女の社会進出とシステム障害

かねての持論と同じことをエマニュエル・トッドが言っていたので、少し発展させてみる。

まず原初の核家族でも、完全な平等ではなく男性がやや優位だったのは、性別分業があり、女性が採集したものは家族内に留め置かれたのに対し、男性が狩猟で得た獲物は、地域の集団のなかで分配されたからです。ここから、総じて男性は(家族外の)集団への帰属意識が強く、女性はより家庭的で個人主義的だという違いが生まれます。つまり、「社会の分業化」に対応したのは主に男性で、女性は、「家族」のうちに閉じ込められ、家事や育児や教育に専念するようになったのです。

トッド人類史入門』p.26

原初、男は集団で狩り、獲物は集団で分配した。女は採集の成果を自らの家族用に確保した。男は集団主義、女は個人主義に傾く。そして20世紀後半、女性解放で個人主義は更に伸長した。その経済的表れが新自由主義。レーガン大統領と共に旗を振ったのは英国初の女性首相サッチャーでした。

読売新聞2022年12月25日朝刊「新フェミニズム」

山極壽一の言葉を借りると、女は家族の論理、男は共同体の論理になる。

家族と共同体の論理は相反することがある。親子や兄弟は互いにえこひいきするのが当たり前で、何かしてもらってもお返しが義務付けられることはない。しかし、共同体では互酬性が基本で、対等なやり取りが求められる。この二つの論理を両立させられないから、人間以外の霊長類は家族的な小さな集団か、家族のない大きな集団で暮らしている。
人間が二つの相反する論理を両立させることができたのは、複数の男を父親にして共存させることに成功したからである。

毎日新聞2014年12月21日朝刊「父親不在の日本社会」

このように男女の行動原理が異なるなら、男の論理で構築された男の領域だった「社会」への女の進出は、文化摩擦と社会システムの想定外の動きを引き起こすと予想される。

「男は敷居を跨げば七人の敵あり」という言葉があるように、男は我が家の内と外は違って当然であり、外では内のようには振る舞えず、safe spaceでもないことを受け入れている。これは共同体の論理である。

男が考える女の社会進出は、女が社会で共同体の論理で行動することだが、女にとっての社会進出は「家庭を社会に拡張する」「社会を我が家のような空間に作り変える」、つまりは

  • 我が家のルールを社会(他者、特に男たち)に受け入れさせる

  • 社会を我が家のようなsafe spaceにする

ことと表現できる。批判されると、男に攻撃・抑圧されたという被害者仕草になる。

その一例がこれ👇で、男の論理では公私の別を弁えない非常識な行動だが、女の論理では社会正義を実践したことになる。

遡るとこれ👇もあった(林真理子は名誉男性)。

👇はアメリカの大学の学生と役職員の多数派が女になったGreat Feminizationと、若者のメンタルヘルスの悪化や非寛容の強まり(→キャンセルカルチャー)の関係についての論考だが、かなり説得力があるように思われる。大学は自分とは異なる考え方に触れ、意見を戦わせる場だが、女にとっては心理的なsafe spaceではないので拒否反応が生じてしまうわけである。

Female students and administrators often exist in a co-dependent relationship, united by the concepts of victim identity and of trauma.

Female dominance of the campus population is intimately tied to the rhetoric of unsafety and victimhood.

When students claim to be felled by ideas that they disagree with, the feminized bureaucracy does not tell them to grow up and get a grip. It validates their self-pity.

強調は引用者

学生や大学の空気の「感情化」もGreat Feminizationと関係していると思われる。

They weaponized their feelings against Duncan, and claimed that his mere presence somewhere on campus, even if they stayed away from him, was intolerable. Several administrators openly validated this emotionalism; others may be in quiet agreement.

強調は引用者

女性では、高校から大学、社会人になるにしたがって「情緒的・感覚的に思考するタイプ」が増えており、この割合は30代からは緩やかに減少しています。

フェミニストが「性犯罪を警戒して」という呼び掛けに激昂するのも、社会がsafe spaceであって当然だという意識が根底にある。自宅でくつろぎたいのに緊張感を持てと強要されているように感じて苛立つようなものである。

最近ではフェミニストによるエロ画像攻撃が多発しており、フェミが保守化しているとも言われているがそうではない。保守派によるエロ規制は風紀、社会秩序の乱れを防ごうというものだが、フェミのエロ狩りは「自分の空間に男のキモい性欲(を想起させるもの)があるのは許せない」という個人の感情に駆動されている。母親が「我が家のルール」に基づいて息子のエロ本を捨てるように、そのルールを社会に拡張するわけである。

高度な文明社会には階層化・機能分化した大規模な集団が、そのような集団の形成には男の論理が必要になる。なので、女が女の論理のまま社会進出すれば、社会が動揺するのは必然と言える。

新フェミニズムの攻撃性は労働者階級で家庭破壊を促す潜在力がある。第3波は全女性の利益にはなっていないと私は考えます。

読売新聞2022年12月25日朝刊「新フェミニズム」

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