男差別は正しい差別

先日の記事の続き。要点を先に書くと、

「男は狼なのよ」と言われるように、男は女にとって本質的に危険な存在なので、男女平等と女の安心を両立させるためには差別と紙一重の"equal but separate"が必要になる。女のゼロリスク志向は男の社会的排除につながるので、過度に追求すると経済社会のサステナビリティは失われる。


女の人口が3400万人弱の国で一人が殺された程度で、パンデミック対策を無視して警官隊と衝突し、それをまた「女が社会で抑圧されている証拠」とヒステリックに喚き散らしている。

現在、英国のほとんどの地域は新型コロナウイルスの感染阻止のために、不要不急の外出や他者と集うことが禁止されている。
それにもかかわらず、各地で女性の追悼イベントや抗議デモが開かれており、集会の禁止を徹底させるため現場にいた警察官らと一部のデモ参加者との間で衝突が起きる事態にまで発展している。

この集団ヒステリーの根底には、リスクが低くなるほどリスク低減を強く求めるようになる心理があると考えられる。

This bias describes the irrationally strong preference for situations with absolute certainty. Nobel-prize winning researchers Amos Tversky and Daniel Kahneman, for example, found that people preferred a risk reduction from 5% to 0% over a risk reduction from 55% to 50%, even though the total risk reduction in the two cases was identical.

女は男に比べて恐怖を感じやすいので、女の基準での「安心」を実現するためには危険源の男をゼロにするしかない。つまりは"equal but separate"である。実際、イギリスの女の上院議員は「男は午後6時以降外出禁止」を呼び掛けている(文字通り受け取るなと言い訳しているが)。

Women as a whole tend to be higher in neuroticism, tend to be more fearful of pain, more fearful of crime and generally more risk averse than men. These fears aren’t just correlated with a higher risk of being victimised, as women tend to be more fearful of all kinds of events involving risk of physical injury. 
Not only does the culture of safetyism promote risk-averse and fearful behaviour, it promotes excessive political correctness. Many on the social justice left are not just concerned with avoiding physical threats, but intent on shielding people from and suppressing supposedly violent language.

しかし、性的被害のリスクだけに着目して男を排除することには、男がもたらすベネフィットを失うリスクもある(新たなテクノロジー開発やインフラストラクチャー関連の担い手の多くは男)。このトレードオフを受け入れなければ、サステナブルな経済社会は実現できないみ。

私たちは、1つのリスクと向き合うとき、そこに何かしらのベネフィット(便益)があるから、リスクと付き合っていきます。
リスクをなくそうとすると、一方にあるベネフィットを失うことによるリスクが必ずといっていいほど生じることを知る必要があります。

さらに直視しなければならないのは、女のsafetyismは差別と紙一重ということである。

渡英前、筆者は友人たちに「地下鉄のエレベーターに男性と2人きりで乗ってはいけない」と厳しく注意された。「大袈裟だな」と思ったけれど、状況を見て「2人だけ」にはならないようにしている。
男性全員を「敵」と思っているわけではない。男性側、女性である自分側にとっても、互いを守る(加害者・被害者にならない)努力は必要と思い、そうしている。
ハワイ州で幼少期を過ごしたオバマ大統領は、近所の女性に一緒にエレベーターに乗るのを避けられたことがあったと話し、「ただ僕と一緒にエレベーターに乗るのが怖かったんだ」と語った。さらに自分が成長するにつれ、黒人男性として恐れられるのを感じていたと述べた。
「道を渡ろうとすると突然、人々が(車の)ドアをロックするのに気が付くようになる」

フェミニスト(シンパの男も含む)はこの👇ように言い逃れするが、女が生きやすい社会作りは必然的に男の排除につながる。「女性が男性を排除したり、女性が男性よりも優位であると主張するのがフェミニズムだという理解は、端的に誤解」ではなく、この上なく正しい理解なのである。

ここで理解してほしいのは、女性を守るために男性を排除することがフェミニズムの本質ではない、ということだと新先生。
「女性だけの街=安心できる隔離されたコミュニティを求めることは、どちらかというと自衛のためですね。これをフェミニズムと理解するのは間違いです。また、『女性の権利を守るため、女性を男性より上位に置く』というのも、フェミニズムとは異なる考え方です。女性が男性を排除したり、女性が男性よりも優位であると主張するのがフェミニズムだという理解は、端的に誤解です」

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