼らは対照的に感じた。

人の卑小さに気づく:アンドレイ

アンドレイが戦争の渦中で、空を仰いだ時にその美しさに気づき戦争をしている人間の卑小さに気づき、かつて偉大だと思っていたナポレオンをちっぽけに思う様に…戦争というものの虚しさを体感する。

P674…むなしさに気づくアンドレイ

それに、血が失われたための衰弱と、苦痛と、目前の死を待つ心が、彼の内部に目覚めさせたあの荘厳な思想に比べたら、すべてがあまりにも無益で、無価値なものに思われた。ナポレオンの目を見つめながら、アンドレイ公爵は権力のむなしさ、誰もその意義を理解しえなかった人生のむなしさ、そしてさらに生者の誰もその意義を、理解も解明もなしえなかった死の大きなむなしさを、考えていた。

P675-676…確かなのは、「すべてのもののむなしさ」と「理解しえぬが限りなく大切なものの偉大さ」のみ。

『すべてが、マリヤが考えているように、あれほど明白で単純だったら、それはすばらしいことだろう。この世における救いをどこに求め、そしてその後、来世に何を望めるかがわかったら、どれほどすばらしいことか!いま、主よわれをあわれみたまえ、と言うことができたら、おれはどれほど幸福で、心安まることか!……だが、おれはそれをだれに言うのだ?あるいは力か、---おれが頼りえぬばかりか、言葉であらわすこともできぬ、漠然とした理解しえぬ力か、---偉大な全か、もしくは無か』と彼は自分で自分に言った。『あるいは、ここに、このお守りの中に、マリヤによって縫いこめられた、この神か?いや、何もない、おれに理解できるすべてのもののむなしさと、ある理解できぬ、しかし限りなく大切なものの偉大さのほかは、確かなものは何もないのだ!』


戦争と大いなるものに見えるものに心酔するロストフ

彼はロストフはアレクサンドロ1世に心酔して、彼のために忠誠を尽くすときに感じる歓喜に…戦争で生れる巨大な人の存在のうねりのすさまじさを感じた。
ニコライ・ロストフ…アウステリッツの戦いに参加した青年士官
第一巻
P345-P346より
「アウステリッツの戦い」だったかでロストフが語る戦争への恐怖と自然への畏敬を観て…人が極限下で初めて、その世界の美しさに気づくさまが描かれている。

ニコライ・ロストフは顔をそむけて、まるで何かをさがしもとめるように、遠くを、ドナウ河の流れを、空を、太陽をながめはじめた。空の何と美しく見えたことか、なんと淡青く澄んで、しずかで、そして深い空だろう!沈みゆく太陽のなんと赤く、そして荘厳な事だろう! 遠いドナウの流れのなんとやさしくつややかに輝いている事だろう! そしてもっとももっと美しかったのは、ドナウの遠いかなたに青済みゆく山脈、修道院、神秘的な谷間、梢まで薄靄におおわれた松の林……あちらには静寂と、幸福があった……『何も、何も僕は望まないだろう、何も、ただあそこへ行かれさえした』とロストフは思った。『ぼく一人と、それからあの太陽に、こんなにたくさんの幸福があるのに、ここには……呻きと、苦痛と、恐怖と、そしてこの不明、このあわただしさ……そらまた何か叫んでいる、そしてまたみんな何か叫んでいる、そしてまたみんな後方へ駆け出した、ぼくもいっしょに走ろう、そうだ、これがあれなのだ、死なのだ、ぼくの頭上に、……一瞬したら--ぼくはもはやあの太陽も、あの流れも、あの谷間も、二度と見る事が亡くなってしまうのだ……』


同時にロストフはアレクサンドロス1世に心酔する、彼は群衆が一心に尊敬を浴びる皇帝にその流れもあって、命を投げ出しても良いとまで心酔していた。
P569

ロストフは、皇帝が最初に近づいたクトゥーゾフ軍の前列に立ちながら、同軍の将校の一人一人が覚えたと同じ感情を経験していた、 --それは自己没却と、威力の誇らかな自覚と、この祝典の原因となった人への尽忠との感情だった。
彼は、この人の一言で、この巨大な全集団が(彼も、それに結びつけられており、---無に等しい一粒の砂に過ぎないのだ)、水火の中へも、犯罪へも、死へも、あるいは偉大なる英雄的行為へも邁進するのだ、と感じていた、だからこの近づいてくる一言を目のまえにして、彼は全身がおののき、胸が凍るのを押さえる事ができなかった

 気になった場面

第一部
戦争に入ろうとする
ボリス…母がワシーリィに取り入って、士官させようとしている
1805年ごろのロシア
ピエール…署長をクマに縛って放り出す、財産を引き継ぎそう、引き継いでベズゥーホフ伯爵

ナポレオンの進撃に伴い戦争が起ころうとする中
社交界の人はうわさ話に腐心する。
大きなイベントではあるが、人々は日々の生活を何とかするのに精いっぱい

ピエールがベズゥーホフ伯爵になって右往左往(ワシーリィ)
ボリスの母がワシーリィの力をかりようと右往左往するのと同じく「戦争と平和」1st_p207
ニコライ・アンドレーヴィチ公爵
秩序正しい事によって威厳を放つ
悪徳:怠惰と迷信
美徳:活動と知力
この様に定義づけているが、戦争や歴史的に大きなイベントではどうしようもなく頼りない事のように思える。あるいは、この美徳の積み重ねが戦場を

第1部…アンドレイたちは戦争に行く。
戦争前の社交界や人々の動向を描いた部って感じ。

第二部_1805/10(もうちょいでアウステリッツ、ここでロシアは敗れる)
ドローホフ…侮辱に耐える義務はない。


この時期の簡単な年表

1804年12月
ナポレオン、フランス皇帝に即位
1805年
アレクサンドロス1世、ナポレオンを「ヨーロッパの圧制者、世界の平和の妨害者」として、イギリス、オーストリアと第三次対仏大同盟を結ぶ
1805年12月2日
アウステルリッツの戦い(三帝会戦)に敗れたアレクサンドル1世は、這々の体でロシアへ逃走した。
【wiki(アレクサンドル1世)より】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB1%E4%B8%96

参考文献

戦争と平和 1 トルストイ/〔著〕 -- 新潮社 -- 2005.8

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