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女と子猿と被害者カルチャー

Bradley CampbellとJason Manningは、人が他者から何らかの害を受けた場合の対応の違いを、honor, dignity, victimhoodの三つのmoral cultureに分類している。

Honorカルチャーでは人々は過敏で沸点が低く、自力救済を志向する(ナメられたら殺す!!)。反撃しないことや公権力に頼ることは不名誉とされる。野蛮な社会の男的な文化と言える。

Dignityカルチャーはその逆で、多少のことは受け流す寛容さが尊ばれる。重大な加害への対応も、自力救済ではなく法に基づいた解決が当然とされる。文明社会の文化と言える。

多くの社会は文明化とともに暴力的解決のhonorカルチャーから理性的解決のdignityカルチャーに移行してきたが、近年のアメリカの大学から広まっているのがvictimhoodカルチャーである。Victimhoodカルチャーは過敏で不寛容な点ではhonorカルチャーと同じだが、自力救済ではなく、自分が被害者だと周囲にアピールして第三者や公権力に相手を攻撃させる点がhonorやdignityとは大きく異なる。

二人の学者はインタビュー記事では言及していないが、victimhoodカルチャーは、自分たちが気に入らない事象(萌え絵や家事する女など)を性差別だと難癖をつけてネット炎上させ、撤回や謝罪に追い込むフェミニストのカルチャーに他ならない。

ところで、霊長類学者の正高信男は新著で日本猿の子猿の興味深い行動を紹介している。

群れの中で高順位(=身分が高い)家系の子猿に、非常にいい体格だが低順位(=身分が低い)家系の大人の雄が偶然に接近した時に、このような現象が起きるという。

やにわにコザルが悲鳴を上げる。キャーッという甲高い発声で、攻撃を受けた際に出す音声。恐怖の情動を表出するものといわれている。その声を、誰に攻撃されたわけでもないのに突然、出し始めるのだ。しかも、コザルの視線の方向には、例のオトナオスがいる。もちろん、周囲にいる他のサルたちは一斉に、こちらを注目する。注目するばかりではない。コザルのもとへ駆け寄ってくる個体が必ずいる。日頃から仲のいい個体、つまり同じ家系に属する成体だ。そしてコザルの視線の先にいるオトナオスを攻撃しに向かうのである。攻撃されるオトナオスからすれば災難以外の何ものでもない。逃げるにしかず、といったところだろう。こういったことが何度も繰り返される・・・・・・すると本来、一対一で対峙すれば圧倒的に有利に闘えるはずの相手であるにもかかわらず、オトナオスは順位的にコザルに対し劣位者として振舞うようになるのである。
コザルの行動の目的がどこにあるかは、もうおわかりだろう。悲鳴をあげたからといって、恐怖など毛頭感じているとは考えられない。悲鳴という恐怖の情動表出の手段をいわば道具的(manipulational)に利用している。その発声の社会的効果をコザルは熟知している。親和的関係にある仲間が駆け寄ってきてくれる。そしてオトナオスを蹴散らしてくれる。蹴散らしてくれれば、自分がオトナオスより優位に立てる。それを見込んで悲鳴を上げているのだろう。

子猿の狡猾な行動は、被害者性をアピールして「騎士」を召喚する女の人間関係操作術に酷似している。大学生の過半数が女になったことがvictimhoodカルチャーの興隆と関係していることも間違いないと言える。

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Honor→dignityへの文化の変容は男の暴力が集団の力で抑え込まれたことを意味したが、dignity→victimhoodは女のmanipulationalな「力」が社会を支配するようになってきたことを意味する。女には性的価値で男を味方にする/従わせるという強力な力があるが、これは相手を社会的に葬る非物理的な「暴力」として作用する。先進国で推進された女のempowermentとは、この「暴力」を強化・正当化することに他ならない。理性から快・不快の感情と暴力への逆戻りである。

人間は男の野蛮な暴力性を抑え込むことで文明化したが、西洋は文明度をさらに高めようとして女の猿的本能を解放したために、昔とは別種の「暴力」が支配する野蛮な社会へと逆戻りしていることになる。

付録

この引用部の続きも読んでもらいたいが、ヘーシオドスは社会にとって何が有害かについてよく分かっていたようである。

プロメーテウスが天界から火を盗んで人類に与えた事に怒ったゼウスは、人類に災いをもたらすために「女性」というものを作るようにヘーパイストスに命令したという。
ヘーシオドス『仕事と日』(47-105)によればヘーパイストスは泥から彼女の形をつくり、神々は彼女にあらゆる贈り物(=パンドーラー)を与えた。アテーナーからは機織や女のすべき仕事の能力を、アプロディーテーからは男を苦悩させる魅力を、ヘルメースからは犬のように恥知らずで狡猾な心を与えられた。
考えてみたら女は昔からエゴイストだったのではなかろうか。それがいろいろな事情でおさえられてきただけなのだが、そのおさえが、このところはずれただけなのかもしれない。

先進国社会の迷走の根底には女の「性力」の解放によるパワーバランスの崩れがあることについては別記事で。

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