MMTは財政金融政策ではなく雇用政策の理論

現代貨幣理論(MMT)がわかりにくい/紛らわしいのは、その本質が労使の勢力均衡と「インフレなき完全雇用」を実現する雇用政策の理論であるにもかかわらず、財政金融政策の理論のように見せかけていることが一因ではないかと思われる。

MMTでは、企業は労働者を安く雇いたいので、売り手市場にならないように常に失業者のプールが存在する状態を保とうとするとされる(→恒常的なデフレギャップの存在を含意)。

しかし、失業は本人にとっても経済社会にとっても損失なので、公的セクターが社会的に有益ないつでも辞められる仕事最低賃金で提供する(→失業者のプールが枯渇)、というのがJob Guarantee Programである。

JGPに必要な人件費は中央銀行の通貨発行(政府への直接の信用供与)で賄われ、仕事の内容は各地域の実情に合わせて地方自治体が決める。MMTの教祖の一人Bill Mitchellは海水浴場の監視員を一例に挙げている。

民間の経済活動が活況化して労働需要が増え、賃金上昇圧力が高まると、JGPから民間への転職が増えて圧力を緩和する。逆に民間の経済活動が冷え込むと、JGPが余剰労働力を吸収して賃金低下圧力を抑える。JGPで働く労働者のプールが賃金と物価変動のバッファになるわけである(机上論では)。

現行制度では中央銀行はインフレ率や景気の強弱に応じて政策金利を上げ下げするが、MMTでは政策金利はゼロに固定され、JGPが物価のアンカーの役割を果たす。財政政策と金融政策はインフレ率や総需要の管理には用いられず、石油危機のような供給ショックによるインフレは、政府が価格統制や規制の緩和・強化などによって対処する(→👇の引用を参照)。

このような順序で説明すればわかりやすいはずなのだが、そうせずに「租税が通貨を動かす」「税金は政府支出の財源ではない」「政府の赤字は民間の黒字」「財政赤字は問題ではない」「中央銀行は財政当局の一部門」などと意表を突くキャッチフレーズを用いてマネーの異端理論であることを強調するのは、統制経済・社会主義との批判や、JGPの仕事の具体的内容の議論を避けるための戦略ではないかと思われる。

知的能力が高い(あるいは自分がそうだと思い込んでいる)人は専門外では「異端」に引き付けられる傾向があるので、セクトの拡大には有効な戦略ではある(MMTはマルクス~新左翼系の経済思想)。

すべての国民が国家公務員だったソヴィエト連邦を訪れた者が共産主義経済では失業率はゼロだと報告すると、理想主義者たちは政府による雇用創出がほかの場所でも同じ効果をもたらせるのではないかと考えた。
ジョンソンの気に入る唯一のインフレ抑制方法は、政府が物価を決められる『不思議の国のアリス』のような世界にほかならなかった。増税したり、FRBの利上げを認めたりする代わりに、大統領は自らインフレ抑制に乗り出した。「靴の価格が上がったら、LBJ(リンドン・ベインズ・ジョンソン)は、皮革の供給を増やすために原皮の輸出規制を発動した」と、上級内政補佐官だったジョ セフ・A・カリファノ・ジュニアは回想している。「国内のラム肉の価格が上がったときは、LBJ は(国防長官の)ロバート・マクナマラにベトナム駐留部隊のためにニュージーランドからもっと安いラム肉を買うよう指示した」。材木の価格が上がると、ジョンソンは政府の諸機関に金属製の家具を買うよう命じた。1966年春に卵の価格が上がったときは、ジョンソンは公衆衛生局長官に、コレステロール摂取の危険性について警告を出すよう指示した。
しかし、インフレはベトナムと同じく、ジョンソンには勝ち目のない戦いであることが明らかにな った。1968年の終わりには、インフレ率は4.7パーセントに上昇していた。朝鮮戦争以来もっとも急な上昇だった。
アメリカと同じくチリでも、自由市場経済学の興隆は政府の経済運営に対する信頼の喪失から始まった。アジェンデは政府支出を大幅に拡大し、短期的な好景気を生み出したが、その後に続いたのは爆発的なインフレだった。政府は幅広い物価統制を行うことで対応したが、予想どおりの結果になった。

MMTでは利上げはインフレを加速するとされる。MMTの教祖の一人Warren Moslerはトルコにゼロ金利政策を推奨していた。

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