見出し画像

ぶつかる女とぶつからない男の文化の衝突

この二つは男女のカルチャーの違いと「女の社会進出」による社会の(悪い方向への)変質を示す格好の題材になっている。

以下では男女の分布のずれを0/1のデジタル的に表現していることを断っておく。

画像1

Hatelaboの記事では女の心理について考察しているが、

仮説3: 女性は避ける気がない/避けるという選択肢をハナから持っていない
これだろうという気がした。
相手が避けてくれるだろう、自分が避ける必要はない。何故自分が避けなければならない? こういう意識で歩いているのではないかという気がする。そうすれば最もうまく説明がつく。上の危険歩きスマホもこれが根底にあると思われる。考えてみれば口喧嘩でもなんでも、女性の方が自説を曲げることが少ないような気がする。

男が衝突を避けることには暴力沙汰を避ける心理が働いているのではないかと推測される。核兵器を持つ国同士は戦争を回避するようなものである。

先月の記事でも取り上げたが、人同士で何らかの対立が生じた際の対応にはhonor, dignity, victimhoodの三つのカルチャーがあるとされている。男の基本はhonor(H)で、暴力による自力解決(果し合い、決闘)がよしとされる。「ナメられたら殺す!!」のカルチャーである。

In honor cultures, men maintain their honor by responding to insults, slights, and violations of rights by self-help violence. "Cultures of honor tend to arise in places where legal authority is weak or non-existent, and where a reputation for toughness is perhaps the only effective deterrent against predation or attack," write Campbell and Manning. They note that honor cultures still exist in the Arab world and among street gangs in Western societies.

戦国時代には意外にも一定のルールが存在するんです。戦国的な秩序がある。近世に入るにつれ武士はどんどん行儀が良くなっていく。なめられたら殺すという世界から、停戦交渉のルートとか戦争のルールができたのが戦国です。

近代になると公権力が私闘・自力救済を禁じるようになり、代わりにルールに基づいて白黒つけるdignity(D)カルチャーが一般化した。個人は自力救済の権利を公権力に明け渡した代わりに、制度や裁定者に公正・中立を求めるようになる。

During the 19th century, most Western societies began the moral transition toward dignity cultures in which all citizens are legally endowed with equal rights. Dignity does not depend upon reputation but exists as unalienable rights that do not depend on what other people think of one's bravery. Having a thick skin and shrugging off slights become virtues because they help maintain social peace. The aphorism that "sticks and stones may break my bones, but words will never hurt me," is practically the motto of dignity cultures.

法廷は原告と被告による攻撃と防御の闘わされる場ともいうことができるのであって,その意味で法廷闘争という語が,裁判について用いられることがある。

あらゆることを裁定者に委ねることは非現実的なので、些細なことは寛容の精神で受け流す「器の大きさ」が美徳になる。この態度はHカルチャーでは「弱腰」と否定的に評価されるものの、DはHから進化したものなので、どちらも「筋を通す」ことを重視する点は変わっていない。

漫画で暴走主婦に激突された被害者の男も、主婦が直後に謝罪していればDカルチャーの寛容の精神で応じていたものと読み取れる。しかし、主婦が悪態をつきながら車に急いだために、男の地のHカルチャーが出て怒鳴りつけたのだろう。「女のくせん」「女が偉そうに」を批判する人もいるようだが、Dカルチャーを共有しない道理から外れた相手に対する発言であることを考慮する必要がある(本当に言ったかどうかも不明だが)。

主婦の夫が出てきたら態度を変えたのは、妻の言動から判断すると、夫が石橋和歩被告のような可能性もあるので、危険回避を図ったものと推測される。怪我するなどの実害はなかったので、夫の裁定で妥協して事態を収拾したわけである。

一方、主婦が内面化しているのが、H/Dとは全く異質のvictimhood(V)カルチャーである。Vでは自分が被害者であることを第三者にアピールしてリンチをけしかける。筋を通すよりも嘘をついてでも被害者を装って味方を増やした方が勝ちにつながる。主婦が自分が被害者であることを強調する漫画を描いてネットに載せた行動にもこの心理が働いている。

In a victimhood culture, they write, "individuals and groups display high sensitivity to slight, have a tendency to handle conflicts through complaints to third parties, and seek to cultivate an image of being victims who deserve assistance."

Hの時代は男が暴力的なので女は迂闊に男を攻撃できなかったが、Dの時代が長く続くと暴力を封印した男を女が恐れなくなり、Vカルチャーでサンドバッグにするようになってきたわけである(その典型が証言だけで男を社会的に抹殺するMeToo)。女には性的魅力で男を味方にする/従わせるmanipulationalな「力」が備わっているので、ターゲットにされた男は多勢に無勢になってしまう👇。

漫画の最後のコマでは男の暴力性への憧れを吐露しているが、自分が暴力を振るう代わりに子猿のように他者を式神のように使うのが女の暴力である。女の被害者性アピールは暴力的な男が凄むことと本質的には同じで「負の暴力的不良行為」と言える。

高順位家系の出自のコザルがいるとしよう。他方、体格の非常にいいオトナオスなのだが低順位家系に属する個体がいるとする。

コザルが餌をたべているところに、たまたま件のオトナオスが来たとしよう。

やにわにコザルが悲鳴を上げる。キャーッという甲高い発声で、攻撃を受けた際に出す音声。恐怖の情動を表出するものといわれている。その声を、誰に攻撃されたわけでもないのに突然、出し始めるのだ。しかも、コザルの視線の方向には、例のオトナオスがいる。もちろん、周囲にいる他のサルたちは一斉に、こちらを注目する。注目するばかりではない。コザルのもとへ駆け寄ってくる個体が必ずいる。日頃から仲のいい個体、つまり同じ家系に属する成体だ。そしてコザルの視線の先にいるオトナオスを攻撃しに向かうのである。攻撃されるオトナオスからすれば災難以外の何ものでもない。逃げるにしかず、といったところだろう。

コザルの行動の目的がどこにあるかは、もうおわかりだろう。悲鳴をあげたからといって、恐怖など毛頭感じているとは考えられない。悲鳴という恐怖の情動表出の手段をいわば道具的(manipulational)に利用している。その発声の社会的効果をコザルは熟知している。親和的関係にある仲間が駆け寄ってきてくれる。そしてオトナオスを蹴散らしてくれる。蹴散らしてくれれば、自分がオトナオスより優位に立てる。それを見込んで悲鳴を上げているのだろう。

問題は、この悪を為すインセンティブを持つ理より情のカルチャーは、社会を確実に悪い方向へと変質させることである。

One problem with this is that you end up with a system of morality that doesn’t offer much incentive for good behavior. Honor cultures incentivize bravery while neglecting other virtues. But if you want esteem in a victimhood culture, what can you do? It’s not like you can become a victim. Or actually, you can — you can portray yourself as weak and in need of help, you can portray others’ behavior toward you as harmful and oppressive, and you can even lie about being the victim of violence and other offenses. Victimhood culture incentivizes bad behavior.

「女の社会進出」を単純に良いことと考えて推進した男たちは、女も男と同じく道理や公正を重んじるDカルチャーを内面化していると考えていたのだろうが、現実は息を吐くように嘘をつく想定外のVカルチャーだった。現代社会の基本ルールとは相容れないカルチャーによるシステムのハッキングが先進国の混迷の一因となっている。

古代ギリシャ人は理解していたのだろう。

プロメーテウスが天界から火を盗んで人類に与えた事に怒ったゼウスは、人類に災いをもたらすために「女性」というものを作るようにヘーパイストスに命令したという。

ヘーシオドス『仕事と日』(47-105)によればヘーパイストスは泥から彼女の形をつくり、神々は彼女にあらゆる贈り物(=パンドーラー)を与えた。アテーナーからは機織や女のすべき仕事の能力を、アプロディーテーからは男を苦悩させる魅力を、ヘルメースからは犬のように恥知らずで狡猾な心を与えられた。

◆西洋社会とは相容れないイスラム教徒の移民を大量に抱え込んだために社会システムが機能不全に陥っていることと似ている。

◆近隣の某民族のカルチャーがこれに近い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?