政治の左右と二元論
政治スタンスの左右と言えば、左は理念(冷戦終結までは主として社会主義)に基づく進歩を志向する革新、右はそれへの抵抗勢力の保守というのが基本だが、最近の西洋では、霊肉二元論(あるいは物心二元論)を対立軸として見るのがよいのではないかと思われる。
左:霊(心)志向⇒血統的、遺伝的、生物学的な区分からの脱却(移民推進、トランスジェンダー、etc.)⇒DEI
右:肉(物)志向⇒左の逆で区分には実体と意味があるので維持
左はVRの中(脳内)の理想世界を実体化させるために現実世界のコードを書き換える「社会規範・常識の規制緩和・規制改革」を目指し、右は「そんなことをすれば世の中がめちゃめちゃになる」と反対するという構図である。
社会主義もそうだったが、極限まで振れやすい/過激化しやすいのは右より左(物質的制約が無い観念の世界だから)である。
Wokeした進歩派リベラルは現代のグノーシス派という見方もある。
👇は『闇の精神史』の第3章「サイバースペース——もうひとつのフロンティア」の4「メタバースは「解放」か?——精神と肉体の二元論」より
補足
リベラリズムvsナショナリズムでは、人間は社会的動物→社会(集団)が重要ということから、社会重視のナショナリズムが右、逆の個人重視のリベラリズムが左になる。
サッチャーは右ではなく左の一派(ネオリベラリズム)だったということ。
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