「オリンピッグ」は"女性蔑視"でも"差別的"でもない

「女を下に見た」という印象を持たれただけで男が自己批判に追い込まれて地位を追われる赤狩りや文化大革命を想起させる異常事態が続いているが、この件は客観的に見れば"女性蔑視"でもなければ"差別的"でもない。

"女性蔑視"ではあり得ないのは、女一般を豚呼ばわりしたのではないからである。これが男の芸人なら"男性蔑視"と騒がれたはずがない。

水島広子は(日本の)女の特徴として「自分の領域」と「相手の領域」の区別の欠如を指摘しているが、この「渡辺直美を🐷にする→自分が🐷にされるのは気分よくない→"女性蔑視"」はその典型例と言える。この特徴は、特定の個人に関することを属性全体に拡大するidentity politicsを助長する。

グループで唯一の女性だったMIKIKO氏は、遠慮がちにこう投稿した。
〈容姿のことをその様に例えるのが気分よくないです/女性目線かもしれませんが、、理解できません〉

差別的でもないのは、日本では🐷役が絶対にあり得ない侮辱的なものではないためである。

“天皇”佐々木氏は、必死の訴えも意に介さない。
〈普通目線で、豚に例えるのは、良くないでしょう。(略)ただ、童話にもあり、可愛いイメージにもなり得るなと〉

実際、今回はこのような発言をしている渡辺直美だが(アメリカ進出ということで、アメリカのポリコレに迎合した可能性大)、

過去にはインスタグラムに自分を豚になぞらえる投稿をして10万超の「いいね!」が付いている。日本では太った人が豚に扮することは持ち芸の一つになっている。『西遊記』の実写版の猪八戒役も全く問題にされていない。

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そもそも、この記事👇でも指摘されているように、アイデア出しの段階では意識的に常識外れの馬鹿げた案を出すことは珍しくない。それを事後的に一部分だけ取り出して批判することは反則行為である。

さらに違和感を抱かせているのは、佐々木氏の発言が公式の会議でもコメントでもないうえに、「アイデアを出し、よくないものを削ぎ落していく」という初期段階だったこと。佐々木氏のケースはさておき、クリエイティブ系の現場では、新たなものを生み出すために、間違いや批判を恐れずに発言することが推奨されているのです。
これは間違いや批判を恐れていたら、どこかで見たことがあるような無難なものばかりになってしまうから。佐々木氏以外のメンバーも間違った提案をしていた可能性はありますし、「この段階だから許し合いましょう」という了解のうえに成立している場なのです。

「世界のスタンダード」と言うよりも、西洋のリベラルが世界に広げようとしている"Diversity, Equity, and Inclusion"の新左翼イデオロギーのスタンダードと言うのが正解である。

はたして、アイデアを出し合ったグループLINEでの発言を猛批判し、個人を辞任に追い込むことが世界のスタンダードなのでしょうか。もしそんな窮屈なスタンダードだとしたら、日本は本当に追随すべきなのか疑わしいのです。

この現象については過去記事(2020/7/12020/12/22)を参照してもらいたいが(一部を再掲👇)、このイデオロギーは約半世紀前の学生運動・新左翼運動・ポストモダニズム・相対主義の流れを汲んでいる。つまりは西洋版の文化大革命だという認識を持たなければ事の本質を理解できない。

Bodyではなくmindが判断基準になる社会では、悪事を行動に移さなくても考える(正確には「考えた」と第三者に疑われる)だけで罪になる。つまりは内心の自由が無くなる。新左翼の流れを汲む最近の西洋リベラルが思想警察と化しているのはそのため。

おそらくだが、この件は、リークした人物の私怨を

①東京オリンピックを牛耳る"Old Men's Club"を潰そうとする勢力
②世界的イベントを利用して日本にも「世界同時リベラル文化大革命」を起こそうと企む勢力

が利用した政治闘争・権力闘争の一環ではないかと推察される(①と②はかなり重なっている)。「目的は手段を正当化する」ので、本来はコンプライアンス違反のリークはむしろ称賛され、🐷案を出したことが違反にされる。

「森おろし」に続く革命勢力の勝利だが、まだまだ攻勢が続くことは間違いない。彼らの最終目標は人々の絆を断ち切ってバラバラの個にする(=解放する/自由にする)ことであり、夫婦別姓と同性婚は家族の解体(脱構築)への重要なステップと位置付けられている。

私は幸運でした。私は出産や家事の義務など女性を隷属させるいろんなものをまぬがれていましたから。
子どもから解放されないと女性は解放されない
家族は廃止されるべきです。
家族のゲットーを破壊しなければ。

彼らを「常識」で判断してはならない。

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