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政治の左右と二元論

政治スタンスの左右と言えば、左は理念(冷戦終結までは主として社会主義)に基づく進歩を志向する革新、右はそれへの抵抗勢力の保守というのが基本だが、最近の西洋では、霊肉二元論(あるいは物心二元論)を対立軸として見るのがよいのではないかと思われる。

  • 左:霊(心)志向⇒血統的、遺伝的、生物学的な区分からの脱却(移民推進、トランスジェンダー、etc.)⇒DEI

  • 右:肉(物)志向⇒左の逆で区分には実体と意味があるので維持

左はVRの中(脳内)の理想世界を実体化させるために現実世界のコードを書き換える「社会規範・常識の規制緩和・規制改革」を目指し、右は「そんなことをすれば世の中がめちゃめちゃになる」と反対するという構図である。

社会主義もそうだったが、極限まで振れやすい/過激化しやすいのは右より左(物質的制約が無い観念の世界だから)である。

Wokeした進歩派リベラルは現代のグノーシス派という見方もある。

👇は『闇の精神史』の第3章「サイバースペース——もうひとつのフロンティア」の4「メタバースは「解放」か?——精神と肉体の二元論」より

先に述べた著書のなかで、バーチャル美少女ねむは、メタバースによって「物理世界において介在していた年齢、性別、肩書などのさまざまな「フィルター」を排除して、魂と魂による本質的なコミュニケーションを加速させ、より理想的な社会ができる可能性」があると主張している。ここに見出せるのは、制約の存在する物理世界を悪や欠如とみなし、一方で物理世界を超えた魂の次元を善や本質的なものとみなす二元論的思考である。

p.243
強調は引用者

ただし確認しておきたいのは、こうした考え方は必ずしもメタバースやサイバースペースをめぐる言説にのみ特異的に見られるものではない、ということである。むしろ、それは(主に西洋の)歴史を通して広く存在してきた特定のタイプのナラティヴを形成する考え方ですらあったのだ。

p.243

このように、物質世界を悪とし、魂や精神世界を善とする二元論は、西洋世界における思想的枠組みの少なくない部分を形成してきたと言えるのだ。
右に見てきた思想と、「現実の自分がとらわれざるをえない、土地・環境・身体から解き放たれること」がメタバースに対する希望のひとつであると語る加藤直人の思想、または所与の身体から解放された「魂と魂による本質的なコミュニケーション」を言祝ぐバーチャル美少女ねむの思想との間には、驚くほどの類似性が認められるのではないだろうか。

p.245-246

補足

リベラリズムvsナショナリズムでは、人間は社会的動物→社会(集団)が重要ということから、社会重視のナショナリズムが右、逆の個人重視のリベラリズムが左になる。

サッチャーは右ではなく左の一派(ネオリベラリズム)だったということ。

There is no such thing as society

There are individual men and women and there are families

Margaret Thatcher Foundation

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